06 判ることもある
「ラニ、言ったろ。『あたしのために』鳴ってくれとお願いしたって」
「それがどうかしたのか」
「ラニのためって、何だと思う。あいつに重要なことって」
「先の話に限って言えば、お前の期待に答えることだろう。鳴らしてどうするというのではなく、鳴らすことが目的」
「じゃあ、限らなければ」
「人間でも魔物でも、この世に生ある者がみな全て持つ本能。お前のように悩み多き若者であればごちゃごちゃとした雑念も多かろうが」
「余計なこと言うな」
エイルは顔をしかめた。
「あれは、単純だ。主の言うことを聞くために、生きる」
「でも生まれながらの使い魔って訳じゃないだろう。俺が名で縛ったにしたって、それはラニの本能じゃないはずだぜ」
「その通りだな。私はそれが本能だと言ったのではない。ならばお前に判るようにもっと簡素にしよう。『生きる』。それだ」
「余計な点もあったが」
青年はまた顔をしかめて、続けた。
「そういう……ことなのか、やっぱ」
「あの音色に、お前はいったい何を聞き取った」
「生存本能、なのかもしれない」
呟くようにエイルは言う。
「首飾りの呪いは、持ち主を殺してもそれを欲しくなる熱望を呼び起こす。でもそれは、ラニの生存本能とは相容れない」
「そうなるな」
「意識的なのか、判らない。たぶん無意識なんだろう。あいつは、歪んだ呪いを更に歪めてる」
エイルは嘆息した。
「俺が感じたのはな、〈塔〉。このきれいな音色を奏でる首飾りを持つ女の子、彼女のためなら何でもやってやりたいってな、気持ちだ」
「――人殺しでも、か」
「そこまでは、思わなかった。やばい感じがして、やめさせたから。でも、有り得る。そういう形で、ラニが呪いを『乗りこなして』みせたこと」
できたと無邪気に言ったラニタリスは、「鳴らすことができた」ではなく、「乗りこなすことができた」と言ったのかもしれない。
「先旬。エディスンから妙な力がラニと首飾りに向かって飛んできたろ」
エイルはあのときの驚きを思い出しながら言った。
「お前の友人の仕業だったという話だったな」
「そうらしい。ティルドは、ラニやここのことは知らないけど」
風司の少年を思い出してエイルは言った。
「最初はティルドがやったなんて当然知らないし、最悪、向こうの協会長やら噂の宮廷魔術師とやらに喧嘩売るつもりでいた」
無謀だ、と思ったとしても〈塔〉は黙っていた。
「それはさ、俺はラニを保護する義務があるって思ったからなんだ」
エイルは唇を歪めた。
「『父親のようだ』とか言ったらはっ倒すかんな」
石でできた建造物を「はっ倒す」のは協会長に喧嘩を売るより無茶だったかもしれないが、〈塔〉はそうは言わなかった。
「いや、立派に主の責務を果たしていると思う」
それから〈塔〉は残念そうにつけ加えた。
「私に対しては、そのように保護の義務を覚えはせぬのだな」
「あのなあ」
ラニタリスはエイルがいなければ違う運命を行ったろうが〈塔〉は誰が主であろうとここに立ち続けだ。〈塔〉が拗ねるように言ったのはもちろん冗談――だろう――と、エイルは特にフォローをするのはやめた。
「『主の責務』。それを俺が重要視した理由は、いつまでも逃げてらんないと思ったからだって考えてた。でも」
エイルは手にしたままの首飾りを見つめた。
「そうじゃなくて。俺がこれの音色でこれの司に惑わされていたら?」
エイルが首飾りの音色を夢に聞いたあとだった。主としてラニタリスを守るのだと、エディスンへ乗り込んだのは。
先に感じたもの。歪んだ呪い。
不思議な「風具」を呪いが血に染め、ラニタリスが生存本能でそれを曲げた。
首飾りのために持ち主を殺すのではなく、首飾りのために持ち主を守る。それとも欲する? あの優しい音色を守るためならば、人を殺めてもと?
(そこまでは思わなかった)
(でもラニがそうさせようと思ったら、判らない)
「呪いを歪める」
〈塔〉は慎重に繰り返した。
「それは風司の能力か。ラニタリスのものか」
「俺に判るもんか。でもそうしたのが『生きる』ためだって言ったのはお前じゃんか」
「ラニタリスがどのような種族かは判らぬが、魔物である故にできたのか、首飾りと密接につながる『司』であればできるのか」
「どっちにしろ、少なくとも意識はしていないだろうな」
エイルは言った。
「あの子供子供した様子が俺を騙すための演技なら、俺はとんだ化け狐を拾ったってことになるけど」
「それは正しい」
「アナローダだってのか?」
「逆だ。あれはお前を騙そうだの惑わそうだのはしない。主は主だ。絶対だ。それを謀るなどは、決して有り得ぬ」
それが、ラニタリスと同じ相手を主とする存在の判断だった。
「あれはお前の命令を聞く。逆らうことはない。そのような真似をすれば、自身の存在を否定することにつながりかねない」
「大げさに聞こえるな。だいたい、俺が名を与えなかったら俺の命令なんざはなからない訳だろ。なのに」
「だがそれは起きなかったことだ」
〈塔〉は厳かに言った。
「オルエンならば、言うだろう。世の中には『起きたこと』しかないのだと」
「それとこれとは……別だろ」
エイルは何だか騙されそうになっている気がした。
「ラニがどういう種族であるのかは、俺とのつながりには何の関係も」
「お前でなければほかの誰かが主となっただけやもしれぬぞ」
思っていなかった指摘にエイルは目をしばたたいた。
「ラスルの誰かか、もしかしたらクエティス」
「――起きなかったこと、だろ」
エイルは憮然として言った。
「俺が、ラニの主だ」
はっきりと青年は言って、肩をすくめた。
「だからこそ、万一にも惑わされてたりしちゃ、洒落にならんと思う訳だ」
冗談めかして言うが、本音でもある。
「それは決して、ない。エイルよ、あまり聞きたくはなかろうが、言おう」
「嫌だと言っても言うんだろうが」
「そうだな」
〈塔〉は平然と答えてから続けた。
「お前は私の主。私は主を守る。お前を害する存在であれば、私の内でのんびりと寝起きすることなどできぬ」
「害する、とは限らないんじゃないか」
意外な――忠節の感じられる――言葉に少し驚きつつもエイルは返した。
「心を操る業はたとえ肉体を傷つけずとも、害することになる。お前がラニタリスを守ろうと考えたのはお前自身の意志。あの不思議な音色に影響されたものではない」
〈塔〉の主はその言葉を鵜呑みにはしなかったが、いくらかの安堵は感じられた。
「お前はその音を聞いたことで、むしろ、ラニタリスをしっかりと制していなければならないと感じ取ったのではないのか」
彼が魔物の主たることを心に決めたのは、かの音色に惑わされたためではなく、かの音色が人を惑わすことを知ったから。ラニタリスが人を惑わせられることを知ったから。〈塔〉はそう言った。
「――判んねえよ」
エイルはゆっくりと首を振った。
「ただ、判ることもある」
そう言うと青年はラニタリスから受け取った首飾りをきゅっと握った。
「渡せない」
エイルははっきりと言った。
「呪いつきの本物を渡せやしない。ここは最初から同じ。呪いが解ければ別だが、二日じゃ無理。まあ、これまでできなかったことをうまく解決する方法なんてそうそうあるはずはない。偽物詐欺をやらないで済ませる手段を模索、本物を渡す手もあるんじゃあないかとない頭をひねってみれば、この結果だ」
彼は息を吐き、首を振った。
「呪いがなくなったとしても、ラニが首飾りと離れるまで……それか、あいつがその力をきちんと把握して、誰かの心を操るような真似を俺が禁じられるまで。これは誰にも渡せない」
青年魔術師は、誓いのように告げた。




