10 東っぽくはない
二年前の〈変異〉の年、彼らはともに旅をし、不思議な運命をくぐり抜けた。
その出来事は彼らを揺さぶり、翻弄した。
記憶は強烈で、きっと生涯忘れることはないだろう。
年が過ぎて、彼らは以前の自分たちとは異なる自分を見つけた。
エイルの方には魔術的な変化があったが、それだけではない。奇妙な一年弱は、何事もない十年間よりも大きく彼らの価値観を変えた。
魔術の怖ろしさ。この世を超越した存在。目に見えぬ絆の力。
エイルの故郷たるアーレイドで分かれ、シーヴの故郷たる砂漠の地で再会した彼らは、初めの内こそ――ちょっとした事情のために――ぎこちない会話を交わしたが、そこは運命が繋げたふたりである。すぐに慣れて友情を取り戻し、或いは新たに育んだ。
しかし、こうして再び旅路をともにすれば、またも違和感が頭をもたげた。
と言うのは、彼らはかつて一緒に旅をしたが、「エイル」とシーヴが旅をしたことはないのである。
問題があると言うのではない。むしろ「問題」はなくなったのだったが、どことなく奇妙な感じがした。お互い、それぞれの意味で「気遣う必要がない」ということに違和感があったのだ。もちろんと言おうか、そんな感覚はすぐに消えていったが。
「ソラードの町だ。きたことはなかったな」
シャムレイ王の版図たる地の、ここは西端に近い。
ランティムからは馬で数日ほどだ。ビナレス地方全体を覆う「冬」という季節にあっても、この辺りは凍えるほどのことはなかった。かといって熱の厳しさは減っており、旅路は楽だった。
「ないのか。それじゃ、第三王子殿下の顔が知られてるってことはない訳だ」
「そうなる。男爵の館に近寄らなければ大丈夫だろう」
たどり着いたソラードの町は小さく、あまり活気があるとは言えなかったが、寂れていると言うほどでもない、言うなれば「そこそこ」の町である。
「商店という商店を訪れて話を聞くのは、あまりにも効率がよくない」
シーヴはそんなことを言った。エイルもうなずく。確かに、一軒一軒を巡り、主人を呼び出し、胡散臭く思われないようにしながら例の旅人の話を聞く、というのはずいぶん時間がかかりそうである。
「まずは露天商にでも聞いてみよう。売るにしても買うにしてもその商人がやっていることだし、気軽に尋ねられるからな」
そう言って砂漠の青年は空を見た。
「夕の市が立つには、まだ早そうだ。少し休むか」
「賛成」
エイルは片手を上げた。馬に何日も乗ったのは久しぶりで、すっかり身体が痛くなっているのである。
「お前の捜し物にも協力するよ」
適当に入った酒場に腰を据え、酒と簡単なつまみものを注文する。ライファム酒の杯がやってくると、それを片手にしながらシーヴがいきなりそんなことを言ったので、エイルは目をぱちくりとさせた。
「俺の捜し物だって?」
「首飾りの話を追うんだろう。何も判ってないとか」
「ああ、いろいろ調べたけど、収穫はなかった」
いくら興味があるようだとは言っても、シーヴが自分の目的よりもエイルの話をし出したことに彼は少し驚いた。だが、そう言えばこいつは奔放なように見せかけて律儀なのだった、とも思い出す。
「いかに砂漠まで行くような商人どもが貪欲でも、魔物に首飾りを売りつけるとは思えないな」
「そりゃ、そうだ」
エイルは同意した。
「なら、何で魔物がそれを身につけてた? 砂漠の奥地に魔物の都があって、そこに職人がいるともあんまり思えないんだが」
「そいつは、クラーナも歌にはしたがらなさそうだ」
魔物たちが人間のように街を作る、などという突拍子もない様子を想像して、エイルは笑った。
「と言うことは、何者かがそれを砂漠に持ち込んだことになるだろう。〈赤い砂〉を求める魔術師か、〈失われた詩〉を探す詩人か、それとも」
シーヴはにやりとした。
「〈魔術師の塔〉を見つけようとした冒険者かは判らんがね」
その主は曖昧に笑った。
「少なくとも首飾りは、砂漠の民が作ったって感じはしなかった。ほぼ間違いなく、『西』のものだと思う」
首飾りの様子を思い出しながらエイルは言った。〈砂漠の民〉と言われる人々もちょっとした細工物を作るが、宝石もなければ色味の少ない、どちらかと言えば地味なものだ。
対して首飾りはなかなかにきらびやかで、貴族が舞踏会などで身につけていてもおかしくない雰囲気があった。不吉な赤黒いものを除けば、であるが。
「半月の形をした合板に黄玉、花の意匠か。成程、東っぽくはないな」
形状を聞いたシーヴはそんなことを言った。
「風が吹けば鳴る、というのも、その音色が所有欲を刺激するというのも、お前がクラーナを探そうと思ったように、詩人が好きそうな話だ。だが、詩人はクラーナ以外にもごまんといる」
「あいつほど詳しいのはなかなかいない」
「だろうな。だが、首飾りがあったのは砂漠だ。となれば、砂漠に近い方が、噂でも伝承でも聞けるんじゃなのか」
言われたエイルは考えるようにしてからうなずいた。
「そうかもなあ。俺も、書物になきゃ歌だと思ったんだし、クラーナの居どころが判らないんだから、手当たり次第、詩人に当たってみるか」
オルエンの宿題に期限はなく――だいたい、次はいつ顔を見せるかも判らない――シーヴが抱える話のように深刻でも現実的でもなかったから、エイルとしては自分の用事は後回しでよいだろうと考えていた。だが、どうやら王子殿下のご要望は、エイル側の業務も同時進行でこなすことであるらしい。
シーヴが追う旅人の話は東国、間違っても中心部は越えまいと踏んでいたが、首飾りは判らない。シーヴの言うように東方でこそ何か聞けるかもしれない。
それが彼を、それとも彼らをどこへ導くことになるものか。何しろ事象は「魔術的で神秘的」なのである。
何か判るか、何も判らないか、ランティム伯爵を彼自身の職務に関わる以外の無茶に巻き込むくらいならば判らない方がよかったが――。
「風に歌う首飾りだって?」
エイルが少しばかり悩んでみたところで、シーヴの方はおかまいなしだ。当のエイルよりも先に、見つけた詩人に話を聞きだそうとしている。この行動力は場合によってはたいそう助かるが、困ることも多い。いまはもちろん後者だ。
「面白そうだけれど、知らないな」
幸か不幸か、年若い吟遊詩人の返答はそうであった。
「歌になりそうな物語があるなら、聞かせてもらえないか?」
「それはこっちの台詞なんだが、坊や」
詩人が目をきらきらさせて言うのにシーヴは苦笑して返す。
「知らないなら、こちらから提供できるもんはなさそうだ。済まんな、有難うよ」
砂漠の青年は簡潔に話を終わらせ、エイルに向かって肩をすくめた。そう簡単にはいかないな、とでもいうところか。当たり前だろう。いくらエイルが幸運神に気持ちいいくらい見放されていたって、そんなにあっさりとシーヴに当たり籤を引き当てられてはたまらない、という気持ちがある。




