05 夢のなかだろうと何だろうと
「鳴らす」
ラニタリスはエイルを見、首飾りを見――ぶら下げたそれに視線をやろうとすると奇妙な姿勢になった――またエイルを見る。
「……どうやんの?」
魔鳥の主はがくっと力が脱けるのを覚える。
「俺には判らないよ。でもお前、鳴らしてるらしいんだから」
「覚えてないもん」
「エイルとともに眠っていたときだ、鳴らせたのは」
今度は「同禽」の一語を避けて〈塔〉は言った。
「同じようにしてみればいい」
「寝ろってか?」
「あー、判った」
ラニタリスはにこっと笑うと、すたたたとエイルに歩み寄り、きゅっと抱きついた。
「おいおい」
「こうすると、安心するんだもん」
「そういうことを言ったのか、〈塔〉?」
「そうだ」
悪びれずに〈塔〉は言った。
「まさか照れている訳でもあるまい、主よ」
「ガキかつ魔物相手に照れるかっ」
叫ぶように言ってから、エイルは息を吐き、真剣な表情をした。
「〈塔〉。もし呪いが発動したらすぐにやめさせろ。俺がヨールに取り憑かれる前にな」
青年は〈狂気〉の精霊の名を口にした。
「お前が、やめさせればよかろう」
「正気の内ならね」
もっとも、〈魔精霊もどき〉と会ったときのことを思い出せば、すぐさま呪いの虜になるのではなく、自身に浮かんだ感情を疑い、「呪いだ」と判断できる余裕はあったのだから、これは杞憂であったかもしれない。だが万一のためだ。
「試してみろ。ラニ」
子供はこくんとうなずくと、時折金色に見える薄茶の瞳を閉ざした。
エイルは固唾を飲んでラニタリスを――そして首飾りを見つめる。
子供の姿をした正体不明の魔物は、難問を考えるように眉間にしわを寄せている。エイルの腰にしがみつく小さな手にも力が入るようだ。
(ちょっと前まで、足にしがみつくしかできなかったのにな)
数年会わなかった親戚の子供にでも当てはまりそうな思考は、しかし本当に「ちょっと前」なのである。
エイルが赤子を砂漠から拾ってきたのは半年も前ではない。せいぜい四月か五月だ。
あのとき、重さ六ククにも満たなかったであろう生き物は、〈塔〉の言葉によれば「階段を昇るように」ぐいぐい、ぐんぐんと成長を遂げ、人間の何十倍もの速度で向かっている。
――何処、それとも何に向かって?
(成人)
(人と言って悪けりゃ、成体)
これはいったい、何なのだろう?
オルエンですら未知だと言ってくる魔物。ルファードの死体から産まれた、〈風謡いの首飾り〉の所有者。
ぱっとラニタリスが目を開け、満面に笑みをたたえて主を見た。
「エイル」
しゃらん。
耳に覚えのある音。
青年は身を固くした。
「できた」
ラニタリスはエイルにしがみついていた両手を放すと一歩を退き、まるで踊るようにくるりと回った。
しゃらららん。
風鈴のような美しい音色。
その音が、エイルという名を持つアーレイドの青年、〈塔〉と言葉を交わして力をやりとりする〈砂漠の術師〉、人間と鳥の姿を持つ魔物の主にもたらすものは。
しゃらん、しゃららん。
エイルは胃の辺りがきゅっと縮まるのを感じた。
(――こいつは)
「ラニ、やめろ!」
子供は驚いて目を丸くした。
「やめろ、いま、すぐ!」
厳しい声にラニタリスは慌て、首飾りを握りしめるようにした。その動作が関係したかはともかく、音はすぐにやむ。
エイルは長く息を吐く。
「どうしたのだ」
数秒の沈黙ののちに〈塔〉が問うた。
「呪いか。発動したのか。生憎と、私にはただの音色にしか聞こえなかったが」
「俺が寝てる間に聞いたのと同じか?」
「同じように思える」
「そう、か」
「エイル、何かいけなかった?」
ラニタリスは心配そうに主をのぞき込んだ。
「あたし、何か、間違った?」
「どうやった?」
エイルは静かに尋ねた。
「どうやって、それを鳴らしたんだ?」
「どうって」
子供は困ったような顔をした。
「鳴ってってオネガイしたの。あたしのためにオネガイって。それだけ」
「風は関係がないのだな」
〈塔〉が口を挟む。砂漠の民ラスルたちの間では、首飾りは風の吹く日にだけ歌を歌うと言われていた。
「関係、ない」
エイルは呟いた。
「その意志で鳴らせるんだろう。ラニは、それの司とやらだ。ルファードは、違った」
「何故そう思う」
「風の歌は風の歌だ。風に鳴るとき、首飾りは本来の美しい音色ではなく、呪いをまき散らす。ラニの意志で、鳴るときは」
エイルはそこで言葉を切った。わずかに首を振り、違う台詞を続ける。
「ラニタリスは、風司だ。その意志で、鳴らす」
「何故やめさせた。呪いではないのならば」
〈塔〉はまたそれを問うた。エイルはわずかに息を吐き、そして、首を振った。
「ああ、違う。あの呪いじゃない」
「ならば」
「ラニ」
〈塔〉の言葉を遮るようにして、エイルは子供を呼んだ。
「首飾りを渡せ」
ラニタリスは目をぱちくりとさせたが、逆らうことなくそれを素直に外した。
「これは、クエティスには渡せない。コリードにも、誰にも。ラニが司である以上。それに、俺がラニの主である以上は」
「エイル」
ゆっくりと〈塔〉は言った。
「何を聞いた」
「ラニタリス」
やはりそれには答えず、エイルは再び子供を呼ぶ。
「改めて、言っておく。首飾りを勝手に持ち出すことはするな。鳴らそうとすることも、するな。夢のなかだろうと何だろうとだ」
「夢のなかはちょっと、難しいよ」
子供は顔をしかめた。
「やろうと思ってやるんじゃ、ないもん」
「それでもやめろ。やるな」
「なるべくそうするけど」
「なるべくじゃない、絶対だ」
強い言い方に子供はまた目をしばたたく。もし可能だったならば、〈塔〉も同じようにしただろう。
「ラニ。アーレイドだ」
不意にエイルは言った。
「え?」
突然の言葉に子供は首を傾げる。
「母さんとこ、行け。見てないと、心配だ」
それは決して嘘ではなかった。だが、ラニタリス自身も感じ取っただろうか。エイルがここからラニタリスを離そうとしていること。子供は複雑な表情を見せた。
はっきりとした命令は使い魔を喜ばせるが、言うなれば――のけものにされる感覚を覚えたのだろう。
「ちゃんと、見てろ。お前がそうしてくれると、助かる」
エイルは声を穏やかにした。
「……判った。あたし、エイルに言われたこと、ちゃんとやる」
「いい子だな」
魔鳥の主は笑みを作ってそう言った。ラニタリスは踵を返すと小さな書斎を出、ぱたぱたと階段を昇っていく。階下にある入り口の扉は子供には重すぎるが、見晴らしの小部屋に通じる引き戸ならばラニタリスの力でも開けられるから、子供はエイルが一緒でないときはそちらを出入り口にしていた。
じっとその足音を聞き、引き戸が開いてまた閉じる音を聞き、たっぷり十秒は経ったあとで、エイルは口を開いた。
「行ったか」
「行った」
〈塔〉は短く答えた。
「ラニタリスに聞かれたくない話があるのか」
「お前をどっかに呼び出す訳にいかないからな」
エイルはそんな言い方で〈塔〉の言葉を認めた。




