04 それが鳴れば
「風司とかってのの話もしたろ。ラニはそれかもしれない。手放してもそうだって話ではあるんだけど」
「偽物詐欺」を働かないとすれば、本物を渡すしかない。
力を眠らせても、ティルドは冠の司だと言う話だ。手放しても腕輪はユファスに属すると見知らぬ魔術師は告げた。
だからと言って首飾りを手放して――手放させていいものか。風具の損傷は司に重大な影響を与えるという話もある。
耳飾りの司が言葉をなくしたのは風具が壊れたためだけではないようだし、クエティスは首飾りをそれはそれは大事にするかもしれないが――。
「やっぱ、呪いが難問だよなあ」
呪いつきの首飾りの司であることは、ラニタリスに問題がないものか。それも気にかかる点だ。
「〈塔〉、お前はどう思う」
「私の判断を仰ぐのか?」
「何だよ、その意外そうな声は」
「意外なのだ」
〈塔〉は、ある意味、もっともな返答をした。
「主よ、お前は私を疑うのは好むようだが、逆は珍しかろう」
「俺が疑うのはお前の忠誠心であって能力じゃないよ」
「酷いことを言う」
「褒めたんじゃねえか」
塔の主はにやりとした。
「そりゃお前は、経験を積んでいるとは言えないかもしんないけど」
ここに建ったままでは体験しようのないことも多いだろう。だいたい、塔なのだから、人間のような経験はできない。〈塔〉に言わせれば「砂漠のただなかに時間も判らぬほど立ち続ける経験などできぬだろう」とでもくるかもしれないが。
「それでも、知識の豊富さはオルエン級だ」
「彼の弟子とも言えそうなほど、いろいろなことを聞いた」
「んじゃ、お前は俺の兄弟子か?」
その考えはかなりおかしかったので、エイルは思わず吹き出した。
「笑うのか」
「ああ、悪ぃ悪ぃ」
建物だと馬鹿にするような行為は〈塔〉の気に入らない。エイルは馬鹿にしたつもりはなかったが、そう取られかねないことに気づくと謝罪の仕草をした。
「いや、腹を立ててはいない」
どこに腹があるのかはともかく、〈塔〉は言った。
「『魔術師』に続き『魔物の主』である自身を認め、なおかつ『オルエンの弟子』まで認めるとは驚きだ、と思ったのだ」
それが最後というのは何だかおかしかったが、傍から見れば、エイルがいちばん頑なに否定していたのはそこだったかもしれない。
「ま、爺さんの前で素直に言いたくはないけどな」
「あーエイル、爺さんてゆったー」
「『言った』。俺はいいの」
「ずるいー」
「んで、〈塔〉よ」
エイルはラニタリスの抗議を無視した。
「どう思う。呪いを乗りこなす……押さえて利用するなんざ、できんのかね」
「魔術師の技という意味では、否だ。力は相殺されるか、或いは力ずくで支配することはできるやもしれん。だが乗りこなす、言い換えれば操るというのは、考え難いな」
「それじゃ、ガルの考えは〈戦士の思考〉ってやつか」
いかな猛者、どんな勇者であったとて、戦士に魔術のことは判らない。
「どうであろうな。経験の足りぬ私には理解及ばぬことを知っているのやもしれん」
「悪かったってばよ。蒸し返すなよ」
〈塔〉の棘ある口調にエイルは再び謝罪をせねばならなかった。
「ではラニタリス、尋ねたい」
エイルの謝罪を無視して、〈塔〉はラニタリスに声をかけた。〈塔〉はたいていにおいてエイルにばかり言葉を投げたから、これはなかなか珍しかった。
「何?」
「エイルが初めて首飾りに出会ったときのこと。不思議な音色が彼の欲望を刺激した。それを鳴らしていたのは、誰だ」
「誰って」
エイルは目をしばたたいた。
「サラニタだろ。ラニじゃなくて……〈魔精霊もどき〉の方」
「では、サラニタは風司だったのか」
「はあ?……あ、そういうことに、なるんかな」
エイルは考えて、首を傾げた。
「それは判んないけど、あたしじゃないよ。あたしの最初のキオクは、エイルだもん」
「あ、そう」
見事に〈鳥の初覚え〉である。
「ではラニタリス、お前は首飾りを鳴らしたことはないのだな?」
「そりゃないだろ」
「エイル、私は彼女に訊いている」
「はいはい、黙ってますよ」
〈塔〉が何を知ろうとしているのか判らないままだったが、エイルはそう言ってひらひらと手を振った。〈塔〉の判断を信じると言ったのは彼自身である。
「どうなのだ、ないのか」
「えっと」
子供は目をぱちぱちとさせた。
「ないよ?」
「エイルにも、そう言えるか」
「うん、言える。あたし、これナラシテなんかないよ、エイル」
「何だ……疑ってるのか」
〈塔〉にだけではなく、エイルに向けても言わせようとしたことを思うと、〈塔〉はラニタリスが嘘をついていないか確認をしたようだった。
「疑うというのとは少し違う。エイル、お前が首飾りをここに持ち込んで以来、それは外に出ていない。鳴れば、私には聞こえる」
どうやって聞くのかはともかく、もっともだとエイルは思った。
「なら、訊かなくてもいいじゃなーい」
ラニタリスは不満そうに言った。
「何故尋ねたと思う。――私は、聞いたからだ」
「……何だって?」
「そうだ、主よ。私は聞いた。その音色を、幾度も」
「幾度も?」
エイルは口をぱかっと開けた。
「そうだ」
〈塔〉はまた言った。
「お前も聞いているはずだ、エイル」
「俺は、知らないぞ!?」
「いいや、聞いている。閉ざされた箱のなかから響く音。それは鳴っている。お前とラニタリスが同衾した夜に」
「同衾はやめろ同衾は」
エイルは素早くそう返してから、唸った。
「それじゃ、あの、夢」
しゃらん、しゃららん――と首飾りが鳴る。
青年の心を悪戯に刺激はせず、ただ穏やかにさせてくれた、不思議な音色。
首飾りが呪いを受けていなかったらどんな音がするものか、彼の想像がもとになったのだと思っていた、優しい夢。
「思い出したか。いや、気づいているものとばかり」
「てっきり、夢だと」
青年は天を仰いだ。
「あれは呪いの音色じゃなかった」
エイルは考え込んだ。
「じゃ……ラニは既に呪いを押さえ込んでるのか? もしかしたら、はじめから」
そんな馬鹿な、と思った。それだったら「呪いがあるから」と苦労をしてきた日々はいったい、何だ?
「そうとも言えまい。自覚して意図的に鳴らしているのであればともかく、そのときは彼女自身も夢のなかだ。もっとも、夢を見ているのかは判らぬが」
「エイルと寝てるとねー、すごく安心できるの。そのときにこれがナッテルの?」
子供は子供に似合わぬ胸元の首飾りをいじった。
「聞いてみたーい」
呑気なものである。〈親心は子が親になるまで理解されぬ〉とは言うが、主の心は使い魔には判ってもらえないだろう。
「――ラニ」
エイルは子供を見た。命令の気配を感じ取って、ラニタリスはわくわくするような顔を見せる。
「……鳴らして、みろ」
それは決意の要る言葉だった。
まず、ラニタリスが鳴らせるか否か。
できなければ、それはそれでいい。いずれできるようになるとしても、いまはまだ問題ではない。
一方、鳴らすことができれば。
即ち風司であるということになるのかは、明確ではない。ティルドは「力を使えれば風司だ」というようなことを言ったものの、「鳴る」こと自体が力の一端であるのかははっきりしないのだ。
ただ、たとえば笛のような仕組みがあるでもなく、細かな飾りがぶつかって音を立てるでもなく、魔術も施されていないことを思えば、通常の手段で音を鳴らせるとは思えなかった。
ともあれ、それが鳴れば。
その音色は呪いの濃い闇を伴うか、否か。
もし伴えば――エイルは、ラニタリスを殺してそれを奪いたいとまで、思うのか。
(楽しい想像じゃないな)
青年はわずかに息を吐いた。




