03 見覚えのない封書
街道の上の空は、曇っていた。
季節は春、晴れていればこの付近はもう少し暖かいはずだが、太陽の隠された昼間は何となく肌寒かった。
(ラニ。おい、ラニタリス)
エイルはどこへともなく歩きながら――クラーナたちと反対方向なのだから、タジャス方面ということになるだろう――小鳥、それとも子供を呼んだ。
(いま、何やってる)
『えっとねー、〈塔〉のじーさんが、本当にエイルの許可を受けたのかって疑うのー』
不満そうな返答にエイルは苦笑した。
(「爺さん」はよせ)
『エイルが言ったんじゃーん』
(まあ、そうだけどな)
女の子がそんな口を利くな、などと言いそうになるのは避けた。それこそ説教爺のようでもあるし、だいたい、これは魔物なのだから。
(俺もいったん、そっちに行く。〈塔〉)
エイルは自身の意識を小鳥から石の建造物に向けた。〈塔〉はラニタリスのように言葉を寄越してはこないが、エイルの「塔へ」という意志を明確に掴み、「引っ張る」。
〈塔〉の作る道筋――慣れたはずの、色なき世界はしかしいまのエイルに奇妙に感じられた。
これは、彼の力とは違う。
彼のやり方とは、違う。
覚えた違和感に自らの変化、或いは成長を感じ取りながら、青年魔術師は石造りの塔を目前にした。大砂漠の太陽は、相も変わらず遠慮ない陽射しを投げかけている。エイルは重い扉を開けてその攻撃から逃れ、息を吐いた。
「それでもやはり、扉を使うのだな、主よ」
〈塔〉はまずそんなことを言った。
「まあ、いくら魔術師だからって譲りたくない常識の線」
青年魔術師はそう返した。仮にできたところで、ぽんぽんとどこにでも姿を見せるというのは「いくら魔術師でも非常識」であると感じるのだ。
「それで、ラニと例のもんは」
「こっちー」
上階から声がした。エイルは首飾りを寝室に置いているから、そこだろう。
「おし」
「待て」
エイルが階段を上がろうとすると、〈塔〉から声がかかった。
「書がきている」
「は?」
「書斎に届いているぞ」
「……ああ、協会から、か」
まさかここまで郵便屋がくるはずもないのだから、当然、魔術である。
「スライ師かな」
コリードに関する何かを掴んでくれたのだろうか。エイルは一段跳ばしで階段を昇ると、「書斎」と言うには口幅ったい狭い部屋へ入った。散らかした卓の上をきょろきょろと見回す。
「これか」
見覚えのない封書に気づくと、エイルは手を伸ばした。
「魔封書じゃ、ないんだ」
それはただの手紙だった。
魔封書と言われるものは、読んで字の如く魔術で封じられた書である。受取人以外が手にすれば警告を走らせるようにできていたり、もっと高度なものであれば正しい印を切り、解封の呪文を見つけなければ決して開けられないようになっていたりする。
しかしこの場合、ここで手紙を手にする人間はエイル以外いないはずだから――オルエンならば可能ではあるが――スライも特に封じる必要性を覚えなかったのだろうか。
「どれどれ」
無造作に封筒を破り、数枚の紙切れを手にしたエイルはざっと目を通して、首をひねった。
「どうした」
「コリードの件じゃない」
それはケミアン・クエティスという男について書かれていた。
生まれは、東国のヨア領地。
名家の使用人であったテラン・クエティスの子として同じように使用人生活を送っていたが、帳簿付けから商才を顕して主人に認められる。成人と同時に商人として自立し、しばらくは故郷の町で商売をしていたが、二十歳になる前に故郷を出る。
中心部、それも主にレギスの街を商売の基点にするようになったのは三十前後の頃。故郷にもたまに戻ることはあったが、それは帰郷のためで商売をしていた気配はない。
東国と中心部を行き来するようになったのはここ数年。砂漠に初めて足を踏み入れたのは一年以内のこと。
〈紫檀〉とは初期からの同胞の模様。長には信頼が篤く、かなりの権限を持たされている。――引き続き、詳細を調査中。
概要はこうしたところだった。
(何だ、これ)
(もしかしたら、結局コリードのことが判らなくて……その詫び代わりって訳かな?)
エイルは少し意外に思った。スライならば、詫びなら詫びをちゃんとエイル自身に言ってきそうなものなのに。こんなふうに代替の報告で謝罪代わりにしたのだったら――思っていたよりも、スライは繊細だ。
(文字も意外に繊細だよな)
豪快な外見からは想像もできない筆圧の薄さと、どこか格式ばって見える丁寧な筆跡に、エイルは少し笑った。
「やっぱヨアなのは確かなんだな」
エイルは便箋を指で弾いた。
「故郷の町とやらを探し出して、行っとくべきか」
「どこ行くの?」
ひょい、とラニタリスが顔を出した。
「……大きくなるなって言っただろ」
「なっちゃうものは仕方ないでしょ」
正直なところ、ぽんぽんと成長をしている子供の姿のラニタリスについては、エイルはもはや、「いま」がいくつくらいの姿であったか忘れてしまう。ただ、かなり大きめの服を用意しておいたはずなのに――その薄桃色の上衣は、子供の金がかった砂色の髪によく似合うようだった――すっかりちょうどよくなっているな、と思うのだ。
「ああ、そう言えば」
ふとエイルは思う。
「そっちのときは、髪の色とか変わんないのな」
「当たり前でしょ。エイルとおんなじだもの」
「同じだって?」
「あ、オトコとオンナのダイジナトコロは違うけど」
「こらっ」
どこでそんなことを覚えてくるやら、である。まるで本当の子供のようだが――口うるさい父親のようには、なりたくない。
「エイルは髪の色変わったりしないでしょ。おんなじよ」
「鳥のときは変わるじゃないか」
「だからあ、それは別だって」
当たり前のように言ってくるが、判るような判らないような。いや、判らない。
「ねえねえ、見て見て」
子供は一方的にその話題を終わらせたらしく、ぱたぱたと軽い足音で主のもとに寄ると偉そうに胸を張った。と言っても威張った訳ではなく、ちゃっかりと身につけた首飾りを自慢にきたのである。
「どう? どう? ナカナカノモンでしょ?」
どうにも、母親の大事な宝物をこっそり取り出して、大人になった気分を味わうおしゃまな女の子に見える。魔物だという事実と首飾りの赤い斑点にさえ目をつぶれば、であるが。
「はいはい、可愛い可愛い」
いつだったかのように「誠意がない」と言われないように、エイルはなるべく感情を込めて言った。
「で、どうだ」
「悪い感じ、ないよ」
「赤いのさえなきゃ、不吉なものも覚えないもんなあ」
「フキツって?」
「縁起が悪いとか……よくないことが起きそうだとか、そんな感覚のこと」
「ふうん。フキツじゃないよ、なんにも」
それでも呪いはある。
首飾りが謡えば、黒い欲望の風が吹く。
ガルシランはそれを乗りこなせと、言った。
エイルは断り――代わりに、ラニタリスにやらせようとしている。
(そうだよな)
青年はこっそりと思った。
(これじゃ、俺が嫌だから、ラニにやらせるみたいだ。もっとも……ラニのがあれに近いことは事実なんだろうけど)
「どうしよう、エイル? どうするの、これ?」
「ううん」
「いったい、何をするつもりでいるのだ」
じっと我慢でもしていたものか、〈塔〉はこらえかねたといった調子で声を出した。
「それがさ」
エイルはかいつまんで戦士に聞いた話を説明する。
「オルエンは、三日……もう二日を切ってるけど、とにかく、呪いを解くのは無理だって言った」
「だから本物を渡す代わりに偽物詐欺を働くのだろう?」
「人聞きの悪い言い方すんな。まあ、そういうことになるけど」
偽物屋を偽物で騙す。口先の嘘とかちょっとしたごまかしの類ならばたくさんやってきたけれど、エイルにはそんなことは思いつかなかっただろう。カーディル伯爵の大胆さには舌を巻く。




