08 あの人、エイルを困らせる
それから彼はいったん、塔に戻った。
アーレイドまで単独で跳ぶのは、まだきつい。だがヨアの協会を使わなかったのは、試してみたいことがあったからだった。
これまで〈塔〉の力を借りていたときは、言うなればエイルの魔力を〈塔〉が引き出して使っていた。〈塔〉にも擬似的な魔力のようなものがあるから全てがエイル依存ではないが、自分で意識して力を使うことに比べて、覚える疲労が大きい。自らだけで移動をするようになって、青年はそこに気づいた。
魔術師は、常に魔力を限界まで使える訳ではない。
それは、体力を思うように限界までは使えないのと同じだ。体力を消耗していけば身体は重くなり、動くこと自体がつらくなっていく。普通は、そこまで行く前に「疲れた」と休む。休めない状況にでもあったとして、そのまま無理を続ければ倒れてしまうだろう。
それは安全弁のようなもので、それがなければ人は死んでしまうことも有り得る。
つまりは、魔力も同じなのだ。多く使えば疲弊し、無理を押せば昏倒する。安全弁を超えて魔力を行使すれば、死に至ることもある。
〈塔〉に力を渡すことは、不用意に多く魔力を使ってしまうことに似ている。
ならば、その逆はどうか。そう考えたエイルは、〈塔〉の力を利用することを試したのだ。
エイルは特にその変更について語らなかった。ただ、率先してそれを示した。無論〈塔〉はそれに気づき、しかし何も言わず、自らの力を提供した。
目指すは、アーレイド。
そうと心を定めれば、ぱっと見える、銀の糸。
(うお)
エイルは驚いた。
(すげえ楽に、それもはっきりと見えるな)
〈塔〉の、引いてはオルエンの魔力に彼は感嘆をした。そこには少しばかり――悔しいというような思いも、混ざっただろうか?
「んじゃ、行ってくる」
だがエイルは無駄と思える考えに沈み込むことはせず、いつもの挨拶をすると故郷へと跳んだ。
予想通り、頭痛はほとんど覚えず、疲労感も少なかった。これはいい、と青年は考える。
実際のところ、エイルの魔力は決して大きくない。連続の〈移動〉は身体に負担をかけるだけだ。だがこのやり方――〈塔〉の力を照準合わせにではなく、魔力の源として使うやり方は、協会を利用するのと同じくらい、体力を損なわない。
堕落だとしても、有用だ。
彼はそのまま南街区へと行き、ラニタリスを呼び出して「交替」を告げる。すると小鳥はどこか複雑そうな様子だった。
「何だよ」
「ちゃんとメイレイくれるのは嬉しいけど、でもこれじゃエイルと一緒にいられない」
と言うのが小鳥の主張だった。
「おいおい」
エイルは苦笑した。
「人間のガキみたいなこと、言うなよ」
まるで父親に懐く子供、である。
「ねえ、エイル。あの人、どうした?」
ラニタリスは不意に言い、エイルは首を傾げた。
「あの人って、誰だよ」
「あたし、あの人、イヤ」
「は?」
エイルは聞き返した。
「だから、どの人だよ」
「昨日、タジャスでエイルと一緒にいた人よ」
「オルエン、じゃないよな。じゃ、ゼレット様か?」
「そう、その人」
小鳥はこくんとうなずいた。
「何で」
「だって」
声はどこか不満そうだ。
「あの人、エイルを困らせる」
これには鳥の主人は苦笑した。
「まあ、そうだけどなあ。一部の困った性癖を除けば、俺を本当に困らせる人じゃないよ」
「どうして、そんなこと言うの?」
今度は、どこか不思議そうだった。
「ものすごく、エイルを困らせるのに」
油断して、「してやられた」ときに激しく動揺でもしたのだろうか。いや、考え直すまでもなく激しく動揺したが、それはもしやラニタリスにまで影響を及ぼしたのだろうか。
コリードの術にエイルが倒れたとき、ラニタリスはとても動じたらしい。先だってアーレイドでコリードの〈場〉に引き込まれたときも同じだ。もしかしたら魔鳥は、「主人」の意識、波動とでも言うものを意図的にだろうがそうでなかろうが、常に感じ取っているのかもしれない。
エイルはそんなふうに判断して「確かに困った人ではある」などと認めて話題を終わらせた。
しかし、何だか意外だった。
「エイルを困らせる」ならば、シーヴだってオルエンだって、アニーナだって相当のものである。だがラニタリスはシーヴにもアニーナにも懐き、オルエンには別に懐かないが、普通だ。彼らとゼレットの違いと言えば、やはり困った行動のほかに、ラニタリスが直接、面と向かっていないことが挙げられる。
そのせいだろうか、と漠然と考えてはみるものの、それだという感じはあまりしなかった。
だが判らないことを嘆いても仕方がない。もしかしたら、ラニタリスとゼレットは相性が悪い、というようなことなのかもしれない。
「まあ、その話はあとだ。いまは『命令』だ」
青年はそんな言い方をした。
「ちゃんと判ったか?」
「クラーナを探せばいいんでしょ?」
エイルは鳥にそう説明していた。
クラーナは戦士と一緒のはずであり、ラニタリスは詩人にならば会っている。対面したことがなくとも対象を見つけられることはオルエンの件で証明済みであるが、面識がある人間を探す方が簡単であることは間違いない。
「あの詩人さんなら、すぐに見つけられるよ」
小鳥の自信に満ちた台詞にエイルは苦笑した。
「すぐってのは、どんくらいだ」
それは何も意地悪を言ったのではなく、ただの確認である。いったいどれくらいをして「すぐ」なものか。三日に対すれば丸一日でも「すぐ」であり、一刻に対するならばせいぜう数カイだ。
「そうね、五分かくらい」
あっさりと鳥は言う。
「『五分くらい』、または『五分かそれくらい』」
訂正をしてから彼は首を振った。
「ずいぶん大きく出たな」
エイルは適当を言うななどと怒るよりも、つい感心をしてしまった。
「だって、あたしはエイルならいつだって見つけられるもん」
「クラーナの話、してんだぜ?」
「そうよ。だってあの人、エイルに似てるもん」
その発言にエイルは驚かされる。
彼と詩人は、外見的にはどこも似ていない。似通うのは、彼らのその後を強烈に揺さぶった、特異なる年に定められた、それぞれの役割だけ。
ラニタリスはそのことについて何も知らない。シーヴが話したとも考え難く、第一、ラニタリスは知っていればその語を使うだろう。
「そうか。似てるか」
エイルはそうとだけ返した。青年はいまだ掴んではいない。彼を主とする奇妙な魔物が秘める能力。
「じゃ、行け」
だが青年魔術師はそれに思いを馳せることはとどめ、簡潔な言葉を発した。
「はあいっ」
違いようのない命令さえ与えれば、小鳥が駄々をこねることはない。ラニタリスはエイルの肩から飛び立つと、曇り空に消えた。
ラニタリスがガルとクラーナを見つけるまでどれくらいかかるかは判らない。「五分かくらい」はいくら何でも無理ではないだろうか。
しかし、小鳥は会ったこともなかったオルエンを数日で見つけ出したのである。クラーナとは顔を合わせていることもあるし、あのときより成長を――魔鳥自身も、またその主も――していることもある。一日はかかるまい、と彼は踏んだ。
予測と言うよりは希望に過ぎないな、とこっそり苦笑をしたが、全く根拠のない空夢でもない。
「さてと」
アーレイドは南街区の片隅で、青年は呟いた。
「どうすっかな」
ここは彼の「庭」であるから、顔見知りは多い。仕事にも家にも行かないでうろうろとしているところを見られれば、どうしたのだろうかと思われ、声をかけられるだろう。
少し考えて彼は、近所の留守宅を勝手に借り受けることにした。
貧乏人ばかりの街区は、盗まれるものもないから鍵などかかっていない家が多い。だがそれでも住民以外が出入りしているところを見られるのは妙だったから、魔術で留守宅を探すと魔術で内部に入り込んだ。彼の生家と同じように余計なものが何もない家の床に座り込むと、エイルは自身の家と母に意識を向けた。




