07 怖いような気がする
何とも途方に暮れた台詞をエイルが吐くと、ウェンズは少し迷うように視線をさまよわせた。
「エイル、もしあなたが私を信じてくださるなら――」
「いまさら何言ってんだよ。信じてるから、こうしていろいろ頼んでんじゃねえか」
「簡単に言わないで」
ウェンズは笑った。
「私が悪いことを考えていたら、いまの言葉であなたを縛れますよ」
「もういいよ、そういうのは」
エイルは苦笑した。
「警戒すべき相手の前では、警戒するさ。あんたはそうじゃないと言ってんだ。それで実はあんたがものすごい極悪人だったら、俺の負け。仕方ない」
エイルは降参するように両手を上げた。ウェンズは感謝の仕草をする。
「それでしたら、話をするより早い方法があります」
「術、か」
もちろんとばかりにウェンズはうなずく。
「私に伝えたいと考えていることをはっきりと心に浮かべてください。それを読み取らせていただきます」
「こんなところで、できるんか?」
「可能ですよ。人目を気にしなければ」
「……何?」
エイルは眉をひそめた。ウェンズは苦笑する。
「手を取り合っているように見えますので」
「……成程」
以前にもエイルは、業火の神官の件をスライに「読んで」もらったことがあるが、高位の導師はエイルに向かい合うだけでそれを可能とした。ウェンズはそこまでの能力はないということだが、エイルには見当のつかない術だから彼より上位であることは確かだ。いまさら思い直すことでもないが。
「ま、別にいいさ。早いに越したこた、ない」
エイルはそう言うと目を閉じ、アーレイドでのクエティス絡みの一件を頭のなかで整理した。
「いいぜ」
そう言って手を差し出す。ウェンズが両手でそれを包み込むのが判った。
「では」
小さく言ったあと、ウェンズは何か詠唱めいたものを囁いた。瞬時エイルは整えた思考が誰かに見られているという奇妙な感覚を覚える。心を見透かされるようで居心地が悪いが、エイルがそれに意識を取られる――この場合、ほかのことを考えてしまう――直前、わずか五秒と経つ前に手が離された。
「――判りました」
ウェンズの声が真剣になった。
「いまは魔術の訓練を心がけている……となると、戦うことを想定しているんですね」
「そうならなきゃいいけどさ」
「では商人の出自を探るより、私はお母君の守りにつきましょうか?」
「それは」
エイルは逡巡した。そうしてもらえれば助かるとは思ったが、抵抗を覚えたことも否定できない。――何でもかんでも、頼るのか?
(……俺の自尊心なんぞ、屁の突っ張りにもならねえけど、な)
(でも)
エイルは顔をしかめ、うーとうなって下を向き、それから顔をばっと上げた。
「いや、引き続きクエティスの家と『貴婦人』を頼む。あいつの言ったことがどこまで本当かは判らないけど、本当のひとかけくらいはあんだろう。そっから」
続ける前にエイルはまた顔をしかめる。
「あいつの弱みを探し出すことも、できるかも」
これではクエティスと同じことをやることになる。たとえば、家族の居場所を知ってるぞ、傷つけたくなければ――と。
「私の思うところでは、あの男はあなたと違いますよ」
エイルの表情から何を見て取ったものか、ウェンズはあっけらかんと言った。
「……気に病んだように見えたのか?」
「脅すなんて」と躊躇したと思われたのだろうか。エイルは目をしばたたく。
「家族を傷つけると言うことが脅しになるとは思えない、との意味合いです。どうぞご随意に、と言い放ちかねない」
「それもそうかもな」
実際には見当もつかないが、有り得そうだという気はした。
「でもやっぱご婦人のご機嫌伺いを頼むよ。弱みかどうかはともかく、材料ではある」
敵の手札は数あるのに、こちらはずいぶんと少ない。それも向こうは切札、こちらは屑札だ。いかさまでもやらない限り勝ち目はない。
(ま、いかさまをやろうとしているようなものではあるな)
「気になるのはやはり、魔術師ですね。いくら身体を傷つけるつもりではなくても、あのようにいきなり術を放つというのは、良識を持っていればやらない。スライ殿がなかなか探れないと言うのならばかなり狡猾でしょう」
ウェンズは首を振った。
「そんな男が商人をそそのかしたと。あなたが思っているよりコリードとやらは面倒かもしれませんよ、エイル」
「ん?」
エイルは首を傾げた。
「クエティスが、コリードを雇ったんだぜ?」
「いえ、はじまりは、コリードでしょう?」
「何言ってんだ。クエティスが首飾りを欲しがって」
「そこを最初とするならば確かにクエティスが先ですが、実際に動き出したきっかけは……エイルあなた、意識しないままで私に全部寄越しましたね。ちょっと無防備ですよ」
「……何がだよ」
判らなくてエイルは問い返した。
「それです」
ウェンズはとん、と指で卓を叩いた。
「『判っていない』ことまで、ありのままの事実を全て私に見せました。素直ですが、無防備です」
魔術師は繰り返す。
「何なんだよ、いいんだって。信じるって言っただろ」
「『判っていて』事実を全て見せるのならいいのですけれど」
ウェンズは教え諭すように言ったが、いまは「後輩」に授業をしている場合ではないとばかりに片手を上げ、この話題をやめることを示した。
「覚えていないようですね。クエティスは、コリードが首飾りの在処を彼に示した占い師だと、言ったのですよ」
「コリードが……首飾りを?」
「手を」
ウェンズは右掌を上に向けて出し、エイルに乗せるよう促した。エイルが従うと――声が、蘇る。
(あれか……さっきの、魔術師)
それはエイル自身の声。「彼」が自分を殺させはしないと言ったクエティスに対して問うた台詞だ。
『そうだ。彼こそ、思いもよらず私に首飾りの在処を示した占者。きっと手を貸してくれると思っていた。案の定、こうしてお前を……そしてお前の弱みを探ってくれた』
「……あ」
「あ、じゃないです。それより気にかかることの方が多かったのでしょうけれど、重要な点ですよ」
「だな」
エイルは顔をしかめて同意した。
「クエティスが占いを頼んだと思ってたけど、思いがけなかったってことは向こうから言ってきたってことだ」
「けれど、それに気づいていたとしても、何かが掴めていたとは思えませんね。コリードを探る手がかりにもならなさそうです」
「どこかで占い師でもやっていた」――そんな術師はごまんといる。いや、そもそも実際に占い師として活動していた訳でもなく、予言や助言を占いと称しているだけかもしれないのだ。
「クエティスの金が目的のようなことは言ってたけど」
エイルを探すために雇われ、その「弱み」を握って首飾りを差し出させるところまでを依頼として契約をしているというのならば、判る。だが、クエティスに首飾りが砂漠にあると知らせたのは? 困難なことになれば自分に協力を求めにくるようにとでも言い含めて? ならば、困難なことになると何故知っていた? クエティスは魔物をラスルに退治させるつもりだったのだから、それが為されればその後コリードの出番はないではないか?
(民たちが、「きれいな装飾品」のためなんかに魔物退治に行ったかは判んないけどな)
もしラスルが拒絶すれば自分が出向くつもりででもいたものか。
(いや待て、それ以前だよな)
(クエティスに対して感じた疑問と同じ。繰り返しになっちまうけど)
(どうやって……知った?)
〈風謡いの首飾り〉のこと。クエティスがそれを探すこと。それが、長い間砂漠で魔物の胸元を飾っていたこと。
「コリードはただの雇われ呪術師じゃない。師匠殿が直接手を出せないのならば、私が同行します、エイル」
ウェンズの台詞にエイルは首を振った。
「有難いけど、向こうは俺の『援軍』を警戒してる。だからまだ、場所も指定してきてない。だいたい魔術師が一緒にいたら、コリードにはすぐばれるよ」
「向こうはふたりでくるのでしょう。こちらもふたりで何が悪い、と強気に出るといいです。あまりおとなしく言いなりになっていても、不自然でしょう。あなたは、本当は首飾りを渡したくない、どうにかできないか、と狙っていなくてはならないのだから」
それは悩みの種のひとつだった。エイルは、ウェンズやクラーナのように演技が上手ではない。「偽物だ」と判っているものを「手放さなくてはならなくてとても悔しい」ふりなどできるだろうか。
「ですから」
ウェンズは両手を組んだ。
「その辺りも含めてお手伝いしますよ」
エイルがその心配を口にすれば、ウェンズはにっこりとして言った。何だか、傷跡があるより、ない顔で笑われた方が怖いような気がする――とそんなことを思った。




