06 やっぱ知り合いか
「自分に厳しいんだな」
「そういう修行を受けたせいもあるかもしれません」
「修行だって? 協会の教育には、そんな精神的な鍛錬なんかがあるのか?」
自分はやってないな、と思いながらエイルが尋ねるとウェンズは首を振った。
「私はもともと、神官を志していたんですよ」
「……へえ」
意外なような、納得いくような答えがきた。
「ラ・ザインの教えを学んでいましたが、その過程で自身にあるのが神力ではなく魔力だと気づきました。まあ、『それでもラ・ザインにお仕えしたい』という気持ちにはならなかったのですから、大した信仰心があった訳でもないのでしょう」
他人事のようにウェンズは言った。
「あなたはどうしてここに?」
「別にここじゃなくてもよかった。飯、食いにきただけ」
「そうなのですか」
ウェンズは驚いたようだった。
「あれから私はローデン閣下とお話しする時間はなかったのですが、閣下はあなたにどんな星を読まれたのでしょうね」
「何だよ、そんな唐突な」
少し顔をしかめてエイルは言った。ウェンズは真剣な表情をする。
「申し上げました通り、私は協会の仕事をしてはいません。もともと協会付きという訳でもありませんが、いまやっているのはあなたのお手伝いなんですよ、エイル」
「判ってるよ、有難く思ってるさ」
「別に恩を着せようと言うんじゃありませんよ」
ウェンズはふっと笑った。
「クエティスの『貴婦人』の館は、ヨアにあるようなんです」
「ここにか?」
ばっとエイルは身を乗り出した。だがウェンズは首を振る。
「この街かどうかは、まだ。ヨア王の勢力圏、ということです」
「そ、か」
それだといささか、広い。
「あなたはアーレイド、私はエディスンにいますけれど、ロッカの町でもアーレイドと言って差し支えないし、バルトーラもエディスンだと言えますから」
ウェンズはそれぞれの都市から少し離れた町の名を口にした。エディスンの方はともかく、よくアーレイドの町まで知っているものだ、とエイルは感心した。
「どうやって調べたんだ?」
「レギスで〈紫檀〉の方にお話を聞きました」
「……どうやって?」
エイルは目をぱちぱちさせて繰り返した。
闇の人間たちなのだから、同じ組織に属するという理由だけでかばうようなことはないにしても、それなりに結束力だの――足を引っ張られたら困る、というような利己的な理由によっても――あるのではないだろうか。どんなふうに尋ねたら、一商人の出身なぞ聞いて取れるものか。
「『魔術的な事象に関わった疑いがあるので調べています』くらいの台詞で、人はけっこう、何でも喋りますよ」
神官を志していたという魔術師は平然と言った。「魔術師である」ことを利用して、エイルが呪いをかけた以上の、何かどぎつい脅しでもしたのだろうか。
おとなしそうな顔からは想像し難いが、時と場合によっては、ウェンズの淡々とした脅しは怒声や恫喝よりも効果がありそうだ。加えて、タジャスでクエティスを相手取ったときのことを思い出せば、この術師はなかなかの演技派である。協会が派遣した、不正を見つけるための調査役だとでも思わせることは、魔術を使わなかったとしても簡単だろう。
「残念ながら、クエティスと親しく話をしたことのある者はあまりいないようですね。タジャスにきていたらしいツーリーという男は比較的一緒にいることが多かったそうですが、彼はレギスに戻ってきていないそうです。脱けた、と見られているようでした」
「……それは」
エイルは思い出した。
「シーヴが、脅したからだな」
どうやら〈紫檀〉の構成員はあちこちで脅され続けだ。エイルがわざわざやらなかったとしても、「ちゃんと」呪われてでもいたのではなかろうか。などと青年魔術師が考えたのは、半分以上冗談である。
「東国出身者だったとは、意外だな。それとも、当然なのかな。『東の商品の偽造』を〈紫檀〉に持ち込んだの自体、奴かもしれない。……まあ、それはとりあえず、どうでもいいけど」
もしかしたらシーヴには「どうでもよくない」かもしれないが、終わったことではあるはずだ。
「それで、ヨアに?」
「ええ。クエティス、というのは西南の方では聞かれる姓ですが、この辺りでは珍しいかと。まずは協会に依頼していますが、協会は町びとの名を全て把握している訳ではない。正直、期待薄です」
「『貴婦人』にもう少し手がかりがあればなあ」
肖像画が描かれるような女性ならば、名のある女性である可能性もある。
「それです」
ウェンズもうなずいた。
「覚えていますか。クエティスは、十代、二十代、三十代それぞれの頃の肖像画があると言った。もしかしたら四十代、五十代もあるのかもしれませんが」
「覚えてるよ。十代二十代の頃には首飾りがあったのに、ってやつだろ」
「つまり、若い頃から肖像を描かれている。若い内に高位の貴族に嫁入りすれば主人とともに描かれることもありましょうが、あの商人は大階段に飾られていると言った。つまり、家の顔です。そういうところにはたいてい、主役をひとり、飾るもの。そして先代でもなく昔の女性が飾られているとなれば、家を興したというような大した女主人か、或いは若い内から相当に名を馳せた女性」
「そう、か」
ウェンズの識見にエイルは舌を巻いた。彼はせいぜい、描かれるくらいならどっかの姫様かもしれないな、くらいしか考えなかったのだ。
「こちらの方が、使用人の姓よりも調べがつきやすいと思っています」
「それも協会か?」
「依頼はしていますが、余所からの術師の頼み事など後回しでしょう。現実的には、街の書庫館を訪れるつもりでいました。司書にでも尋ねれば案外簡単と答えが返ってくるかもしれない」
「成程」
郷土資料を当たる。エイルは「司書」などという言葉を知らなかったが、「協会の受付みたいのがいるんだろう」とだいたいの正解を推測した。
「あなたが偶然にヨアへきたというのが何だか不思議です」
不意にウェンズは言った。
「あなたは首飾りの司であるのかもしれませんから、何かあの風具の動く道に感じ取るものがあるのかもしれませんね」
「それは」
エイルは唇を曲げた。
「違う」
ウェンズが首を傾げる。ラニタリスと風具の関わりをウェンズは知らない。エイルが考えてみることもせず、すぐさま否定するのは奇妙に思えるだろう。
「俺はさ、あれには何も感じないんだ。不思議なもんだとは思うけど、それは腕輪と一緒」
「腕輪?」
「そう」
エイルは隠しから翡翠製の腕輪を取り出した。ウェンズの目が丸く見開かれた。
「〈風食みの腕輪〉じゃありませんか!」
ずいぶんと驚かせたようだな、と思いながらエイルは簡単に説明をした。ウェンズからの伝言により、ユファスを墓参りに連れていったこと。彼は少し留守にしたが、その間ユファスは腕輪を墓の主に捧げ、たまたま一緒に墓にきていた知人の魔術師が腕輪の行く末を危惧し、エイルに預かってくれるよう伝言を残してきたこと。
「ユファス殿の、知人」
「エディスンの術師だって話だったからウェンズも知ってるかもな。確か、アロダって」
〈伝言球〉に残されていた署名――というのとは少し違うが、そのようなもの――を思い出しながらエイルが言うと、ウェンズは軽く咳き込んだ。
「ど、どうした?」
「アロダ術師……ですか」
謝罪の仕草をしながらウェンズは呟くように言った。
「何だよ、やっぱ知り合いか」
「ええ、まあ、何と申しますか」
ウェンズは困った顔をした。
「タジャスにクエティスがやってきたことを知らせてくれた術師の話を覚えていますか」
「うん? 何だっけ?」
「私自身、タジャスを見てはいましたが、クエティスがきていることを伝えてくれたのはその人物なんです。それから私がエディスンであなたの件を調査していると、やたらと声をかけてきました。穿ち過ぎかもしれませんが、探るような調子とも……まさか絡んではいないと思いますが……」
「何だって?」
エイルははっとなった。この件に絡む魔術師。――コリード。
「そいつ、若い、長髪の、感情を見せない、嫌味そうな奴か」
「いえ」
ウェンズは戸惑うように首を振った。
「中年で、短髪の、感情表現豊かな、一見のんびりとした術師です」
その描写にエイルは安堵した。
「別人だな」
術で違う姿に見せることも可能だが、そこまで変えていれば、もとの姿は判らないとしても術を使っていること自体は判る。コリードは名前を隠しても、姿を変えるような術は使っていなかった。
「その、若い嫌味な魔術師というのは何なんです?」
ウェンズは当然の疑問を口にした。
「それがさ」
エイルはうなった。
「ああ、あんたにも伝えておけばよかった」
そう言うとエイルは頭をかきむしった。
「手伝ってくれるって有難い相手ひとりひとりに、何度も説明する時間が惜しい。でも、それを惜しんで何をやればいいのやら」




