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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第5話 焦燥と奔走 第3章
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05 自戒なんです

 ヨアは、シャムレイよりも北方にある。

 西の方では王のいる街を〈王城都市〉と呼び慣わすが、「東国」ではあまりやらない。シャムレイにシャムレイ王が、ヨアにヨア王がいるのは当たり前で、わざわざ言いたてるほどのことでもない、という感覚のようだ。

 だがそう表現しても意味は通じるし、「この辺りではそう言わない」などと無意味なめくじらを立てられることもない。どう言おうと、或いは言わなかろうと、王のおわす街が栄えることには西も東もなかった。

 そういう街であれば、人の出入りも多い。と言うことは、街壁の外でもそれなりに人目がある。

 ただ、小さな町村と違って、魔術師が急に現れても悲鳴を上げて逃げられたりはしない。ちょっと驚かれたり、こっそり魔除けの印を切られたりはするだろうが、その程度で済む。

 しかし、どちらもあまり嬉しくないのは、魔術師として自覚を持とうと持たなかろうと同じだ。エイルは〈塔〉の力を借りたときと同じようになるべく人目につかなさそうな地点に移動し、そこから歩いて街に向かった。

 東国だな、と思わせるのは街壁の色と低さだ。

 西では白や灰色に近い石を切り出して高い壁を作るが、砂地が多いこちらでは土壁や煉瓦積みがよく見られる。高く作り上げられることは少ないようで、せいぜい大人の男の背の高さふたり分くらいまでだ。西の大きな街ならばその倍以上はある。

 戦時にもなれば守りとしては心もとなさそうであったが、少なくとも物騒な噂は長らく聞かない。そもそもそれは東国の、或いはヨアの事情であってエイルには関係がなかった。

 平時の昼間、特に異常事態が起きてでもいなければ、出入りする旅人やら商人やらをいちいち兵士が取り調べることもない。大きな隊商(トラティア)などは手形の提示を命じられるが、エイルのような若者がふらりとやってきたところで、いつもと同じように、気にとめるものはいなかった。

 そうしてヨアの街を歩きながら、エイルは顔をしかめた。頭痛が〈移動〉のおまけについてきているのだ。

 自分で術を行おうとしなかった少し前までと比べれば、いまのエイルの技術は雲泥の差がある。だがそれでも、魔術による移動は負担が大きい。位置的にはせいぜい塔から東国まで。どれだけ慣れ親しんでいる故郷であっても、アーレイドは遠すぎた。

 とは言え、やってみれば、そう難しいことでもないとは理解できた。頭痛と疲労感は覚えるが、健康な青年の肉体はすぐにそこから回復するし、コツを掴んだと思うたびにそれは軽くなる。ビナレス横断を瞬時に、とは言わないが、少し集中すればできるようになるまで、遠くはないように思う。

 自身の成長ぶりにほんの少し苦いものも覚えるが、少なくともいまは重要なことだ。図らずも自分よりも上位の術師に対抗しようとしているのだから、少しでも上達をした方がいいに決まっている。

 ヨアにやってきたのは、現実的な事情のためだ。どんなに切羽詰まっていても、人間にはどうしても欠かせないものがある。

 〈大事を前に腹を空かす〉というのは空腹のせいで大きな取引に失敗した男の寓話から取られた言葉であり、愚かなことの代名詞だ。腹を空かせて苛ついたり体力を消耗させても何にもならないという――要するに飯を食いにきたのである。

 保つものを少し買って帰るのがいいな、とエイルは思った。保存食などは味気がないが、いまは贅沢を言っている場合でもない。

 青年は食べ物屋の屋台が並ぶ通りをうろつきながら、麺物(ウル)でも食って、あとは堅焼きの麺麭(ホーロ)や干し肉の類でも持ち帰ろうかなどと指針を定めた。

 生憎と気に入りの米麺屋が店を出していなかったから、エイルは隣の串焼き屋に狙いを変え、赤辛子(キラン)が振りかけられた砂漠牛(ブオーグ)の焼き物にかぶりつきながら、またも当て度もない思考の旅に出ていた。

(明後日、か)

 一方的な約束の刻限。

 いったい、明後日の朝やら昼やらも判らない。日付の変わった途端に連絡をしてくることも有り得れば、逆に遅くまで音沙汰なく、エイルを苛つかせるかもしれない。

 とにかく、最短であっても問題のないようにしながら、遅ければ遅いで、その瞬間まで技でも磨くことだ。それしかない。

 人気の揚げ菓子の売り子が声を限りに叫んでいるのを耳にすると、母との約束を思い出した。南方の名物たる油煮込み肉を買っていくと言ったのだ。低温の油で揚げるのではなく煮込むのだと言う。トルスに話したら笑われ、かつがれたんだろうなどと言われたが、上厨房の料理長は違うことを言うかもしれなかった。つまりそれは時間と手間のかかる調理法で、速度と量を要求される下厨房には向かないのだ。

 対して、果物を揚げて砂糖をまぶした菓子などは言うなれば「品のない」食べ物と言うことになる。揚げ菓子は、下厨房では滅多に作らなかったが――冷めてしまえば食えたものではない――西でもそう言う屋台があるにはある。だが暑い地域では糖分の補給は必須であり、甘いものは嗜好品と言うよりも必需品に近い。

(菓子……砂糖菓子(ラトーリ)か)

 ふと、エイルの脳裏に浮かんだのは、クエティスがシュアラに献上(・・)した砂糖菓子のことだった。

(東の菓子だとかって話だったな)

(それを模した(・・・)とかって……偽物野郎が、どのツラ下げて言いやがったんだか)

 あれはずいぶんと品のいい、上流階級向けの一級品だ。串に刺した揚げ菓子とは訳が違う。

(……下手くそだけど宮廷儀礼を知ってるとかって話だったな。俺も見たけど、ありゃ下手っていうより癖だな、と思ったんだっけ。つまり)

(癖がつくくらい、王宮に出入り経験あり)

 そんなふうに考えたが、それが何の役に立つだってんだ、と自嘲混じりに串焼きの最後のひとかけを頬張ったエイルは、ぴたりと動きをとめた。

(何だ?)

(王宮に出入り……下手くそな礼……何かどっかでそんな話、聞いたような)

 しばし考えてみたものの、これだ(レグル)という感覚は降ってこない。エイルは頭を振って判らないことを考えるのをやめた。

(あいつ、東国の王宮にまで出入りしてたんかな)

(そんなふうに幾つもの……あれ?)

 また何か、引っかかった。

(何だ?……俺、その話、知ってるぞ?)

 エイルは額に手を当てた。だが、思い出せない。何だか重要なことのような気がするのに。

(ええい、くそ)

 青年は肉のついていない串を卓に投げつけた。

(思い出せねえ。苛つく)

『……エイル?』

 穏やかな、そして戸惑った声が頭に響いた。ちょうど頭を抱えていたエイルは、そのまま目をぱちくりとさせる。

「ウェンズ?」

 思わず声を出し、おっと、と口をつぐんだ。

『どうしたんですか、荒れてますね』

(いや、ちょっと、気になることが思い出せなくて)

 エイルは素直に答えた。

(そっちこそどうしたんだ、何か判ったのか)

『いえ、申し訳ありませんがお話しするほどのことは』

 すまなさそうな声。

『ただ、あなたの気配が近いようなので……どうされたのかと』

「近い?」

 思わず、また声が出た。

(どこにいんだよ?)

『お判りになりませんか?……ヨアです。同じ街ですよ』

「はあ?」

 これはけっこう大きな声になった。隣の客が怪訝な顔をする。エイルは咳払いをして取り繕った。

『いま、お邪魔してもよろしいですか?』

(かまわねえけど)

 エイルは頭をかいた。

(何でこんなとこに? 協会(ディル)の仕事か?)

「あなたを手伝っている間は、協会の任を免ぜられています」

 急に――現実の声がした。

「おいっ、おまっ……」

 エイルは慌てて周囲を見回したが、先の隣の客でさえ、何か奇妙なことが起きたというような顔は見せていない。

「……何、やったんだ?」

 小声でアーレイドの駆け出し魔術師が問えば、エディスンの魔術師は笑った。

「目眩ましの一種ですね。ご入り用ならお教えしましょうか?」

「頼む。ああ、でもまた今度な。いまは、手いっぱいだから」

 そう言って手を振ってからエイルはふと気づいた。

「目眩ましって言や、今日もないな」

 言いながら彼は自身の顔の右半分に手をやった。ウェンズは首を傾げ、ああ、とうなずく。顔の右半分に派手な傷跡を持つ青年に、今日もその痕跡はない。

「あれはいささか、目立ちますから。変装のようなものだと思ってください」

「何でだ?」

 つい、エイルは問うた。

「何故って……目立たない方がよいでしょう? 情報収集の類でしたら、特に」

「いや、『何で変装するのか』じゃなくて、何で普段からやってないんだ、ってこと」

 以前にタジャスで見かけたときも思ったものだ。そういうことができるならやっておけばいいのに、と。

「あれはですね、自戒なんです」

 ウェンズは穏やかに笑って言った。

「自身の力が足りずに冥界へ足を半歩踏み入れた、そのことへの戒め。或いは、意地ですね。次には負けるものか、と言うような」

 「次」などない方がいいですが、などともウェンズは言った。


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