01 俺のやることを寄越せ
だいたい、無茶苦茶である。
偽物屋が作った偽物を本物だと偽って偽物屋に渡す?
そのまま道端で「相談」をしながら、エイルは改めて頭痛を覚える思いだった。これはもちろん魔術の後遺症ではない。
ゼレットはその案を「天才的だ」と言い、オルエンまで乗ってきた。そうなるとエイルの真っ当なる意見――騙せるはずがない――は、一瞬とかからずに却下される。
オルエンが「偽物を本物らしく」してくれると言うのならば、見破られないかもしれない。だが、それはいつまで続くものか? 未来永劫、などということがあるのか? そう言われたところで信じられるか? その場をうまく騙せたところで、あとで気づかれるのでは? その「あと」は半刻後なのか半月後なのか半年後なのか、はたまた半期後であるものか?
エイルはずっと、胃を痛くしながら母の身を案じなければならないことになる。
王女については、客観的に考えればあくまでも脅しだ。彼自身の感情としては不安に思うが、クエティスやコリードはあくまでも「個人」。王城都市を敵に回すのは危険すぎる。
嫌な考え方になるが、エイルへの脅しならアニーナだけで十二分なのだ。もしあのとき彼が理性的に動いて、「母に情はない」というふりでもしていればともかく、弱みであることをこれでもかと見せてしまっている。いや、どれだけ上手に演技をしたところで、案じて様子を見に行っている時点で無駄だっただろう。
オルエンは、クエティスに諦めさせるか、或いはエイルが要らなくなれば呪いを解いて本物を偽物とすり替えればよい、などと気軽に言ってきた。それは名案ですねと言う気にはなれないが、ほかにどんな方法も思い浮かばない。
三日で呪いは解けぬと師匠は言い、呪い付きで渡すことは絶対にできないとすれば、あとは戦うか騙すか。説得を試みるという選択肢もあるにはあるが、無駄に終わることは〈真夏の太陽〉並みに明らかだ。
戦いはどうにも分が悪く、そうなれば残された道はひとつしかない訳だが、決意は難しかった。万一のことがあれば危険にさらされるのは、彼の母なのだ。
(となると、戦う?)
分は悪い。
(……少しでも悪くなくさせるためには、努力しかないな)
「戦う」と決めた訳でもなく、葛藤中だ。
だが、「騙す」と決めたとしても、コリードにうかうかと考えを読まれでもしたら全てご破算。先だってコリードはそれをしなかったが――魔術の標的にされれば魔術師には判る――、それは敵対的な術、転じて攻撃的な術であると判断されることを避けたのかもしれないし、次は判らない。
どういう形であれ、あれに対抗するためにエイルは魔力を磨かなければならない。
(これが「きっかけ」だってんなら)
エイルは鼻の頭に皺を寄せた。
(あんまり「いい」とは思えないけどな、クラーナ)
吟遊詩人は、魔術師としての道を行くのでも、そうでないのでも、「エイルのために、何かきっかけがあるといい」などと言った。
青年は「魔術師エイル」である自身を否定しなくなってきた。それはラニタリスのためもある。そしていまでは、やむにやまれぬ事情があるとは言え、積極的に術を高めようとしている。
この道は、いったいどう進むものか。
彼には見えない。誰にも、見えない。
神と呼ばれる存在ならば全てを知っているかもしれなかったが、少なくともそれを彼に教えてくれることはない。
「何をうじうじと考え込んでおる」
師匠の手厳しい言葉が飛んできた。
「だっ、誰がだよ。あんたらと違って真っ当なことを考えてただけだっ」
「王女殿下と母上が心配なのだな。当然だ。だが城には立派な守護者がおるだろう」
「まあ、確かに、います」
ゼレットがわざわざその語を選んだことに少し苦笑しながら、エイルはうなずいた。
「ならば母上が気になるという訳だな。何なら、もうひとりの守護者が守ってやっても」
「お気持ちだけで十二分です」
素早くエイルは言った。本気ではないと思うが――いや、ゼレットに関する限り、油断はしてはならない。
「よし、三日後だったな」
オルエンはひとつうなずいた。
「ならば私は、明後日の夜には塔を訪れよう。そこで術を施してやる。さて」
師匠はそう言うと、いきなりエイルに指を突きつけた。
「なっ、何だよ」
「考えをまとめるのならばよいが、散らすのはやめろ。無意味なだけではない、混沌に支配されるだけだ。そうだな、気分が落ち着かなくても、三刻に一度は腰を落ち着けろ。魔術の鍛錬でも剣術の鍛錬でも、その両方でもして時間を送れ。よいな」
「……判った」
オルエンのはっきりした指示は珍しい。エイルは反射的に反発をするよりもその意味、忠告の有用性を知ってうなずいた。
実際、彼にできるのはそれだけだ。
「では私は行く。何か判れば〈塔〉に知らせておく。どうしても私に連絡を取りたければあやつに頼め」
「何だって?」
エイルは顔をしかめた。
「あの野郎、やっぱ、あんたの居所知ってやがったんじゃ」
「知らぬ」
オルエンは首を振った。
「ただ、あやつの言葉を聞けるように私が準備をしておくだけだ。お前を主とするものを疑うのはいい加減にやめろ」
「誰のせいで疑心暗鬼になると思ってんだ」
「その塔とやらには、お前の臣下でもいるのか」
少し面白そうにゼレットは言った。
「そんな立派なもんじゃないです」
エイルは渋々とそれだけ言った。ゼレットには砂漠の話などもしているが、「塔」それ自体ですとはさすがにちょっと言いにくい。
「建物の管理人のようなものだ、ゼレット殿」
オルエンは澄まして言い、エイルは吹き出すのをこらえた。
「それでは閣下。会えてよかった。今後とも我が弟子を可愛がってやってくだされ」
「あのなっ、冗談は顔だけにしやがれ!」
エイルはこれには反射的に返したが、ゼレットはにっこりと返答をした。
「それはもう、お任せいただこう」
今後ゼレットが、師匠公認などと言い出すのではないかと、エイルは頭を抱えた。
「では、次は」
そうしてオルエンは――文字通り――姿を消し、エイルがまた考え込みそうになると、ゼレットが声をかける。
「はい?」
「オルエン殿はきてしまったではないか。俺のやることを寄越せ」
「いや、あの、ええと」
「やはりお前の母君を守りに」
「要らんですっ」
「何を言う。必要なのだろう」
「ゼレット様にやってもらう必要は、少なくともないですっ」
それよりは町憲兵の友人ザックにでも頼み込む方が余程自然で有用だ。
「だいたい、魔術でアーレイドまで跳んだり、したいんですか」
「それは、あまり楽しくないようだが」
「でしょう。ゼレット様はおとなしくカーディルに帰ってください。力を借りたいと思えば、俺はちゃんとそう言います。俺にどうしても連絡を取りたければ、協会を使ってください。アーレイドに伝言してくれればいい。頼みますから、俺にここで時間を取らせないでください」
真剣に言うと、さすがのゼレットも言葉に詰まったようだった。
「ミレインにだって会いたいんじゃないですか」
エイルはゼレットの気に入りである女性執務官を持ち出した。シーヴに対するレ=ザラほどではないが、多少は力があるはずだ。
「彼女だって待ってますよ、きっと」
「何を言う。あやつが『お留守の間は寂しくて胸が張り裂けそうでしたわ』などと素直に言う女だったら、俺はとっくに求婚を承諾させておる」
「素直に言う女性だったら、最初から求婚なんかしないんじゃないですか」
〈逆さま精霊〉、の一語がまたエイルの内に蘇った。
「どうせ、結婚してもしなくても、ゼレット様とミレインの関係は変わらないですよ。だいたい、本当に伯爵夫人になったら執務官業はどうすんです。ミレインほど優秀な人なんて見つかるんですか」
「ううむ」
「彼女なら並行しようとするでしょ。そしたらただでさえ大きいミレインの負担がますます大きくなって、ゼレット様に一切かまってくれなくなりますよ」
「ううむ」
「ゼレット様だってそれくらい判ってるんでしょ。ミレインの言う通りです」
「あやつが、何と言った」
「『求婚は閣下の遊び』」
「……ううむ」
ゼレットはうなり続けた。
「ううむ、やられたな。ミレインの言葉にではない、お前にだぞ、エイル」
「俺が、何言いました」
「あやつを抱きたくなってきた。仕方ない。帰ろう」
この辺り、ある意味、素直でよい、などとエイルは思った。
「何かあったら知らせるのだぞ。いや、何もなくても知らせろ」
「無茶言わんでください」
「何が無茶だ。お前から連絡がなければ、俺は魔術師協会を使ってでもお前にせっつくぞ。どうしている、問題はないか、俺の助けは要らんか、次はいつくるか、そろそろ俺に抱かれる気になったか」
「永遠になりませんっ」
有能なる執務官への愛情を口にした舌の根も乾かぬ内にこれとは、冗談半分であろうとさすがに呆れそうだ。
「帰る気になったならさっさと帰ってください。俺はこれ以上つき合いませんよ。何しろ、俺はいっそ笑えるくらい時間が」
ないのだ、と言おうとして――青年ははたとなった。
「やべ」
「どうした」
「ひとつ、直近の約束を忘れてました。それじゃゼレット様、また」
そう言うとエイルは伯爵に文句も苦情も言わせる間を作らずに踵を返し、タジャスの魔術師協会へと駆け込んだ。