10 面倒な真似はせん
「それは」
エイルは、要らない。クエティスにくれてやるのも悔しいが、意地悪で保管しておこうと思っている訳ではない。
しかし、ラニタリスと〈風謡いの首飾り〉の関わりとは? ラニタリスに影響を及ぼすもの、それを魔鳥の主である彼は持っているべきなのか、その必要はないのか?
「判らない」
彼はまず、そう言った。
「判らない内は、結局、渡せないってことになる、か」
「さもあろう。ならば呪いの有無は問題ではない。解呪を考えるのはあとだ。三日後は、すぐにくるのだからな」
その言葉は「まだ」覚悟を決めなくてもよいという安心材料であると同時に、「ではほかにどうしたらいいのだ」という悩みの種でもあった。
「でも、偽もん渡して向こうが騙されてくれたって、それで終わりにもできない。いつ気づくか判らないだろ。そうしたら」
危険にさらしたくない人たちに、再び危険が迫るやもしれない。振り出しだ。いや、そうではない。クエティスが腹を立てれば――立てるに、決まっている――報復とばかりに強い手段を取られる危険性だって。
「確かにな」
師匠はそれを認めた。
「呪いがなくても渡せぬということになれば、厄介だ。お前は生涯、王女と母を守るか、そうでなければクエティスを殺すか」
「おいっ」
そんな物騒なことはしたくない。「母を傷つければ殺す」と吐いた言葉は上っ面ではないが、誰かを殺したいなどとは思わないのである。
「嫌ならば、クエティスに首飾りなど要らないと思うようにさせるしかないな」
「どうやって」
「それを考えるのもあとだ」
オルエンは手を振った。
「呪いを解いたあとで渡せるということになれば、簡単だが」
「本当か?」
胡乱そうにエイルは言った。オルエンの「簡単」は疑わしい。
「おお、簡単だとも。渡した偽物と、呪いを解いた本物をすり替えればよい」
さらりと師匠は言い、エイルは頭を抱えた。あまり簡単とは、やはり思えない。
「偽物を渡すってのはもしかしたらもう既に前提なのか?」
エイルは仕方なく問うた。前提になっているように思えるのだが。
「そうだ」
オルエンはあっさりと答えた。
「偽物に更に細工をするというのは、悪い案ではないぞ」
師匠はそれを蒸し返した。
「何なら、偽物用の呪いは私がかけてやってもいい」
「……まじか?」
エイルは目をしばたたいた。そんなふうに直接的に「助力」を申し出てくれるとは思わなかったのである。
「生憎とコリードを懲らしめる訳にはいかんが、それくらいならば」
「何故だ」
聞いていたゼレットが不思議そうな声を出した。
「弟子を窮地に陥れる魔術師を退治てやる訳にはいかないと?」
「それはな」
オルエンは苦い顔をした。
「魔術師同士には、複雑な事情があるのだ、魔術師ではない閣下」
「ふん」
ゼレットは鼻を鳴らした。
「そのような言い方で『魔術師ではない』俺が引くと思えば間違いだ、オルエン殿。たとえエイルがそれで納得していたとしても、簡単に引きはせぬぞ」
「ゼレット様」
エイルは伯爵のマントを引っ張った。
「いいんですよ、そういう……もんなんだ」
「よくはない。俺が納得せん」
「納得してください」
あまりしつこいことを言えば、オルエンはまた術を使うかもしれない。それがゼレットに害を及ぼすことはないが――知っていて見過ごすような形になるのは心苦しい。
「よい男に好かれておるな、エイル」
しみじみという調子でオルエンが言う。
「それはやめろ」
エイルはオルエンを睨んだ。
「いいですか、ゼレット様。オルエンの魔力はすごいんだ。言いたかないけど滅茶苦茶すごい魔術師なんです。そういう術師は、自分に厳しすぎるほどの制約を課す。そうしないと、大きな均衡を崩すことに、なるから」
「エイル」
驚いたように目を見開いたのはオルエンだ。
「お前、いつの間にそんなことを」
「……いや、俺いま何て言った?」
当のエイルが目をしばたたいた。考えて口にしたのではなく谷間に水が湧き出るかのようにすうっと出てきた言葉だった。と同時に、たとえば誰かが彼の身体を使って勝手に話をしたというようなことではなく、間違いなく彼自身の言葉。
「何だかふっと判った気がしたんだ。これだって感覚」
彼は自身の言葉を反芻した。
「誰かが言ってた。誰だったかな……クラーナ? それともウェンズか、フェルデラ協会長……ローデン術師だったかな」
「フェルデラに――ローデン」
「いや、『誰か』ってんじゃない、それぞれが言ったことが急に繋がった気が、した」
オルエンの呟きは特に気にとめず、エイルは首を振った。
「何か、聞いたときはどれも意味がよく判んなかった。言葉面だけで判った気はしたけど、腑に落ちたのは、いまだ。あんたは困った韜晦爺だけど、それは別に面白がってるのでも嫌がらせでもなくて、そうせざるを得ないんだって」
「驚いた」
本当に驚いたようにオルエンは言う。
「予想以上に、成長しておるな」
「そう、なのかな」
「お断りだ」「嬉しくない」とは言わず、エイルは不安そうに言った。
「俺には判んねえけど」
「俺にも判らん」
堂々とゼレットは言う。
「魔術師ではない俺がうなずくだけの理由をもらおう。さもなくば、俺はおぬしがエイルを手伝って助けているなどとは信じられぬ。おぬしがどれだけの術師なのかは俺には判らぬが、エイルの言うように膨大なる魔力を持っているのならば、なおさらだ。力を小出しにしながら、俺のエイルを弄ぶような真似をすれば」
「誰がゼレット様ので弄ばれてますかっ」
ここに出る抗議は真っ当かつ反射的だ。
「弄ぶ!」
オルエンもまた笑った。
「可笑しい話ではない、俺は本気だ」
むっつりとゼレットは言った。
「そうとしか見えん、術師。手助けると言ってエイルに期待させ、いちばん重要なところを放置する。それが、弄んでいるでなくて何だ」
「あいや、判った。そなたの言い分はよく判った」
オルエンは笑いながら片手を上げた。
「そうだな、確かにそのように見える。エイルがよく納得したものだ」
「不思議がるなっ」
「簡単に言えば、閣下。エイルは幼子ではない。自分でやるべきことはやる、できなくてもやるべきだと思えば挑む、歴とした大人の男だ。そなたとて、彼の行く先にある小石を全部片づけてやろうとは思うまい?……それとも、思うのかな?」
「話を逸らすでない。ごまかされぬぞ。その言葉は師匠として当然のことであり、立派なものだ。だが貴殿は、弟子がまだ学んでいない段階に挑まねばならないというのに、そのような懐の広い師匠の振りをするのか? それは師弟ではないな。自分に都合のよいところだけ手を貸し、面倒ごとは『自分でやれ』と言う、それは召使いに寛大なふりをする主人だ」
「ずいぶんな言われようだな」
オルエンは肩をすくめて弟子を見た。
「召使いだそうだぞ、エイル」
「俺かいっ」
反射的にエイルは返したが、生憎と場は和まなかった。
「答えを。オルエン殿」
ゼレットは静かに言った。
「貴殿は、エイルを助けるのか。助けた気になりたいだけなのか」
「その二者択一ならば」
オルエンは薄灰色の瞳でゼレットの濃い茶のそれを見返した。
「後者、だな」
「――ふん」
ゼレットはじろじろとオルエンを見た。
「左様か」
「左様だ」
「ならば、俺に言うことはないな」
「は?」
展開について行き損ねてエイルは間抜けた声を出した。オルエンの答えはエイルには「さもありなん」であったが、ゼレットにとってはそうではないだろうと思ったのに。
「判っているのならよいということだ。よいかエイル」
伯爵は青年に顔を向けた。
「お前を真摯に思っておるのは、俺だけだぞ」
「……何でそういう結論になるんですか」
真顔で言われてエイルは力が抜けるようだった。
「当然の結論であろうが。つけ加えるならば俺は、お前の行く先に転がっている小石を拾うなどという面倒な真似はせん」
ゼレットはにやりと笑った。
「抱きかかえて運んでいってやろう」
「お断りします!」
力いっぱいエイルが言えば、オルエンが笑う。
「よい! 実によい。何ともよい男に惚れられたな、エイルよ」
「だからそれはやめろっ」
いったい何が伯爵を納得させ、師匠を楽しませるものかいまひとつ判然としないまま、エイルは癖になりつつある反論をした。