06 挨拶とやらは
次の問題は、どうやってゼレットの引き留めから逃れようか、と言うことだった。
エイルにとって世界二大困った伯爵閣下の内のひとりは、エイルが去ろうとすれば盛大に文句を言うこと間違いなしだからだ。
「もう一度言っておきます」
エイルは咳払いをした。
「俺には、時間がありません」
「そういう話であったな」
ゼレットはうなずくが、納得してくれたと安心はできない。
「もしオルエンが現れたら、俺に連絡させてください」
「お前は、どこへ行く」
「それは」
エイルは躊躇った。隠そうというのではなく、決まっていない。
「まず、魔術師協会です。その先は、未定」
正直なところを答えた。
「ふむ」
言うとゼレットは両腕を組んだ。
「ではまず、城下までともに散歩と洒落込もう」
「……何もわざわざ」
「文句は言うな。どうせそのあと、どこかへぱっと跳んでいくのだろうが。少しくらい俺につき合え」
「いいんすか」
エイルは目をぱちくりとさせた。
「その、どっか跳んでっても」
「よくはない。だがオルエンがくれば戻ってくるのだろう。彼がやってこないならやってこないで、お前は俺に連絡せざるを得まい。そのときには時間がないなどと言わせず、存分に相手をしてもらおう」
ゼレットが言う場合においての「相手をする」にはいささかロウィルの香りがしたが、エイルはそこについて考えることはせず、ただ苦笑をして「ともに散歩」に応じた。勝手なことばかり言うようで、エイルが本当に困ることは決してしない。そういう人だ。
できれば、「本当に」とまではいかずとも、「少し」困ることも含めて避けてもらえれば助かるとは思うが。
「それで、何をそんなに時間がないと言っているのだ」
外出用に薄手のマントを羽織ったゼレットは、いかにも「貴族」めいてみえた。実際「伯爵閣下」である訳だが、言動を見ているとエイルにはとてもそう思えないことがあるのだ。
だが薄く軽い上質のマントは所有者が富める者であることを知らせる。淡い黄の色合いは「春物」と言うが相応しく、つまりそれは季節に合わせて質のよいものを用意できるだけの、或いは用意すべき身分にあるということになる。庶民は、せいぜい真冬のための防寒着が一、二枚だ。
エイルはまた、夏物冬物として二着くらいはローブがあってもいいなと考えたことを思い出した。なかなか買いに行く余裕はない。
「ちょっとばかり期限を区切られまして」
伯爵の質問に、エイルは気軽な振りをして答えた。
「あと三日……いや、正確には今日の残りとあと二日で、やらなきゃならないことが大量にあるんですよ」
「何をするのだ」
当然の問いである。どう答えようかエイルは迷った。
「例の呪いを解くこと」
これくらいは言ってもかまわないだろうと、彼は簡単に真実――の一端――を告げた。
「首飾りのか? これまで、何月もかかずらっていたのにできなかったのではないのか」
「その通りです。ま、これまではそれにかかりっきりにはなれなかったこともあって……というより、ほかが忙しくてろくに手を掛けられてなかったんですけどね」
ラニタリス。シーヴ。エディスンとの関わり。そちらに手一杯で、首飾りの「呪い」についても大して判っていない始末だ。
「オルエンはもしかしたら、タジャスに鍵があると考えてる」
「呪いがもたらされた地であるからか」
「そうです」
エイルはまた言った。
「たぶんそう思ってるんだろう、ってとこですけど。あの爺様は簡単に口、割らないんで」
ウェンズあたりであれば「高位の術師はその影響を怖れて他者に道を指し示すことになるような行為を避ける」などとエイルに説明したかもしれないが、もちろんゼレットはそのようなことは知らないし、当然、言わない。
「何故、あと三日、いや、二日なのだ」
「ええと」
どう言おうか。
「せっかちなのが、区切ったんです」
「丁寧な挨拶をしてきた、魔術師か。コリードとか言う。つまり、そうしろと強要されているのだな。となると……挨拶とやらは、恫喝、恐喝の類か」
エイルは笑い飛ばそうとしたが、いささかそれは引きつった。
正確なところを言うならばそう告げてきたのはクエティスだが、同じ一味であることは間違いない。しっかり話を覚えている上に的確な判断をするカーディル伯爵に、エイルは天を仰ぎたくなった。
「それでも、危険はないと?」
「何のことです」などとごまかすことは、意味がなさそうだ。エイルは肩をすくめた。
「俺には、危険はないです。あるかもしれないのは、俺の大事な人たち」
「三日以内に首飾りを寄越さなければその者たちを傷つけると、そう脅されたか」
結局、全部知られた。エイルは嘆息する。否定してみてもいいが、おそらく騙されてはくれまい。
「――それで、シーヴ青年を帰した、と」
「……半分、当たりです」
エイルは渋々と言った。シーヴと分かれたのはクエティスに脅迫を受ける前だが、コリードの存在のために危惧が増したというのは事実だ。