08 よし、こうしよう
「それからエイル。俺はそもそも、お前に尋ね人を見つけてほしいなんて言ってないがね」
そんなことができるならクラーナの居場所なんて聞きにこんだろう、とシーヴ。確かにそうだ、とエイルは納得せざるを得なかった。
「じゃあ、何だってんだ? 何にしたって、俺にできることなんてたかが知れて」
「はん?」
シーヴが馬鹿にするように笑うのを聞いて、エイルは腹を立てるよりも目をしばたたいた。できないことを「できる」と言って笑われるのなら判るが、素直に「できない」と言って何故、馬鹿にされなければならない?
「たかが知れてる。はん? たいていの人間はお前が素直だとそれを信じるだろうが、俺は騙されないぞ」
「誰が騙すって? 人聞きの悪い」
エイルは心外そうに言った。実際、心外――中傷もいいところだ。
「あのな、もし理解してないなら言っとくぞ、シーヴ。俺には、〈変異〉の間に振るったような力はもう」
「それがないのは判ってるさ。エイラがいないのと同様にな」
その名を耳にしたエイルはむせた。そうすると香辛料が鼻にまでやってきて、涙目にすらなりそうだ。
「それはやめろっ。リャカラーダ王子殿下と呼ぶぞっ」
「別に俺は、その名でお前を呼んだつもりはないがね」
王子は澄まして言った。
「オルエンがお前に張り付いてる理由は何だ? 本当に見込みがなけりゃ、あの爺さんはとうの昔にお前を放り出してるさ。つまり、お前にはけっこうな素質が、ある」
「……嬉しくない」
エイルはどうにかそれだけ言うと、顔をしかめる。シーヴはにやりとした。
「いい加減に覚悟を決めろよ。剣や料理場との掛け持ちなんて、いつまでも続くもんじゃないぞ。俺としちゃ、どっかに絞ることを勧めるね」
「この野郎。落ち着いたふりしやがって」
先輩面して言う幾つか年上の相手をエイルは睨みつけた。
「んなこと言うなら、てめえも『リャカラーダ』一本に絞ったらどうだ?」
言ってやると、今度はシーヴの方が言葉を失う。
「それは、やられた」
第三王子が瓏草を消しながらようよう言葉を捻り出すと、ざまあ見ろという気分になる。言われっぱなしは面白くない。
「それで探し人じゃなけりゃ、何をさせようってんだ?」
「もう少し話の続きをしよう」
シーヴはそう言って話題を戻した。
「そのことがあって以来、俺は余所からくる人間にまめに話を聞いてるんだ」
「伯爵閣下自らか?」
「ただの一青年、シーヴが、だよ」
ランティム伯爵はきれいに片目をつむった。
「余所の人間にゃ判らんからな」
「そりゃ詐欺ってんだ」
エイルは呆れて言ったが、シーヴは悪びれない。
「誰かが聞き出して俺に報告するなんてのより、手間が省けていいだろうが」
「お前、いまに本当に刺されるぞ」
新しい町にやってきて、ちょっとした箔付けくらいの意味で過去の悪事を話しでもしたら、その相手が町の最高権力者だったなどというのは――もちろん、町を守るためには重要な情報だろうが、相手の逆恨みを買いすぎるくらいに買うことも容易に想像がつく。
エイルは半ば以上本気で忠告――脅しではない――をするものの、シーヴは聞く耳を持たないようで、そのまま続ける。
「聞けば、そういう話はちょくちょくあるらしい。西で喜ばれる『砂漠の神秘』を売りにして、どうってことないものを大金で売りつける小悪党なんかは前からいたが、わざわざ偽物を作って売るなんてのは、これまでには聞いたことがなかった。それが」
「ちょくちょく、あると」
エイルがあとを引き取ると、シーヴはうなずいた。
「例の商人はランティムの職人が作った品の模造品を買ってたから、ああしてランティムに文句を言いにきた訳だが、ほかでもあるのかもしれん。これは見過ごせない」
「まあ、判るよ」
エイルは言った。
「ランティムにしてもシャムレイにしても、あの町の商品は質が悪いとか、旅人を騙す性質の悪い場所だなんて噂が立って隊商がやってこないようになったら痛手だもんな」
ランティムはシャムレイに納税をする町のひとつで、そこの領主であるリャカラーダ伯爵は、当然、シャムレイ王に仕える立場である。
シャムレイ王の支配が及ぶ土地のなかでだけでも交易はあったし、たとえばスイアンの織物は質がよく、意匠も華やかで若いご婦人に人気があるとか、アドールで作られる乳酪酒はほかの村のものより味が濃くて高値で売れるとか、そうした評判は出回る。
シャムレイは王城都市であるからして多少の悪評はものともしないが、ランティムや同規模の小さな町はそうはいかない。
「まして、ランティムで新しく領主の座にいるのは『あの』放浪王子リャカラーダときた。商人としては、恩を売ってみてもすぐに忘れてどこかに旅にでも出られては、貸しの作りようがない、なんてことも思われる。悪い噂を押してまでやってくる商人はいないだろう。不出来の領主は事実でもあるからして仕方ないが、根も葉もない噂でランティムが寂れては困る」
「そこで、立派な領主として精進することに?」
「無論だ」
シーヴは胸を張った。
「この話が何処まで広がってるのか、調べなけりゃならん。それに、もちろんその旅人の行方もな」
つまり、と砂漠の王子は言った。
「その話を追う。その男も捕まえて、とっちめる。必要なら、裁きにかける」
普通は逆、ましてや領主なら裁きが先だろう、という突っ込みをエイルはかろうじて飲み込んで口を開いた。
「だから、俺にはそんなふうに人を追えないって」
「何も、お前に追えとは言ってないだろう」
シーヴの澄まし顔をエイルは計るように見て、それから、呪いの言葉を吐いた。王子殿下にして伯爵閣下のご要望が判ったのである。
「阿呆かっ、お前の脱走の手伝いなんかしてやらないぞっ」
「この馬鹿、大声で不穏なことを言うな」
友人同士は互いに行儀の悪い呼び合いをした。シーヴが咳払いをする。
「何も大げさな脱出劇を繰り広げようって訳じゃない」
シーヴの言葉はつまり、大げさだろうがひっそりだろうが、彼がそれを「脱出」と認識していることを示した。
「そうだな、ほんの半日ばかり、俺の不在がヴォイドとレ=ザラに気づかれなければいい」
「それは、半日で戻ってくる……という意味、だといいなあと、期待をしたいところなんだが」
実に消極的にエイルは声を出した。
「もちろん」
シーヴはにっこりと笑った。にやり、でないのが却って不気味だ。
「半日あれば充分遠くまで行ける、という意味に決まっているだろう」
「お前なあ」
エイルはどう言ったものかと頭を抱えた。
「お前は、人を使う立場だろう。信用できる人間に命令をして、座って結果を待ってりゃいいのさ。何も自分で動かなくても」
「ヴォイドやレ=ザラと同じことを言うんだな、エイル。いつからそんな頭の固い人間になった」
シーヴがため息混じりに言えば、エイルはじろりと睨む。
「俺は、ヴォイド殿やレ=ザラ様に呪い殺されるのはご免だって言ってんだよ」
エイルはほとんど悲鳴のような声を出した。対するシーヴは、ため息混じりに首を振るだけである。
「よし、こうしよう」
シーヴは、ぱん、と手を叩いた。
「今回、俺に協力すれば、過去にお前が働いた詐欺は不問に処す」
何の件について言われているのか、問い返すまでもなかったが――問い返しなどすれば、〈蜂の巣の下で踊る〉のと一緒だ――はいそうですかと認められることでもない。
「あのなっ、何が詐欺だっ。てめえ、言うに事欠いて」
「申し開きができるなら、いつでも受けて立つが」
エイルが怒鳴るように言えば、シーヴは両腕を組んでちろりと彼を見る。明らかに分が悪い。悪すぎる。
「だから、あれは」
エイルは頭をかきむしる。
「俺のせいじゃ、ないっ」
「それで、決断は」
全くもって事実であるところの抗議の台詞は、無視された。
「本当に、今後二度と、『その件』に触れないと誓うか」
「砂の神にかけて」
シーヴは片手を上げ、砂漠ふうの誓いの仕草をしてみせた。
「それから、無茶はしないこと」
「無茶をしようと思って、する訳じゃないが」
「いいから誓えっ」
「仕方ない」
「それから」
エイルは嘆息してから続けた。
「道中で意見が分かれたら、俺の言葉に従うこと」
「……何?」
シーヴは片眉を上げた。
「別に俺は、お前についてこいとは一言も」
「言ってなくても放っておけるか」
エイルは苦々しく言った。
「放っておけばいいだろうが。お前は、忙しいんだろうに」
「あのな。いいか、リャカラーダ王子殿下」
彼はじろりと友人見る。
「俺がこう言うのは、協力を断ろうと断固反対しようと、お前がやると言ったら意地でもやるこた、判りきってるからだよ」
「それじゃ」
シーヴは戸惑った顔をしていたが、不意ににやりとした。
「積極的にご協力いただけるということだな」
「……ほんとに、俺は、手いっぱいなんだけどな」
洩らした本音は、シーヴの笑いを――してやったり、というような――誘うばかりであった。