07 ちょっとした問題
ランティムは小さな町で、シャムレイの「不肖の第三王子」が治めるには手頃な大きさということらしかった。
シーヴ、いや、リャカラーダはレ=ザラとの婚礼を迎えるとすぐにこの町へ移り、ヴォイドをはじめとする優秀な執務官の補佐のもと、一年経っても慣れぬ行政に四苦八苦する日々というところだ。
そんななかでエイルの訪問は非常に気晴らしになるらしく、友人がやってくるとなかなか放さない。よってエイルはヴォイド執務長にますます睨まれるようになるのである。
彼らの気に入りである〈野狐の穴蔵〉亭は、強烈な東国の日差しが入り込まず、かつ風の通る造りになっていて、町びとたちにも人気の食事処だった。
町の者たちはリャカラーダ伯爵の顔を知っているが、同時にシーヴの顔も知っている。この店の常連たちは彼を領主としてでなく、顔馴染みの仲間として扱ったから、シーヴはたいていここにきた。
エイルがランティムを訪れる際もほぼ必ずここにやってきていた。つまり、この町にやってきてシーヴと語らっていたのに館でそこまで顔を知られていない、ということは、ここが彼らのお決まりの店だったということだ。
ただ、いくら奔放なる支配者であっても、毎日のように町へ下りて食事を取る訳にはいかない。エイルも基本的にはシーヴの邪魔をしたくないしヴォイドに睨まれたくもないから、気軽に「飯でも食おうぜ」と声をかけにはいけない。
となればその伝言役として、この食事処の下働きにして城の厨房に荷運びをするロンダ少年が活躍をしていた。
「あ、シーヴ。エイルも。俺が走ってないのにふたりがここに揃ってるってことは、俺はお払い箱?」
十歳前後のロンダは彼らを認めると、少し不満そうに言って若者たちを見た。
「今日はたまたまだ」
エイルはそう言った。彼としては、シーヴを町に連れ出すつもりはなかったのである。
「今後も頼むぞ」
シーヴが続けると、黒い肌の少年はにっこりと笑った。
「そうこなくちゃ」
「それじゃ炒飯をふたつ。空腹なんでな、急いでくれとバッグに言ってくれ」
「了解!」
少年はふざけて敬礼などすると、ぱっと厨房へと駆け戻る。
「子供はいつでも元気だな」
「自分があれくらいだった頃を思い出すよ。まめに仕事をくれる人間には懐くもんだ」
「仕事ったって、銀貨を数枚ばかりだが」
「下町のガキにはそれが大きいのさ、よく覚えとけよ」
リャカラーダ・コム・シャムレイは支配者階級、貴族階級としては有り得ないくらいに型破りで世俗の知識にも長けているが、それでも下町の厳しさを身を以て体験してきたエイルに言わせれば「お坊ちゃん」だ。銀貨一枚で飢えをしのぐ方法など、考えたこともなかろう。
それが腹立たしいとか気に入らないとか言うようなことはなかったが、ここは一生壊れない壁だな、と思う。だがそれはそういうものだ。エイルには逆に、王子に生まれた苦労など判りはしない。それでも彼らは友人で、それでいいのだ。
暑い地方に特有の、香辛料を利かせた炒飯が運ばれてくると、実はな、とシーヴは話をはじめた。
「ランティムはいま、ちょっとした問題を抱えてる」
「出来の悪い困った領主のほかにか?」
エイルがにやりとして混ぜ返すと、シーヴは片眉を上げた。
「その通り。出来の悪い、困った、人騒がせな領主のほかにだ」
辛い飯を口に運びながらシーヴは平然と付け加えて返し、エイルは肩をすくめた。自覚があったところで、改める気がないのではどうしようもない。
「先日、西から隊商がきてな。ここからシャムレイへ行くのにちょうどいい街道が通ってるし、隊商がやってくること自体は珍しい話じゃないんだが、その商人はわざわざランティムを目的地としてやってきたんだ」
これは珍しい、と領主は言った。
「うちにはろくな特産はない。西から初めてきた人間でもあれば気を引くものの山だろうが、しょっちゅう交易をしている商人なら何も物珍しくないものばかりだ。食料や水の補給にはいいだろうが、それなら街道上のどこでもかまわない」
「それじゃ、何をしにきたんだ?」
エイルは当然の問いを発した。
「苦情を言いにきた」
「苦情?」
「ランティムの商品を買ったが、粗悪品ばかりだったと言うんだな。しかし、どこの店で買ったかとなるとはっきりしない。たまたま俺が町にいたんで」
「たまたま、ね」
香辛料の強さにかいた汗を拭いながらエイルが繰り返せば、シーヴは唇を歪める。
「うるさい。詳しく話を聞いてみれば、ランティムの品だと言われて旅人から買ったと言う。そんなことまで責任を持てるか、と突っぱねてやろうかとも思ったが、向こうも困ってたんでな、少し調べてみることにした」
反感を買うことを承知でかなり厳しい調査を行ったが、該当する商家は見つからなかった、というようなことをシーヴは語った。
「幸いここの住民は心が広いんで、ついでに見つけた多少の不正を罰しても、俺が背中を狙われることはないようだが」
「……おいおい」
何となくエイルは周辺を見回した。シーヴの台詞は常連客たちの耳に届いてはいないようであり、届いたとしても彼らの態度は変わらなかっただろうが、話には尾ひれがついて広がるものだ。どんな「多少の不正」だったにせよ、罰された者が逆恨みすることだって有り得る。
「旅に出なくても無茶をやるのか、お前は」
エイルは嘆息した。シーヴは片眉を上げる。
「何が無茶だ。不正に目をつぶれとでも言うのか」
「そうじゃなくて。恨まれるようなことをしたという自覚があるなら、もう少し」
「館でおとなしくしていろ?」
シーヴは笑った。
「やめろよ、ヴォイドじゃあるまいし」
「執務長の苦労が偲ばれるよ」
エイルは心から言った。
「何をどの程度やったのか知らないが、本当に刺されでもしたらどうすんだ」
「そうなりゃ、俺の不徳だ。剣の修行が足りんという」
「阿呆」
エイルは呆れて言った。
「そういう問題じゃないだろうが」
「それじゃどうしろと言うんだ」
シーヴは肩をすくめる。
「為政者として真っ当なことをやっておきながら、反感を買うのを怖れればいいのか。それとも『閣下はまだお若いからそうして義侠心を燃やされますが、世の中には酸いも甘いもございます』と言って金を持ってくるやつを蹴り飛ばさないで、にこにこと手を取れとでも?」
「……蹴り飛ばしたのか?」
「もののたとえだ」
どこまでが「たとえ」なのかよく判らなかったが、エイルは突き詰めないことにした。
「俺のやり方についてはとりあえず、どうでもいい。とにかく、結論はこうだ」
シーヴは空になった皿に手杓子を転がすと、指を一本立てた。
「何ものかが、『東国の神秘的な品』だとでも言って、こちらで見られる装飾品の意匠を真似ただけの質の悪い品を売り歩いてる。まあ、本物がそれに比べて格別上等だって訳でもないが、少なくとも『日の当たるところに置いておいたら絵の具が溶けた』なんて馬鹿な話があるもんか」
東のきつい陽射しに耐えられない絵具で柄を描く東国の職人がいるはずがない。そもそもそんな画材がこちらで流通するものか。詐欺を働くのだとしたって、わざわざ手に入りにくい材料を揃えて質を悪くする必要などあるはあずもない。ちょっと考えてみれば判ることである。
「つまり、その旅人はそれをランティムの品だと偽って売ったらしいんだな。これは我が町の名誉を毀損する行為だ」
「成程」
概要は掴めた。だが、判らないこともある。
「それで、俺に何をさせたい訳だ?」
「そりゃあ」
シーヴはあっけらかんと言った。
「|魔術師《リート》に頼みたい協力だと言えば、判るんじゃないか?」
「俺は人探しの八卦なんぞやらないぞ」
シーヴにまで魔術師呼ばわりされた──事実なのだが──のに少しむっとして、エイルは言った。
「だいたい、その旅人とやらが本当にランティムにきたかも判らないんじゃないのか? そんないい加減なネタじゃ、オルエンだって探し出せないと思うぞ」
「きたことは判ってるんだ」
シーヴはにやりとした。
「その旅人は、確かにランティムにきた。そいつに胸飾りを売った職人は、毎日呪いの言葉を吐いてるよ。名前も判ってる。クエティス。四十五十の親父で、人の好さそうな顔をしているらしい。何度か姿を見せているが、話が上手くて、ついつい商品を格安で譲ってしまったりするそうだ」
言いながらシーヴは瓏草を取り出した。エイルは黙ってそれを見る。
数年前まで、健康的な砂漠の青年にこの悪習慣はなかった。だが、呑気なことを言う割にシーヴの根っこが真面目なのは判っているから、出歩いて気を晴らすことの代償行為であるのだろうというような理解はしている。
ただ、料理人の端くれの端くれとしてエイルはあまり煙が好きではなかったし、友人がそのような嗜好品で健康を害するかと思えば気になった。やめろと言うのは簡単だが、いや、なかなか簡単に言えないものだ。
「それくらいのことが判ってたって、同じだよ」
エイルは複雑な心中を口にするのはとりあえず避けて、肩をすくめる。
「どっちへ行ったかも判らない旅人を見つけるなんざ、俺には無理。魔術師協会にでも行ったらいい」
「ランティムに、そんなものはない」
「さぼるなよ、シャムレイまで足を伸ばせば立派なのがあるだろうが。お前なら別に紹介状も要らないし」
「要る、と言い出すかもしれん。あそこの魔術師協会長は一度父上と派手にやり合ってな、シャムレイ王家が嫌いなんだ」
シーヴは苦笑した。