07 時間がないのであろう
「正直に言えば、判らねえ」
エイルは答えた。
「でも、やらなきゃなんないことをやる」
「呪いを解いて、首飾りをそやつに渡すのか?」
「呪いだけじゃない。ラニとの繋がりについても把握しないと」
「それを尋ねているのではない。エイル。渡すのか?」
「喜んで渡したりしねえよ。母さんを盾に取られて屈するなんてのも情けないって判ってる。でも、それじゃほかにどうすればいいんだよ? 無視して、コリードが母さんを狙うのを黙って待ってろとでも? そこを返り討ちにすればいい、なんて言うなよ」
「急くな。その気ならば手を貸してやると、言っただろう」
「手、って……」
「ほかの方法があればよいとは思っていた。だが、エディスン王子が首飾りを求めないことを知った故、その件を先送りにしてしまっていた。これは師として失態だな。その代わりに、以前に言ったときに考えたおったよりも積極的に協力をしてやろう」
「んじゃ」
エイルは言い、少し迷ってから続けた。
「あんたがコリードをちょちょいのちょいと懲らしめて……」
「それは」
「できん、だよな、冗談」
エイルは慌てて手を振った。もちろん、オルエンがそうしてくれたら話はものすごく早い。だが爺様魔術師がそんな形の「協力」をしてくれるとは思えないし、エイルがそんなふうにオルエンの魔力を頼れば、どんな説教が待っているか知れない。
「できん」
案の定オルエンはそう言ったが、そのあとにはまたも意外なる言葉が続いた。
「済まぬな、エイル」
青年は、これには可能な限りに目を見開いた。
「オルエン、あんた……」
エイルはゆっくりと言った。
「何か悪いもん、食ったんじゃ」
そうでもなければ、オルエンがこの短い間に二度もエイルに謝罪をするなど有り得ない。
弟子の台詞に師匠は片眉を上げ、ふむ、と言った。
「有り得るな。先ほどから、胃のあたりがむかむかと」
「だろう、そうだろう」
エイルは腹を立てることなく、大いにうなずいた。そうである方が――安心できる。
だが同時に違和感も覚えた。いつものオルエンならば「何と失敬な」とでもきそうなものである。エイルはオルエンを注視した。
「何だ」
「……本物だよな」
「何を言っとる。コリードとやらが私に化けてお前を騙すとでも? そんな面白いことを考えるとは、魔術以外にも成長してきたな、弟子よ」
その調子は間違いなくいつものオルエンであり、エイル自身、本当に「偽物か」などと疑った訳ではない。
ただ、オルエンは何かをエイルにごまかそうとした。それ自体はしょっちゅうあることだが、エイルにはっきりそう気づかれることはない。
らしくないようには思った。
「渡さない選択肢を採れってんなら、何かあるのか。あんたがコリードをやっつける以外に」
「お前がやっつければよかろう」などとくるのではなかろうか、と思いながらエイルは問うた。
「お前がやっつければよかろう」
見事に予想が的中して、青年は乾いた笑いを浮かべる。
「できると思うなら、やる。でも俺が持ってる技なんて数えるほどだ。それも、魔術合戦には向かないようなのばっか」
エイルは指を折った。
自分を含め、何かを移動させる術ならばどうにかできる。風を起こす術などもこの応用だ。あとは、〈紫檀〉の「護衛兵」にやったような掌に雷の子を生じさせる術やら、何ともささやかなる呪いやら、声を飛ばすことやら、本当に基礎的なものばかりしか知らない。魔術師でない人間からは「ものすごい」ことであっても、魔術師の間ではあまりにも初歩段階だ。
「強力な攻撃術なども三日では学べぬな。だがお前には剣があるだろう」
「剣で術に立ち向かえって? 魔術師の台詞とは思えないな」
斬られれば、魔術師とて人間であるから血を流す。傷が深ければ死ぬ。だが、攻撃術の類を持っている術師ならば、魔術に限らず物理的な攻撃からも身を守る防護術をも持っているのが常だ。相手が呪文を唱えている間に斬りかかればいいなどと考えるのは無知な戦士くらいで、魔術師が言うことではない。
「私はな、エイル。お前のあの薬について感心をしておる」
「薬?……ああ、魔術薬と薬草ね」
「お前ならば剣術にもそれを応用できるのではないかと、思っているのだが」
「はあ?」
エイルは眉をひそめた。
「剣術と魔術を組み合わせるだって? んなの、聞いたこと」
「なかろう。魔術薬と自然薬とて同じことだ。幼い内から『魔術』に染まる魔術師には考えもつかない。お前は、遅きに魔力に目覚めたせいで通常ならば『奇態』で終わることを試み、運よく上手くやっている」
褒められているのかけなされているのか微妙だ、とエイルは思った。
「薬草の方はいいとして、どうやって剣術に応用させるんだよ」
「それを考えるのはお前だ、さぼるな」
「んなの」
「思いつかぬか? ならば考えろ。それとも、三日で呪いを解くか。はたまた、母の身を案ずるために呪いを世にばらまくか」
「……その助言が『手を貸してやる』か?」
思わずエイルが言うと、オルエンはにやりとした。
「少しばかり苛めただけだ。コリードとやらを直接どうこうすることはできんが、スライ殿が何かを掴んできたならば、どういう術師か私が探っておこう。彼がそこまでやるのは難しかろうからな」
それはスライの能力が云々ではなく、「導師」の立場を慮った台詞であるようだった。
「んなこと、してくれんのか? 何で」
「言ったであろう。ほかの手段を考えるべきであったのに、怠慢だったと思ったからだ」
「いったい」
エイルは首をひねった。
「忙しい忙しいって、あんたはどこで何をしてる訳」
「人のことは放っておけ」
オルエンは唇を歪めた。
「いっつもそれだ。たまにはもう少し」
「聞きたいか。厄介な女がおるのだ」
「――そりゃ、また」
エイルは目をしばたたいた。
「意外な、台詞」
本当に心から意外、予想外もいいところであった。このオルエンに、女がいる?
「だから放っておけと」
老魔術師は苛々と手を振った。
「……そのツラ使って若い娘を騙してんじゃねえだろうな」
「女は若ければいいと言うものでもない。学べ」
「あのなっ、んなことでまで師匠ヅラすんなっ」
魔術の方は昨今、仕方ないと思うこともあるが、女の選び方まで指導されたくない。
「レイジュ嬢とは仲直りをしたのか?」
「なっ、何でだよ」
エイルは動じた。オルエンはエイルがレイジュと「喧嘩をした」のではなく、「別れた」のだと思っているはずだ。何しろ、彼女は結婚をすると言っていたのだから。
「あの娘がどこかの家庭に納まるなど想像ができんでな。それよりは結婚話が消える方が自然の成り行きだろうと思っておった。お前はまさか狭量にも、父親の指示でほかの男と結婚しそうだった元恋人を許せないなどと言っているのではないだろうな」
「あのなあっ」
勝手な言いぐさにエイルは顔をしかめた。レイジュと仲直りをした――よりを戻したという訳ではなく、友人に戻ったという段階だが――ことは確かに当たりだが、素直に認めるのも悔しい。
「自分のことを訊かれたくないからって、人に話振るの、よせよな。だいたい、そうか、さては俺にからかわれたくないんだな。その女に本気で夢中なんだな?」
「本気で夢中」
オルエンは繰り返すと考えるようにした。
「ふむ。そうかもしれん」
「……ちなみに、どんな女」
答えは返ってこないような気がしながら、エイルはつい言った。あまりにも興味深い。
「知りたいのか」
「興味はある」
正直の答えた。
「ふむ。彼女は、魔の山に棲んでおってな」
「前言撤回。もういい」
魔の山は、文字通り魔なる場所だ。魔力の有無にかかわらず、通常の感性を持っている人間ならば避ける。そんなところに棲んでいるとなれば、それは間違いなく魔女だ。「魔術を使う女性」という意味ではなく、魔女。
「ま、あんたとはお似合いなんじゃないの」
「向こうもそう思ってくれればよいのだが」
オルエンはため息などついた。エイルは笑いそうになったが――やめた。どこまで本気だか、と思ったのと、いまはそんな話をしている場合ではなかったからである。
「んな話でごまかして本当は『助力』する気がないってんならそれでもういいよ。そういうことなら、俺はあんたと喋ってる時間はないんだ」
「何を言う。逸らしたのはお前の方ではないか」
憤然と言われ、冷静に思い返してみればそうかもしれないと思った。あまりにも驚いたから、つい、追及してしまったのである。
「助力はな、言ったようにコリードを探ってやる。スライ殿の報告を待つ間は、タジャスだ。クラーナの前に顔を出せば何を言われるか判らんが、お前のためだと言えばあやつもそうそう怒るまい」
「タジャス? クラーナ? 何で」
「あとで話してやる」
そう言うとオルエンはふんと笑った。
「何しろお前は、時間がないのであろう」
どうやらエイルの発言はオルエンの機嫌を損ねたらしかった。
つまり「こうしてやる」とは言ったが、エイルがどうすべきかは何も助言を寄越さなかった。エイルが自分で考えなければならないとでも言うのであろう。
オルエンが本当に助けてくれるつもりなのか、それともやはりいまでも「修行」「宿題」の延長のつもりでいるのか、エイルには判然としなかった。