06 みんな知ってたんじゃ
「何だよ。ラニが死ぬまで使い倒せとでも言うのか」
「そうではない。だが、お前にはそれができる。だからこそ同時に守護の義務を負う。矛盾のようにも聞こえるだろうが、使い魔を死なせてよいのはその主だけだ」
「んなの、おかしくねえか」
それはエイルにはまさしく「矛盾」に聞こえた。だがオルエンは首を振る。
「何もおかしくない。お前は義務を重視してエディスンへ向かったようだが、そればかりでは均衡が取れぬ。主が使い魔に仕えることになる。判るか」
「ラニのために俺が動くと、ラニに仕えてることになるって?」
「そうではない。まだ、な」
オルエンはじろりと弟子を見る。
「覚えておけ。魔物というのは理を歪めるもの。あれは無邪気な子供に見える。それを模しているのでもなく、真実に近かろう。しかし、魔物だ。お前はその真の意味をまだ知らずにいるのだ」
「ラニが理を歪めて、俺を支配しようとするとでも?」
「有り得ることだ」
エイルは皮肉たっぷりに言ったのだが、オルエンは真顔で肯定した。
「あれがどういう魔物なのかはいまだに判らん。バートでも、キラザでもない。おそらくは、魔族たちの間でも縛られて使いをする類だ。ルファードがそれを持っていた理由も判然とせぬが、何であれ、赤子であったのは幸いなことだ。万一にも既にほかに主がいれば、お前はそれに敵対する如く、あれを名付けたことになるのだから」
「いきなり、何だよ。いまさらそんなこと、言うなよな。俺はこれ以上誰かと敵対するなんてご免だよ」
クエティスとコリードだけで十二分である。
「名付けには気をつけろというだけだ」
オルエンは以前にも言ったことを繰り返した。
「主のいる使い魔を支配し直すことは困難であるから、知らずにたまたま名付けただけではラニタリスを使うことはできておらんはずだ。現実に、その心配はなかろう」
忘れろ、とばかりにオルエンは手を振った。
「ともあれ、あれは魔物で、お前の使い魔だ。どちらもゆめゆめ忘れるな。支配することを怠ればあれはいつでもすり抜け、逆にお前を支配することも有り得るのだぞ」
「支配」
するもされるも、あまり楽しいとは思えない。
だが、している。現実には、彼はラニタリスの主である。それは、あの魔鳥を支配していると言うことになった。
〈塔〉については、そうは思えないが。
「話が逸れた。エディスンだったな」
一方的に師匠は話題を戻した。
エイルは少し釈然としなかったが、話を進めたいことも確かである。ここは素直に説明を再開した。
即ちエイルはエディスンの二大魔術師と彼らを信頼するウェンズを信じ、エディスンは少なくとも敵ではないと考えたこと。〈風司〉ティルドと話をし、風具と風司には、精神的、魔術的なつながりのみならず、肉体的にも影響するほど密接な関わりがあると知ったこと。
そしてアーレイドに戻ったとき――シュアラ王女のすぐ隣にまで、商人クエティスがやってきていたこと。
幸いにしてシュアラに魔術的被害は何もなく、めでたい話だけがあった。
この話のときは、じっと真顔だったオルエンもわずかに顔をほころばせた。
だが、そうであればますます、王女の周囲に気を使わなくてはならない。エイルは近衛隊長に商人をもう城内に上げぬよう注進し、導師に協力を頼んだ。王家の姫の護衛はできないと言われたが、余所の術師を牽制することは約束してもらい、ひと安心しかけたところで、「エイル」を探られれば簡単に判り、なおかつ王女よりも簡単に近づける母という存在に気づき、彼女を捜した。
クエティスがアニーナといるのを見てかっとなり、杖を取り出したところで呪術師と顔を合わせた。
「呪術師」
オルエンはまた繰り返した。
「ただの魔術師とどう異なった」
「俺を名で縛ろうとした。ごく普通の、何てことない、誰だってごく普通にやる、『名前を呼ぶ』って行為にあいつははっきりと術を絡めてきたんだ」
その説明にオルエンは唸った。
「日常の行為に呪いを放つ術師か。肩が触れたことに憤って剣を抜くちんぴら並み、いや、それ以下だな」
「タジャスで何の警告もなしに俺に術を放ってきたこともあるし、やばい奴だってのは判ってた。ただ、協会の不文律は守るつもりでいるみたいで、少なくとも俺を傷つけようとする術を使ってはこなかった。だから魔術では敵わない代わりに、肉弾戦で切り抜けた」
何も殴り合いをした訳ではなかったが――そうすれば勝てただろうが、余計な恨みも買ったかもしれない――とにかく隙をついて束縛を逃れ、アニーナのもとへ走った。
商人は素知らぬ顔で母と商談をしており、エイルをコリードの作った魔術の〈場〉に巻き込んで、取り引きを申し出た。
「取り引きとは言わねえか。脅迫だな」
エイルは苦々しくそれを認めた。
「三日、か」
オルエンは唸った。
「私が、もう少し早くきていればな」
「――そうか?」
エイルはちろりと師匠を見た。
「きてたんじゃ、ないのか?」
「何と」
オルエンは片眉を上げた。
「そのようなことを疑うのか」
「だって、タイミングよすぎだろ。あいつが消えた途端、しばらく気配も見せなかったあんたが現れるなんて。本当は、俺が話したことなんかみんな知ってたんじゃ」
「またそれを言うのか。私は暇人ではないと言っているだろう。ようやく時間を作って――」
そこえオルエンはふと言葉を切った。
「何だよ?」
エイルは苛々と言うと、オルエンはまたも珍しく、言いにくそうにした。
「尋ねたいことがある」
「だから、何だよ?」
「その呪術師だが」
オルエンは咳払いをして、続けた。
「身体のどこかに――奇妙な動物の彫り物は、なかったか」
「……何だって?」
エイルは愕然とした。
動物の彫り物――それも、隻眼だの三本足の獣だのと言った、欠損部位のある動物を身体に持つ魔術師。
それは〈魔術都市〉レンの人間であると言われていた。
オルエンがそのことを言っているのは間違いがなかった。
魔術師だけが暮らすと言われる、伝説の街。いや、その街は実際にアーレイドの南東方向に存在する。だが、誰も訪れようとはしない。訪れようとしても入ることはできない。
そこは閉ざされた都市。それは現存する伝説。
エイルは二年前、その暗く深い闇に触れた。その記憶はいまでも彼の心臓を凍りつかせる。
そしていまオルエンは、コリードがレンの魔術師なのではないかと、言ったのだ。
「どうしてまた、そんな」
エイルは自身の声が掠れるのを聞いた。
「いや、何でもない。馬鹿げたことを言った。気づいていれば、お前は言うはずだな」
「そりゃ言うさ。なかったよ。――少なくとも、目に見えるところでは」
捻れた動物の彫り物。
オルエンの左手にあるのは双頭の蛇だが、普段は衣服の下に隠れている。エイルはそれを見ると思い出したくない男を思い出すので、見ずに済んで助かっている。なお当人が言うには、もともとの肉体にあったのは翡翠――かわせみであったとか。
そう、オルエンはレンの人間である。いまの肉体のみならず、生まれからして、そうなのだ。
エイルはそれを知っていたが、その件について何か語り合ったことはなかった。オルエンは言わぬし、エイルもあまり聞きたいとは思わなかった。
「言われているようには、レンの人間全てが彫り物をしているということはないが、万一……」
「何だよ」
エイルはまた言った。
「あんた、あの街の王家にいまそんな余裕はないって言ったじゃんか」
ティルド少年と〈風読みの冠〉の一件について話をしたとき、この老魔術師にして、かつてレン王家の人間であった男は、きっぱりとそう言った。エイルはそれを覚えている。
「王家には、ない。だが、ほかにも魔術師は大量にいる」
〈魔術都市〉ならばさもありなん、である。
「いや、考えすぎだろう。忘れろ」
「なかなか簡単には忘れられない、衝撃的発言だったけど」
皮肉を込めて言うと、これまた何とも珍しいものが見られた。謝罪の仕草である。
「ともあれ、その呪術師を探ることが第一だな」
「ひとまずスライ師に頼んでる」
エイルはオルエンの発言に引っかかりを覚えたままだったが、追及の時機を逸し、ただそう答えた。
「成程。ならばよい結果が出るだろう」
「もしかして、ほんとは知ってんのか? スライ師のこと」
「知らぬ。だがお前の目はよかろう」
エイルが信頼する導師ならば信頼できるとでも言うのだろうか。褒められたのだとしたら――いつもならば複雑な気分になるところだが、今日のエイルは安堵に力を抜いた。
「三日か。どうするつもりだ」
「できることをする」
エイルはそう答えた。
「オルエン。あんた、言ったよな。急いで呪いを解きたければ、命を賭ける覚悟が必要だって」
「はて。言ったかな」
「おいっ」
「冗談だ。言った」
こんなところで冗談を言われても困る。そんなものが必要だと言ったのが冗談だと言うのならば――腹は立つが、安心できるのだが。
「その覚悟が決まったのか」