03 道を分かたったのか
オルエンはあまり賑やかな店を好まない。
かと言って、あまり閑散としすぎていても、魔術的な話をするには向かない。聞かれれば厄除けの印を切られ、そうして客が離れれば店の主人から苦情がくるかもしれないし、それを避けようと声を外に漏らさない術でも使うのは、静かすぎる店では却って目立つことになる。
だいたい、オルエンは目立つ。何しろ、エイルは時折それを忘れるが、これは黙っていれば極上級の美形なのだ。
もちろん喋ったからと言って顔が変わる訳ではないが、発する雰囲気が明らかに異なる。「作り物の完璧な陶器人形ような姿」が生身で、しかも中身が相当の爺となれば、人目を引く「とんでもない美形」の部分は緩和され、「なかなかよい顔だ」くらいになる。
だが目立つ――目立ったらまずい理由は、人目を引きたくないなどと言ったごく普通のものだけではない。
アーレイドの民びとのなかに、二年前にこの街を訪れた〈魔術都市〉の王子を覚えている者がいないとも言い切れないのだ。
かの王子が事故で死んだという噂はここにも届いていたし、オルエンをそれだと言って騒ぎ出す者がいるとも思えなかったが――オルエン自身がエイルよりも警戒して然るべきなのだから、見越して何か術を編んでいる可能性も高かった――エイルとしては気になるところだ。人混みは避けたい。
よって、エイルは客はそこそこいるもののあまり出入りの多くない、うるさすぎない店を相談場所に選んだ。
普段ならば塔に戻る手があるのだが、エイルはいまアーレイドを離れたくなかった。コリードが先の場所から姿を消したとしても、クエティスはまだこの街にいるはずだ。そうなれば、コリードだっていつ戻ってくるか判らない。
(もしコリードが俺をいま探ってたら)
(……オルエンの魔力にびびって手ぇ引くとか、しないかな)
何となくエイルはそんなことを考えたが、あまりにも酷い他力本願、それもオルエンの魔力を当てにした自分に腹が立つだけの結果となった。
「呪いの言葉と仕草ばかり堪能になるな、お前は」
「誰かさんのおかげでね」
「私を呪ってばかりでは、成長がないぞ」
「効かないからか?」
「そのような辺りだ」
「『効く』呪いならふたつ三つ施してきたよ。楽しくはなかったけどな」
そう言ってエイルは偽物屋〈紫檀〉に向けた呪いの話をした。オルエンはふむふむと聞く。
「成程。巧いことをやったな」
まずオルエンはそんなことを言った。
「その種の呪いは、実際に発動しても大した力を持たぬが、威かすことが目的ならばまあ適すると言ってよい。ただ、次にやるときは自身への呪い除けもつけておいた方がよりよいな」
「大したことないんだろ、発動しても」
特に反発する意図ではなくエイルが言えば、師匠は難しい顔をした。
「お前自身はどれほどの呪いをかけるつもりでいた?」
「どれほどのって、別に……」
意味を掴みかねてエイルは曖昧に言う。
「約束を破りゃ、〈紫檀〉は壊滅する、とかは言ったけど、具体的には何も」
「〈紫檀〉壊滅」
師匠は繰り返す。
「壊滅とは何だ? 長ひとりの死では済まぬな。主だった幹部は全員、魔力なき者にも呪いの結果であるとはっきりと判るような凄絶な死に方を」
「おいおい」
「聞け。組織の規模は判りかねるが、幹部直属の部下とろくに裏事情を知らぬちんぴらどもがいるとでも仮定しよう。前者は何かしら重大な事故に遭う。二度とこっそり悪だくみなどできぬような、他者の手を借りなければ生きられぬ日々を送る、くらいの重傷を負う。末端どもはまあ、全財産を失って、全治二、三月ほどの負傷、と。最低でもこれだけやれば、壊滅に追い込めるだろう」
「おいっ」
たまりかねてエイルは叫んだ。
「俺はそこまでやるつもりなんか……それに、そのどこが『大した力を持たない』んだよっ」
「人の話はよく聞け。実際に発動する呪いが弱いことと、かけようとした呪いの内容は別問題だ。そして、お前は『解散』程度のつもりでいたかもしれんが、壊滅という言葉はもっとずっと強い。さて、判ったな?」
「俺に返る呪いは、かけようとした分に相当する、とか楽しい冗談を言う気か?」
「そうだ」
師匠はあっさりと言った。
「これまでお前が私に対して数えきれぬほどやった、形式だけの呪いとは違う」
たとえば「くたばっちまえ」というような雑言は、言ってしまえば「形式」だ。確かに呪いの一種ではあるが、実際に「死ぬように呪いをかける」こととは異なる。
エイルとオルエンの場合、エイルが本気で「死ぬように」とまではいかずとも「不運に遭うように」くらいの呪いをかけたところで、オルエンは必ず防ぎ、エイルは防がれることを知っている、これは「形式」に相当する。
「お前は〈紫檀〉に害をもたらす目的ではっきりと結果を明示した。言霊の力を甘く見るなと何度言えば判る?」
「甘く見たつもりは……ないけど」
「つもりがどうでも結果が全てだ」
呆然と言うエイルにオルエンはぴしゃりとやったあとで――にやりとした。
「もっとも、実際にはそこまではならんだろう。返る術というものは何もない空間から湧いてでる訳でもない。発した術師の能力如何に関わる。つまり、最悪の返り方をしても、お前はせいぜい丸一日寝込むくらいだな」
その程度の術師だ、と言われた訳だが、魔術師の自覚ができていようがいまいが、いまの状況では安堵できる台詞であった。よって、エイルは息をつく。
「おどかすなよなっ」
「何を言う。今後は気をつけろと言ってやっているのではないか」
「ああ、そうだな。いい師匠サマさ」
「拗ねるでない、安全だと言ってやっとるのに。だいたい、その呪いのせいでお前に何かあってみろ。シーヴ青年がどんなに気に病むか」
「……気に病まないよ」
エイルの声には苦い色が混ざった。
「何」
「あいつはもう、俺が今後どうなるかなんて知ること、ないんだから」
「喧嘩でもしたのか」
「近い、かな」
言ってエイルは、簡潔に自身の決意を説明した。オルエンはじっと弟子の顔を見て、どこか奇妙な顔をした。
「……彼と分かれたのか」
「あのなっ」
エイルは卓を叩く。
「ゼレット様あたりが言いそうな言い方、すんなっ」
「馬鹿者。そのような話をしているのではない。道を分かたったのかと言っとるんだ」
「道を」
エイルは繰り返して目をしばたたいた。
「そういうことに、なるんかな。俺は、あいつんとこに顔出さない方がいいって思ったんだ」
静かに言うエイルを見ながらオルエンは腕を組んだ。
「思い切った決断をしたものだな」
「んなこと……いや、そうかな。そう、なのかも」
エイルは呟くように言った。
「俺さ、関わらせちゃいけないと、思ったんだ」
青年は軽く拳を握った。
「詳しくはあとで話すけど……やばそうな魔術師が絡んできて。それで、シーヴをこの件から離さなきゃまずいと思った」
理詰めで話したところで、シーヴが納得するはずもない。危険だから寄るなと言えば、危険ならば放っておけないとくるに決まっているからだ。だから、エイルは違う方法で――まるで喧嘩分かれの如く、友を置き去りにすることにしたのだ。
「でも、言ったことも本当なんだ。俺とつき合えば、あいつは領主たる自分を忘れそうになる。もちろん、、本当に忘れちまうことはないだろう。でも、忘れそうになったり、迷いが生じたりしたことを悔やむ」
それからエイルは嘆息した。
「俺がいなくたって、あいつには迷うことや悔やむことはいろいろある。それなら、ひとつでも少ない方がいいと、思ったんだ」
彼はもう一度息を吐きかけ、わずかに首を振ると顔を上げた。
「この件に片がついても、俺はもう、あいつとは会わないつもりでいる」
言えば――言霊に縛られる。
オルエンはこのとき、それをエイルに忠告しなかった。師匠は、弟子がそれを理解した上で言葉を発したと、気づいていたから。
「俺とあいつの道は分かれたんだよ。きっと、そういうことなんだ」
はっきりと口にすると、不意に目頭が熱くなった。
エイルは慌てて目をしばたたき、こみ上げたものを見られないようにした。
判っているのだ。自分がどんなにシーヴを好いているか。
あの、確信に満ちて自分勝手な行動を取り、人の揚げ足ばかり取り、常にエイルを困らせ続けた砂漠の王子を――どんなにか。
「……何だか、頭痛えな。さっきの術の、後遺症かな」
言い訳にしか聞こえないだろう言い訳を小さく呟き、エイルは瞬きを繰り返した。友人に会わないと自ら決めておきながらそれを嘆いているなど、オルエンに知られたら馬鹿にされる。そう思った。
同時にエイルは、オルエンが決してそのようなことを口にはしないとも、本当は判っていた。
予知と言われるような明確なものでなくとも、魔術師は何かの折りにふと何かを見てしまうことがある。
師匠は、弟子がそれを見たこと、見てしまったことを師匠は知っているだろう。そして、それがどんなにつらいことであるかを。