11 いずれまた
「この、野郎」
エイルは歯ぎしりをした。
これもまたその通りなのだ。「アニーナを害すればクエティスを殺す」という言葉はつまり、アニーナが害された「あと」に対して有効な脅しである。クエティスが例の魔術師に守られると信じていれば、何の意味も為さない。
「コリードは他者を傷つけることを躊躇いなどしない。さて、どうする?」
「――コリード? それがあいつの名前か?」
ぴくり、とエイルは反応した。
「残念だが、違う」
クエティスは笑った。
「コーリード……呪術師と呼んでいたのだよ。それが、呼び名らしく短くなっただけのこと」
「はっ」
エイルは馬鹿にするように言った。
「名前も教えない魔術師を信頼してるって訳か」
「そうではない」
クエティスは笑った。
「それだけ慎重な男だということだ」
「馬鹿言うな。大した術師じゃないって証にもなる。名前を呼ばれるくらいでどうにかされるようなことを警戒してるってな」
「かまわないさ。お前がそれよりも『大した術師じゃない』んだからな」
こう言われてはぐうの音も出ない。
「どうする。母を守りたければ、お前が日がな一日見張っているか? それができなければ、そうだな、魔術師でも雇うか?」
声には明らかなる嘲弄が込められた。
「さもなくば、首飾りだ。私に寄越せ」
「呪いを世には出せない」
「ならば」
「母さんも、傷つけさせない」
「甘いな」
商人は言った。
「何かが欲しければ、金を支払うべきだ。そうでなければ、それは詐欺師か盗っ人となる」
「ふざけんな、いきなり刃つきつけてきた強盗はそっちだろうが」
「いきなり? そうではない。私はずっとあれを探していたと言ったはずだ。それを横からお前が取っていった。掠め取ったのはお前なのだ、エイル」
「い、言いがかりつけんな」
「それはどちらかな」
〈神官と若娘の議論〉というやつである。立ち位置が違うものたちがいくら話を進めても同一の見解は出ない。
「平行線という訳だ」
クエティスも同様に思ったものか、唇を歪めた。
「では話を簡単にしよう」
そう言うとクエティスは指を三本、立てた。
「三日だ」
「何だと?」
「三日後に首飾りを渡してもらう」
「はあ?」
「明々後日、うろうろせずに協会ででもじっと待っていろ。場所は、そのときに指定する。援軍を用意されては困るのでね」
「待てよ、勝手に」
「無視したければ、してもよい。そうすればそのあと、お前はずっと母についていなければならなくなるぞ」
「てめえっ」
「――私は」
不意に商人に笑顔が戻った。エイルは魔術の〈場〉が解けるのを感じる。
「ほかにも約束がありますので、今日はこの辺りで。よろしければ、次のときによいお返事をお聞かせください、アニーナ殿」
一方的な決定、及び会談の終了にエイルはついていききれず、この上ないほどの険悪な表情をたたえたままだった。
「そんな顔してるんじゃないよ、エイル。あたしの商売はあたしの商売なんだから」
「そういう問題じゃ」
エイルは言いかけたが、そこで口をつぐんだ。ここで言い争っても何にもならないと気づいたということもあるが、声が聞こえたためもある。
『エイル! ああ、よかった、通じた』
ラニタリスの安堵したような声が頭に響く。
(どうしたんだ?)
距離のある状態でこのように小鳥と〈心の声〉のようなものを交わせたことはなかったが、それに驚くよりもエイルはただ問うた。
『どうしたもこうしたもないわ。何秒か、エイルの気配が途切れちゃったの。あたし、どうしようかと』
余程にラニタリスが驚いて、必死になったとでもいうあたりだろう。
(何秒か?)
クエティスと話をしていたのは数秒では済まないはずだが――確かに、アニーナにも不審の目はない。となると、「コリード」はそれくらいの幻影空間を作り出せる魔術師だということになる。
(あいつ、何か術を使っただろ。何で報告しない)
『しようとしたら、いなかったのよ!』
(……そうか)
もっともな台詞である。エイルは鳥に謝罪した。
(あとでまた聞かせてくれ。見張りは、引き続きやれ)
『判った』
そんなやりとりの間に、クエティスはアニーナへの挨拶と会計を済ませて立ち上がる。
「ではエイル。いずれまた」
商人は穏やかに言った。
「話はあれで終わり、かい」
エイルは噛みしめた奥歯の間から、低い声を出す。
「十二分でしょう? 楽しみにしていますよ」
商人は自らの優位を疑っていないように笑んだ。吐き気がしそうなほど、人の好さそうな笑みだった。
クエティスは、エイルの強い視線をものともせず、彼に背を向ける。
――この後ろ姿に術を放ってやったらどうなるだろう。
ふと、エイルはそんなことを考えた。
コリードはエイルがそこまでやると警戒しているだろうか? 先ほどはカッとなって衝動的にやろうとしたのを制止されたが、理性的な状態にあるエイルがそんな真似をすると思うだろうか?
真っ当な術師であればやらない。協会に目を付けられれば、この先ずっと面倒だ。コリードは、エイルを真っ当な――弱小の――術師と考えているはずだ。先ほどはカッとなっただけで、そうでなければ街のなかで魔術合戦の口火を切るはずもないと。
隙をつけるかもしれない。
エイルはそんなふうに思って、そして嘆息した。
(協会に頼ることを堕落だなんて思ってたけど)
(そんなふうに術を使うなんて真似したら……まじ、堕落だ)
魔術師の堕落。それは、闇の技に近くなること。
街なかで魔術師ではない人間の背後を術で襲うなど、〈黒の左手〉に染まることだ。暗き場所に棲んでいる〈黒の左手〉はいつだって獲物を狙っており、その抜け目なさは言霊の比ではない。
駆け出しが焦れば、闇は簡単にその足もとをすくう。
怒りは、魔術師を助けない。青年魔術師は歯ぎしりをしながら、彼に挑戦状を叩きつけてきた商人の後ろ姿を心に刻み込んだ。
いまはそれしかできない。なればただ、彼は把握する。
彼と彼の大事な者たちを盾に取ろうとする相手のこと。それに対抗するためには、青年が忌避してきたものが役に立つということ。
――思い通りには、させない。




