10 素晴らしい
「あれには本当に呪いがかかってるんだぜ。魔術師や神官でも解けないとびきり奇妙なやつがな」
言いながらエイルはスライの言葉を思い出していた。アーレイドの導師は、呪いについて説き、諦めてもらえばどうだ、などと言ったのだ。
エイルは、クエティスはそんな素直な男ではないと一蹴したし、スライの方でも本気で提案したのではなく、クエティスのひととなりを知ろうとしていたようだったが、まさか説明をすれば話が通じたりすると?
「何だと」
商人は顔をしかめた。
「所有権を巡って人々が殺し合う。そのような呪いが真実、かけられているとでも言うのか」
もしやこれは好機だろうかとエイルは畳みかけることにする。
「そうさ、あの歌は人を惑わす黒いもんで」
ふと思いついてエイルは続けた。
「貴婦人が身につけるには、相応しくない」
「――呪い」
しかめ面のまま、クエティスは繰り返した。
「呪いの首飾り。確かにタジャスではそう言われていたようだった。ただの伝説と思っていたが、真にそのような闇を持つのなら」
商人の口の両端が、にいっと、上がった。
「素晴らしい」
「何、だと」
エイルは商人の言葉に口を開けた。
「それだけの美と同時に闇を抱えるとは。なればますます、我が手にと望む思いが強まるというもの」
「ば……何、訳の判らんことを」
エイルは背に冷たいものが流れ落ちるのを感じた。
「あれの持ち主は命を狙われる。俺が言ってんのはそういうことなんだぞ。そんなもんが欲しいのか? 殺されたいのか?」
「あれを私が手にすれば、妬む者が私を殺しにやってくると?」
クエティスは笑んだままだった。
「素晴らしい。それだけの価値があってこそ、求める甲斐もある」
「……何、言ってんだ」
エイルはようよう返しながら、目眩がしそうだった。
目前の男はエイルの説明を理解していないのか。――そうではない。理解しているのだ。この上なく、はっきりと。
その上で、そのような呪いを素晴らしいと、言っている。
同じものを見ているのに、それに覚える価値は全くの逆。
エイルは瞬時にそのことが判った。そして、背筋が凍りつく思いだった。
この男にはもちろん「呪いのかかっている危険な首飾りなのだ」という説得は功を奏さない。それどころか、却って強く望まれる結果となった。
違うのだ。
この男は、違う。
あまりに異なる価値観を持っている。いや、死を怖れないと言うのではないだろう。首飾りへの執着が異常なのだ。首飾りの価値が高まると、そういう解釈をしているのか。
「よい話を聞かせてくれた」
商人はにいっと笑った。そこには、「人の好い」様子はかけらも見て取れない。まるで伝説に言う吸血鬼の牙でも見えそうだった。
「では、疾く、あれを私に返してもらおう」
「ふざけんな。呪いを外に出すような真似はしねえ」
「馬鹿な。そのような戯けた理由で、あの美しきものをしまいこんでいるのか?」
「戯けてんのはどっちだ、お前、やっぱ判ってないだろ」
エイルはそれでもまた言った。
「あんなもん持ってふらついてみろ、全く見も知らない相手にいきなり刺されるようなことだってあるかも」
こいつが刺されたところでエイルは痛くもかゆくもないし、むしろ刺されて真実を知りやがれ、と思うところもあるが、つい青年は説明を試みてしまった。
「まさか」
クエティスは肩をすくめた。
「まさか、じゃねえ! お前、やっぱ判ってないん」
「私にそのようなことは起こらない。彼が、ついているのだから」
その言葉に。エイルはどきりとした。脳裏には、躊躇いのない〈縛り〉を幾度も放ってきた魔術師の姿が浮かぶ。
「あれか……さっきの、魔術師」
「そうだ。彼こそ、思いもよらず私に首飾りの在処を示した運命の占者。きっと手を貸してくれると思っていた。案の定、こうしてお前を……そしてお前の弱みを探ってくれた」
シュアラに――アニーナ。クエティスが彼女らの前に顔を出したのはやはりそういう意図なのだ。それ以外であるはずも、なかったが。
「彼によると、お前はろくに技を知らない術師だとか。やはり、そのためにあれの力を欲するのか?」
「ば、馬鹿野郎っ、俺はそんなに怠慢じゃないっ」
不思議な力で強くなるなどは卑怯――な気がする。彼は一時期「不思議な力」を持っていたことがあったが、そのときにだって自分が「強い」などと思ったことなどない。だいたい、自覚を持ちはじめた最近だって、そんな形で力がほしいなどとは思っていない!
「怠慢。面白いことを言う」
商人はかすかに笑む。
「偶然に手に入れた首飾りを自分のものだと言い張ることのどこが勤勉と?」
言われなかった言葉が聞こえたかのようだった。この盗っ人め、と。
「ふざけんな」
エイルは何度めになるか、そう言った。
「あれは、もしかしたら昔はどっかの貴婦人のものだったかもしんないけどな」
「いまではお前のものとでも? 呆れたものだ、盗品の所有権を主張するとは」
クエティスは、やはりエイルが盗賊であるかのように言った。
「いい加減にしろ、俺はあれを盗ったんじゃない。第一、どうあったってお前のもんでもないはずだぜ」
「いまは、な」
商人は言った。
「いずれは、私のものになる」
「呪いつきなら、そのあとで殺される羽目になるって言って」
「殺されなどしない。彼が私を守る」
男は繰り返した。
「お前ごときの魔力では彼には敵わないそうだな? さあ、どうする。私が王女のもとに再訪して」
「できるもんか」
エイルはその脅しを遮った。
「近衛隊長がお前に目ぇつけたぞ。お前はもう、二度とアーレイド城に入れねえ」
「そうか。では王女は諦めよう」
あっさりと商人は言った。
「しかし母親は、近衛に守ってはもらえまいな?」
にいっとクエティスの口の端が上がる。エイルはぎゅっと拳を握った。その指摘は、エイル自身が危惧したことであるのだ。
「母さんを傷つけたら」
青年は商人をぎっと睨んだ。
「殺す!」
エイルは、あまり強い台詞を吐く方ではない。親しい友人づきあいをしていれば、悪い冗談の延長で強い言葉を使うこともあるが、本当に誰かを殺したいと思うことは――あの首飾りの呪いを受けでもしない限り――まず、ない。
だがこのとき、彼は躊躇なくそう言った。
本気だった。
「できるものならやってみるといい」
クエティスは平然としていた。
「だが、そのような不穏な状況になる前に、お前が首飾りを私に寄越せばいい。そうあれば、誰も、傷つかない」
「それは」
その通りだ、とは思っていた。エイルが「屈服する」ことを悔しく思うだけで済むならば、欲しいという奴に首飾りをやってしまってもいいのではないか、とそんなふうに思ったこともある。
だが、できない。呪いが、ある以上は。
あの呪いごと、首飾りをこの男に渡せば。この男が何者かに殺されても哀しくも何ともないが、そうして首飾りが手から手へと血に染められながら渡っていけば。或いはクエティスを「守る」ために、あの魔術師が襲ってくる者たちを返り討ちにしていけば。
「血で血を洗う怖ろしい悲劇」が繰り返されることになるのだ。
「できぬと? 母よりも首飾りが大事か?」
「んな訳ねえだろっ、俺はあの呪いを放っておきたくないし」
口には出せないが、ラニタリスのこともあった。
首飾りと結びついている、と〈塔〉は言ったか。「風具」の司だか何だかという話も出ている。
仮にいま呪いがなかったとしても、ラニタリスと首飾りの繋がりをはっきりさせないことには、他者に渡すことはできない。はっきりとなればますます渡せないということも有り得た。
「見知らぬ誰かの身を案じる? 母親よりも?」
「んな」
訳ねえ、と繰り返しかけて、エイルは唇を噛んだ。危ない。いまのは、言葉の網だ。「そうだ」と言うはずもなかったから、言うとなれば「そうではない。母が大事だ」となる。だが、そうすれば言霊が彼を縛る。「母のために首飾りを手放す」ことへの強制力が作られる。
「……嫌な魔術師を雇ってるんだな。何もんだ、あれは」
「気づいたか」
クエティスは唇を歪めた。
「魔力がなくても愚かではない。成程、報酬を上乗せしろと突然言ってきたも道理だな」
エイルが魔術師と対峙したのはほんの先ほどである。つまりクエティスと魔術師は、魔術師同士がやるような〈心の声〉のやりとりをしたのだ。護符か何か持っているのだろう。
「ならばそのよく回る頭で考えるんだな。私を殺すと言うが、それより先に母親が死ぬかもしれない。復讐をするぞ、という脅しは本当にお前の母を守るかな?」