06 危険なことになるって意味か
サラニタと呼ばれていた魔物ルファードと不思議な音を奏でる首飾りの話は、案の定ランティム伯爵の気を引いたようだった。
「ルファードね。聞いたことがないな」
「まあ、オルエンがほとんど知らないくらいだからなあ」
「ウーレやミロンにも訊いてみたんだろう?」
シーヴが口にした砂漠の部族は、もともとエイルよりもシーヴの方が親しい。彼はシャムレイの街の第三王子でありながら、王宮でおとなしくしていることを好まずに砂漠へと出向き、民たちと交流をした。彼らはシーヴを〈砂漠の子〉と呼び、シーヴ自身、「東国の」人間であるよりも砂漠の民の気質の方が強いようだ。
彼を主とするシャムレイの元中侍従長にして現ランティムの執務長であるヴォイドなどは、シーヴが幾つになろうと子供のように叱責をし、自身の責務を判らせようとする。
シーヴに言わせれば、責任は重々承知しているとのことなのだが、ヴォイドからしてみれば、彼の本名である「リャカラーダ」よりも幼名である「シーヴ」を名乗り続けることからして、義務から逃れたがっているということになった。
「ああ、だいたいのところは話して、尋ねてみた。でもやっぱり、聞いたことがないってさ」
ウーレでもミロンでもラスルでも、彼らが砂漠の魔物と呼ぶのは巨大な砂虫であったり腹を空かせた砂漠狼の類で、魔術師たちが「魔物」と定義するものとは異なる自然の生き物であることが多い。
魔精霊と言われるサラニーなどは自然の生き物とは言い難かったが、どちらかというと伝説の生き物だ。夢幻のように現れることはあっても、肉体を持っていたり、まして死んだりというようなことはない。どんな形であれ、子供を残すことも。
「魔物の子供、ねえ」
シーヴは胡乱そうに言ったが、エイルを疑うという様子はない。
「鳥になって。飛んでった。そいつもまた、クラーナが喜んで歌にしそうな話じゃないか」
「かもな」
エイルは笑った。
「まあ、厄介払いって言い方もあれだけどな、正直に言えばそんな感じだ。赤んぼ抱えてちゃ、協会にも行けない」
「協会に行く前に恋人に説明しとかなきゃならんしな」
シーヴがにやりとして言うのに、エイルは苦い顔をするしかない。
「何だ。喧嘩でもしたのか」
「うるさいな。放っといてくれ」
「振られたのか」
「放っとけっつってんだろうが」
どうして簡単に見抜かれるものかとエイルは呪いの言葉を吐いた。
「まあ、何だ。そういうこともある。気に病まずに次を見つけろ」
「放っとけっての」
苦い顔のままでエイルは三度言い、じろりと友人を睨んだ。
「そっちは幸せそうでけっこうだな。そうだ、ミンから伝言がある。ラグと幸せにやってるからお前は要らんとさ」
「嘘つけ。ミンがそんなことを言うか」
少し意地悪をしてやろうと思って言った台詞もまた、簡単に見抜かれた。
「ラグと幸せにやってるのは本当だろうが、天地がひっくり返っても、彼女が俺に会いたくないなどと言うはずがない」
「……そこまで自信たっぷりだと腹が立つぞ。会いに行ってやってないくせに」
「それを言われると、痛いところだが」
若き伯爵は嘆息した。
「俺はミンが大事だ。つきあいは長いし、お互いに伴侶を持っても愛しいと思う。だが俺は、口先でヴォイドを脅かすほどには、砂漠まで行けなくなった。シャムレイよりもこのランティムの方が砂漠から遠いということもあるが、それより俺は、シャムレイよりもランティムに責任があるんだ」
「判ってるよ」
エイルは言った。
「俺は判ってるし、ミンも判ってる」
「悪いな」
シーヴは苦い笑みを見せた。
「頼める立場じゃないが、ときどき彼女を見てやってくれ」
「馬鹿」
エイルは唇を歪めた。
「彼女を見るのは、俺じゃなくてラグだよ。あいつはいい奴だ、俺より知ってんだろ。ラグなら彼女を幸せにする。もう、してる」
「だな」
シーヴは短く答えた。
「会っていても会わなくても、俺が彼女の幸せを願うことに変わりはない」
「向こうも同じだよ。レ=ザラ様と幸せなんだろ」
「まあ、な」
シーヴは顎をかいた。
「実は、レ=ザラに子供ができた」
「――お前の子か?」
「当たり前だろうがっ」
「すまん、そういう意味じゃなかった」
驚いたんだ、とエイルは素直に謝罪の仕草をした。
「おめでとう。お前が、親父か」
「半年もすれば、そうなるらしい。実感は湧かんが」
シーヴは礼の仕草を返しながら言った。
「それじゃ、ますます鳥になる魔物だの、奇妙な首飾りだのの話を追う訳にはいかないよな。よかった、俺は安心だ、シーヴ」
エイルは心底安堵したように言った。
「そんなに俺に首を突っ込まれるのが嫌なのか?」
シーヴが唇を歪めると、エイルは大いにうなずいた。
「俺はもう二度と、お前に無茶な真似をしてもらいたくない。もう〈女王陛下〉は俺たちを助けちゃくれないし、お前に万一のことがあってみろ、俺はヴォイド殿とレ=ザラ様に殺される」
「おい」
シーヴは抗議をするように口を挟んだ。
「それはつまり、それだけ危険なことになるって意味か」
「いや」
エイルは目をしばたたいた。
「そう言う意味じゃない……と、思う」
「思う」
シーヴは繰り返した。
「人のことばっかり言うがな、お前だって相当の無茶をやったろう。危ない真似はするなよ、エイル。お前が死んだら〈塔〉が泣くぞ」
「〈塔〉かよっ」
エイルは思わず返した。いくら恋人と別れたとは言え、そこには女の子の名前くらいほしいものである。
「危ないこた、ないさ。いちばん危険かもしれなかったサラニタも、危険になるかもしれなかった子供も、もういないんだし。いまは調べものをしてるだけ」
「なら、いいが」
シーヴはじろじろとエイルを見た。
「それで、クラーナなら歌のひとつも知ってるかも、と消息を聞いてみたかっただけだ。時間を取らせて悪かったな、シーヴ」
「待て、そう急くな」
立ち上がったエイルを引き留めるようにシーヴは言った。
「町で飯でも食おう。実を言うと、お前はちょうどいいときにきたんだ」
「何だよ」
その言い様に、エイルは警戒した。
「言っとくけど、俺はいま、手いっぱいだからな。何かさせようったって、無理だぞ」
厄介ごとならもう十二分である。これ以上、宿題は抱えられない。
「そうか……忙しいんだったな」
シーヴががっかりしたように言うと、エイルは何となく悪い気持ちになった。クラーナについては判らなかったものの、こちらだけ聞いておいて向こうの話は拒絶と言うのもないだろう、などと思ったのだ。
「聞くだけは聞いてやるよ。何さ」
仕方なく言うと、シーヴはにやりとした。やられた、とエイルは思う。はなから、エイルの負けなのである。




