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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第4話 魔術師の自覚 第4章
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06 南街区

 黒ローブを脱いで荷袋にしまい込みながら――質のいい、扱いやすいものに早く買い換えよう、とまた思った――エイルは物陰に入ると口笛を吹いた。

「――ラニ!」

 ぱたぱたと羽音が飛んでくる。

「けっこう、かかったね。協会に近づいちゃ駄目ってのは判るけど、お城はいいんじゃないの? あたしも会ってみたいなあ、王女様」

「そんな話はあと! 母さんとこ、行け!」

 小鳥はぱちぱちと瞬きをした。

「行ったら駄目なんじゃ、なかったの?」

「鳥のまま。子供にはなるな。様子を見てこい、何かおかしなことないか。俺も、すぐ行くから」

「判った」

 主の声音に焦りを聞き取ったか、それとも単に「命令」には従うのか、小鳥は素早くアーレイドの空に飛び立った。それを見届けると、エイルも足早に南区へと向かう。

 日の当たらない街の南側というのは端的に言えば金のない者が住む区域で、ある意味ではとても平和だ。というのは、ろくな金品がないものだから盗みに入る者もいないというような意味である。

 中心街区(クェントル)では住宅でも店舗でも扉や窓には鍵をかけるものだが南街区の家にはそんなものすらついていない場合だってある。あったところで、鍵穴が錆び付いているというようなことも。

 若い娘のいる家などは警戒をすることもあったが、親に養ってなどもらえない彼らは働ける年齢になったら住み込みの働き口を見つけることが多い。そうなると娘が襲われるような悲惨な事件が起こるのは夜の裏道ということになり、やはり南街区自体は平和であることが多かった。

 しかし、その南街区で、二年前に起きた怖ろしい事件が起きた。ひとりの男がある家に乱入し、家主を刺して逃げたのだ。家主は幸いにして命を取り留め、適切な治療のために傷口もほとんど癒えたが、刺された肩には違和感を残していた。

 被害に遭ったのはほかでもないエイルの母アニーナであり、あのときのそれはエイルとファドックへの警告、或いは挑戦、はたまた嘲弄であった。

 事件が起きたときエイルはアーレイドを留守にしていたが、その事実を知ったときは目の前が真っ赤になるほど怒りがこみ上げた。狙うのならば自分を狙えばよい。何も知らぬ母を相手取るなど卑怯この上ない、と。

 それを思い出せば浮かぶのは、いまは恐怖だ。

 ファドックは当時エイルの不在を案じてアニーナを訪れてくれていたが、あのときの彼はまだ近衛隊長ではなく、いまのように壮絶な忙しさに追われることもなかった。それに、シュアラならともかくアニーナを庇護してくれなどとはとても言えない。

 賑やかな区域を抜け、寂れた郊外に小走りになって南下していくと、聞き慣れだした羽音が耳に届く。

「――エイル!」

「どうしたっ」

 思わず声を出し、道の向こうにいる老人におかしな顔をされたエイルは、咳払いなどして小道に引っ込む。

「どうした、ラニっ」

 不思議に青みがかった羽根をぱたつかせてラニタリスはエイルの肩にとまった。

「いないよ、アニーナ」

「何だって?」

「おうちにいないの。どこ行ったのかな」

「いないって」

 エイルは空を見上げた。太陽(リィキア)は傾きだしているが、まだまだ「昼間」の範疇だ。これだけ明るい時間帯ならば、籠編みを生業とする母は日の落ちる前にもうひとつ仕上げてしまおうと精を出しているはずである。夕方には仲買人が籠を買いにくることもあるし、得たささやかな銭で市や食事に行くのならばそのあとだ。

「家の周りも、探したか? 井戸に水でも汲みに行ってるのかも」

「ちゃんと見たよ。南のとこ全部。でもいないんだもん」

「――探せ」

 エイルは低く、言った。

「判った」

 小鳥は羽根を羽ばたかせ出し、エイルははたと思ってそれをとめた。

「いや待て。母さんの気配探るんなら俺の方が適切だな」

 そう言うと若者はきょろきょろと辺りを見回し、どっかりと地面に腰を下ろしてあぐらをかいた。通行人に見られれば奇異だが、こうした方が集中できる。ラニタリスは再びエイルの肩に戻った。

(……母さん)

(どこ、ほっつき歩いてんだよ?)

 青年は母親を思った。

 アニーナは気丈だの威勢がよいだのといった調子の母で、エイルはときどきそれを「生意気」と表現したりする。たいていは子供よりも親の方が使う形容であることは承知だが、適切な表現であるように思っている。一方でアニーナが息子をどのように他者に語るかと言うことを考えると、自分の表現はたいそう穏やかな上、心が広い、などと思っていた。

 彼らは独立独歩で、エイルが働けるようになって以来、互いの財布はきっぱりはっきり別だ。成年前は食事を都合してくれたこともあったが、そこから三年、思いがけぬ城勤めに拾い上げられるまで彼は「母と暮らしている」と言うよりも「アニーナと共同生活をしている」といった感じであった。雨露をしのぐ宿を同じくするだけで、たまに土産――たいていは食べ物だ――のやりとりくらいはするが、金銭的にはいっさい甘えのない間柄というあたりである。

 何だかんだ言っても母ひとり子ひとりの結び付きは強い方だ。貧乏家庭には、親子の確執やら反発やら、成長期の子供が多かれ少なかれやらかす青春の一枚を演じている余裕などはない。若者は成功を夢見て――喧嘩などせず、代わりに何も言わず――出ていくか、エイルのように余所で働きながらもまめに顔を出すかといった感じになる。

 息子が訪れても母はたいして喜ぶ風情を見せないが、身体を案じるようなことはたまに口走るから、まあそれなりに母の愛というやつがあるのであろう。

(母さん)

(――いた!)

 エイルは閉ざしていた瞳をかっと開けた。

「ラニっ。こっから西に三街区、北に二本、〈山葡萄〉亭、行けっ」

「ごめんエイル、あたし看板の文字よめない」

「ああ……そうか」

 勢いを削がれたエイルは目をぱちくりさせる。

「んじゃ、こうだ」

 言うとエイルはさっとラニタリスの上の空間を撫でるようにした。ラニタリスがまるで満足そうに笑ったような感じが伝わってくる。

「判った。その黄色い屋根なら見たことある。行ってくるね」

 小鳥は今度こそ飛び立ち、エイルは複雑なものを覚えた。

 ラニタリスは急速に成長中。どうやら――自分も。

 参るな、と思ったが、いまは自分の現在や将来よりも心配なことがある。

 エイルはぱっと身を翻した。

 いまは身につけていない黒ローブが、一緒に翻った気がした。


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