05 俺の意地としちゃ
窓の外を鳥の影がよぎって、エイルはぎくりとした。
ラニタリスには、あまり魔術師協会の付近をうろつくなと言ってある。おかしな興味を――自分にではなく、ラニタリスに――持たれたくないからだ。
だが幸いにしてそれは魔鳥ではないごく普通の雀か何かで、穏やかに晴れている初春の一日を楽しんでいるだけのようだった。
「責任の所在と言ったな」
スライの声にエイルは視線を導師に戻した。
「つまり、お前は呪いを発動させまいと考えている訳だ」
「当たり前だろ」
エイルは唇を歪めた。スライはうなずく。
「そうだな。何かを巡って殺し合うなんて物騒な話は歓迎できない。ましてやそれが呪いのためとあっては」
スライは考えるように頬杖をついた。
「幾つか確認をしておこう。お前は、商人に首飾りを渡す気はないのだな」
「そりゃそうだ」
「それは、呪いのためか。なければ、渡してやってもよいと思っているのか?」
「……それは」
どうだろうか、とエイルは思った。
「俺の意地としちゃ、お断りだ」
彼はまずそう言った。
「もしご丁寧に『どうかあなたの持つ首飾りを譲ってください』とでも言われたのなら一考の余地もあるけどな、いきなり魔術突きつけてくるような奴の願いなんか叶えたくない。それにずかずかとひとの故郷にまで入り込んできやがって。先手は取られたけど、二度目はねえぞ、ファドック様が全部知ってんだからな、ざまあみろ、と言ってやりたいくらいだ」
「ずいぶんと近衛隊長に信を置いてるんだな」
少し面白そうにスライは言った。エイルは鼻を鳴らす。
「シュアラの護衛にかけちゃ第一人者だろ」
「そうかもしれんが。魔術にかけてはそうではあるまい」
その言葉にエイルは一瞬、スライは何か知っているのだろうかと勘繰ったが、普通に考えて――魔力を持たない者が魔術に対抗できないのは普通のことだ。
「だから、導師に知っておいてもらおうと思ったんだよ。まあ、まさか王女様に手出しするほど大胆じゃないとは思うけど」
「繰り返しになるが、王女の警護などはできんぞ」
「判ってるよ、俺が言うのはそうじゃなくて」
ならばどうなのだろう、と彼は考えたが、うまく言葉にできなくて唸った。
「何つうか、心配では、ある。俺が『脅されて屈するなんて悔しい』と思うだけで済むなら、首飾りなんざ渡してやる方がいいのかも、とも思う。でもそれはもちろん、呪いがなければの話」
「商人にその呪いのことを説いて諦めさせる、少なくとも解けるまで待たせるという選択肢は?」
「そんな穏当な選択、無理だろ」
エイルはひらひらと手を振った。
「不確かな噂、いや当人にとっては確かなる予言だったのか判らないけど、砂漠にまで追ってくるような奴だ。俺に取り引きなりなんなり持ちかける前に、魔術でどうにかしようと考えるような。真っ当な相談に乗ってくるとは思えない」
「だから近衛隊長に警護を頼んだという訳だな。それは予防線になるだろう。商人の方が理性を失っていても、その魔術師とやらが最低限の頭を持っていれば、協会を警戒するはずだ。王女に術を行使すれば、当然、城は協会に追及にくる。そうなれば協会も動く。うちの軒先でふざけた真似をするという挑戦的なこともしてるんだ、そんなことがあればこっちも本気になる。その危険くらいは判ってるだろう」
「だよな。そう、それだ」
エイルは自分の考えをスライに言葉にしてもらって安堵した。
「お前の目は奇妙だな」
スライはふとそう言った。
「目の前のものが見えていないかと思えば、さっと引いて大局を見ているようにも思える」
「何だよ、それ」
意味が判らない。エイルは眉をひそめた。
「ダウ師は、俺がお前を教えたいと言ったことについて、初級術師の課目に則って基礎から叩き込みなおすという意味に取っているようだったが、俺はそれじゃ面白くないだろうと思う。お前はそのままで在る方がいい」
「前にも、そんなこと言われたけどな」
オルエンの言葉――在るように在れ――を思い出してエイルは苦笑した。
「その結果、立派な魔術師になんなさい、なんじゃねえの?」
「なれと言われてなれるものでもない」
スライはそう答えた。
「ただ、お前は稀なる術師になるだろうと思う。魔力が強いだの、大魔術師になるだのと言うのではなくてな。俺はそれを見てみたいと思うだけだ」
「ええと」
エイルはどう返そうか迷った。
「……想像力がたくましいんすね、スライ師」
「そうでもない」
導師は肩をすくめた。
「想像力があれば、お前さんをネタに歌物語のひとつも書いているところだ」
「『立派な魔術師になれ』よりご免だね」
青年は苦笑した。
「当座、王女殿下に直接的な問題はないだろう、と俺も思う。クエティスと言ったか、そいつが城を訪問した目的は、お前に『何者か知っているぞ』と報せるためにすぎん」
スライの同意にエイルは安心した。
「ほかには、いないか」
「何が」
「お前を狙う奴に知られたくない相手だ」
「そんなの――」
一瞬、王女の侍女の顔がエイルの脳裏に浮かんだが、幸か不幸かいまはただの友人だ。それに「エイル術師」を探られて出てくる情報でもない。はずである。
「あ」
次の瞬間、エイルはどきりとした。
「悪ぃ、導師。俺、帰るわ」
「魔術師エイル」でも「一青年エイル」でも、探られれば簡単に判る相手が、いる。




