01 黙っているつもりだったのか?
必要だと思われることは全て語った。
〈風謡いの首飾り〉と言われる不思議な装飾品を手に入れたこと、それには呪いと言えるものがかかっていて余所へ持ち出せないこと、それを欲する商人がいること、商人はエイルがそれを持っていることを知っており、魔術師を雇って彼に術を仕掛けてきたこと。
隠す意図ではなく、話の焦点がぶれると思って詳細――ラニタリスのことや偽物屋の話――は省いたが、ファドックは何か気づいたにしろそうでないにしろ、余計な質問をしてくることはなかった。
「つまり」
エイルが話を終えると、ファドックはゆっくりと言った。
「その商人が、シュアラ様を訪れたクエティスか」
「そうなんです」
エイルはうなずいた。
「俺は、そいつと出会った町の魔術師協会で『アーレイドのエイル』だとうっかり名乗っちまったんです。クエティスはたぶんそこから俺について調べて、シュアラに魔術学を教えていることを知った」
「そして、お前の友人だを騙って入り込んだ、か」
「す、すみません」
思わずエイルは謝罪していた。彼は、危ないかもしれない相手を王女に近づけたことになるからだ。だがファドックは首を振る。
「そのような人間がやってきたときに殿下のお傍を離れていたのは私の失態だ」
「んな……ファドック様は尋常じゃなく忙しいんですから」
「言い訳にはならないな」
「なりますよっ」
エイルはすぐさま言ったが、やはりファドックは首を振った。
「どの任をも疎かにはできない。無論、疎かにしていたつもりはないが――そのようなことを避けたいと思えば、自分がふたりは欲しいところだ」
「……それじゃ、俺は二十人ですか」
「何?」
「何でもないです」
余計な軽口であったとエイルは手を振った。レイジュに言わせれば、ファドックふたりの代わりをするならエイルが二十人でも足りない、ということになるだろう。
「その魔術師が一緒だったのかは判りません。シュアラに訊けば判ったろうけど、心配させたくなかったし」
「私が伺ったお話では、複数いたとの印象はなかったが」
「そうかもしんないっす。ただ、いれば話にのぼることもあるだろうけどいなかったことを話にのぼらなかったことで知ることはできない」
それに、とエイルは先に考えたことを続けた。
「実際はどっちでもいいんです。もし隠れたかったら、魔術師にはいろんな方法がある。アーレイド城は魔法に対して無防備だ」
「いくら兵士を鍛えても、か」
ファドックが言うのは皮肉ではなく、自戒のようだった。
「素養のある兵士に何か訓練をする手はあるかもしれません。でも、信頼できる魔術師をひとりふたり雇う方が早いし現実的だと思いますね」
「では、お前がやるか」
ファドックは言い、エイルは聞いた意味を掴み損ねる。
「俺が?……何を」
目をぱちくりとさせる青年に近衛隊長は苦笑した。
「お前自身が言ったことだろう。もしも王家が魔術師を雇うとしたら、いま、アーレイド王家に最も近くある魔術師は誰だ?」
「そりゃ」
エイルは苦笑いをした。
「俺ってことに、なるのかもしれませんけど」
「『かもしれない』どころではないな。王宮に出入りを許されている魔術師はお前ひとりだけだ、エイル」
ファドックは続けた。
「宮廷付きの術師にでもなってみるか。それとも軍団長か私の下でこの街と王家を守るという方法もある」
「じょ、冗談っ」
エイルは笑ってみせたがいささかそれは引きつった。殊、王家――シュアラを守るという方向において、ファドックが冗談などを言うだろうか?
「んなこと、考えてな……無理っすよ。俺には、それだけの力はないです」
ファドックが本気であることを考えて、念のためにエイルは真面目に答えた。
「宮廷魔術師なんて、導師級の魔術師がなるもんです。俺は、駆け出しで弱輩ですから」
これまで何度も口にした台詞に、しかし彼は心のなかでだけつけ加えた。――まだいまは、と。
「私はそうは思わぬがな」
内心で加えられた一言は当然ファドックの耳には届かず、近衛隊長はエイルのそれを彼自身の過小評価かまたは謙遜と取ったようだった。
「そう言うのならば、宮廷魔術師とは言わないでおこう。ではその代わりに」
不意にファドックはにやりとする。
「騎士見習い、とでもするか?」
エイルは瞬きをし、それから似たような笑みを返した。
「あんまり、嬉しくないです」
いつか交わしたのと、それは同じやりとりだった。あれはもう、三年ほど前になる。
月日は流れた。
自分は変わろうとしている。
その自覚は青年魔術師に生まれ出し、それは必ずしも苦いものを伴わなくなっていたが、抵抗感はまだあった。だが、このやり取りに、ふと安心感のようなものが訪れる。
彼がこのまま「魔術師」の道を邁進するとしても、「ただのエイル」が――魔法のように――かき消えてしまう訳ではないといった、それは安堵。
〈変異〉の年に感じていた奇妙な絆が消えても、ファドック・ソレスはエイルに力をくれる。
「宮廷仕えをするとかじゃなくても、俺が誰か、助けになってくれるいい術師を知ってりゃいいんですけど」
魔術師仲間を作っておかなかったことがいまさら悔やまれた。
まさかウェンズにアーレイドの魔術警護を頼む訳にはいかない――ひとつ、ウェンズはエディスンの術師である、ふたつ、彼は既にエイルの用事で手一杯である、三つ、何でもかんでも頼るかのようでは少し悔しい――し、あとはダウやスライに話をするというところだが、協会という組織は王家という権力におもねることも反することも望まないものだ。相談には乗ってくれるとしても、導師と呼ばれる立場の人間が王家の姫を護衛するなどという話には、決してならないだろう。
「俺はあの首飾りがほしい訳じゃない。呪いさえなけりゃ捨て置いたってよかった」
「持ち主を殺してでも手に入れたくなるほどの禍々しい熱望、か。確かに、要らぬからと言って投げ出し、それが罪なき者の死を招くようなことになれば」
「気分が悪いってとこですね」
エイルが肩をすくめると、ファドックが笑った。
「可笑しい話じゃないと思うんすけど」
「すまん、そうだな」
ファドックは謝罪の仕草をしたが、笑みは浮かんだままだ。
「何なんですか、その笑いは」
「いや、思ったのだ。では『気分が悪くなる』ことを避けるために、お前は何月も忙しくしているのだな、と」
「――まあ、そういうことに、なるんすかね」
何だか馬鹿げたことをしているような気分になってエイルも苦笑した。
「人類平和のためにとか言えれば格好いいんすけど」
「それは、手を広げすぎだろう」
「ファドック様に言われたか、ありません」
エイルが言えば、ファドックが今度は苦笑した。
「そう言うな。私は自分の限界を知っているつもりだ」
「知ってたって、それより先まで手ぇ伸ばそうとするんだったら、その自覚に意味なんかないっすよ」
ぴしゃりと言ったあとで、エイルは気まずそうに頭をかいた。
「ファドック様がそういう人だって判ってるから、ほんとはこの件、黙ってたかったんですけど」
「黙っているつもりだったのか?」
ファドックは片眉を上げた。
「それは、消極的にでも王家への害を見逃したという点で捕縛対象だな」
どこまで本気だか判らない台詞である。
「わあってますよ、ってか、シュアラに危険がある『かもしれない』ことになった瞬間、俺はファドック様を気遣うのをやめましたから」
「いいだろう」
ファドックはうなずいた。
「同じものを守るという訳だ」
「二年前とおんなじに。……あのときほど厄介じゃないとは思いますけど」
冗談めかしてエイルが言えば、すっとファドックの表情が消えた。――拙い、と思う。何も直接的に言った訳ではないが、あの日々を思い出させるような話題は禁句であった。
そうと気づいた瞬間に、心が痛む。ファドックは、負の感情のほとんどを穏やかな顔の裏に押し隠してしまえる能力の持ち主なのに、あの年に起きた出来事に関してだけは、いまでもそうできないということが判ってしまったからだ。
なのに、また巻き込むことになる。
「すみません、ファドック様」
自分が不甲斐なくて情けなくなどなければ、シュアラを守ることにファドックの手を煩わせずとも済む。だいたい、クエティスにアーレイド城までやってこさせることなど、させずに済んだかもしれない。
「お前が謝ることではない」
騎士は笑みを取り戻してそう言った。
「強く在りたいと、思うものだな。――至らぬと、知るたび」
「――そうですね」
エイルはかすかにうなずいた。
もっと強く在ることができたら。
何も判り易い「魔力」に限らない。剣の腕前というような意味でもない。
心を強く。
悩みがなくなるようなことは、おそらくないだろう。悩まぬように在りたいと思うのでもない。
いくら悩んでも迷ってもいい。しかし、そうして出した答えにこそ、迷わぬように。
「でもやっぱり、俺は」
エイルは呟いた。
「ファドック様は強いと、思います」
言われた騎士は少し困ったような顔をした。
「だから、俺、甘えます」
彼はそう続けた。
「俺がもたらしちまったかもしれない奇妙な〈ドーレンの輪っか〉から、シュアラを守ってください」
エイルは、ねじれがあって表裏の区別のつかない輪に状況をたとえた。ファドックはうなずく。
「シュアラ姫をお守りする。それは、私の出した答えのひとつだな」
まるでエイルと同じことを考えたかのように、ファドックはそんなことを言った。




