05 信用ならん
面会には時間がかかったが、それは仕方がない。
約束でもしていればともかく、突然の訪問だ。彼がこの館までやってきたのは初めてで、生憎と知った顔もない。
よって、見知らぬ若造が町の支配者たる伯爵に目通りを願ったところで、その話が肝心の相手に届くまで何刻かかかっても仕方のないことなのだ。そもそも、門前払いされないだけ有難いと思わなくてはならない。
遅かろうと待てばいいだけだ。彼の名が伝われば伯爵はタイミングを見て足を運んでくれるだろう。「いまは忙しいからそいつのことは放っておけ」と言ったのでなければ。
「閣下、そういうときは客人の方を呼び出せばよいのです。あなたがわざわざ出向く必要など」
「うるさいな、これは特例だ。今度からはすぐに俺に告げろ、必要なら法律を作る」
扉の向こうで無茶苦茶なやりとりが聞こえれば、無視をされた訳ではなさそうだと判った。エイルは立ち上がって戸が開かれるのを見る。
「どうした、久しぶりじゃないか」
姿を現したランティムの若き伯爵は、印象深い浅黒い顔をにやりとさせた。エイルはさっと礼をする。
「お伺いしたいことがあって参りました、王子殿下」
「それはよせ」
シャムレイの第三王子にしてランティム伯爵であるリャカラーダ・コム・シャムレイ=ランティムは口を曲げた。
「殿下だの閣下だのは飽き飽きだ。ここではそうとしか呼べないとか抜かすなら町へ出るぞ」
「俺はヴォイド殿の帳簿にこれ以上悪く書かれるのはご免だよ、シーヴ」
この呼び方をするだけで印象は最悪なのにな、と言うとエイルは友人に「儀礼」を保つのをやめた。
「飲み物は」
扉の向こうで苦い顔をしていたヴォイドと彼らの世話をしようとやってきた召使いを追い払うと、館の主はまずそれを問うた。
「もらう」
うなずいてエイルは答え、香り水を頼む。
主が客人にまず飲み物を勧めるというのは、東の地の習慣であった。水が貴重な地であれば、それの采配を振るのは主人であるべきだ、という考えだ。
とは言え、身分のある者であれば尋ねるだけで支度そのものは使用人に任せるのが普通だったが、砂漠の民と親しいシーヴはそれを怠慢と考えるところがあり、王子であり伯爵であっても、いつでも自ら立ち上がって客人と自身の杯に液体を注いだ。
「それで、聞きたいことってのは何だ」
「クラーナのことなんだけど」
「何だって?」
思いもかけなかったのか、シーヴは眉をひそめた。
「あのクソ詩人がどうかしたのか」
「どうもしない。ただ、ここに顔見せたりしてないかと思ってさ」
「一年くらい前に一度きたぞ。俺がどこかへふらふらしてないか確かめにきたと言ってな」
「ああ、それは聞いた。そのあとは」
「なしのつぶてだ」
「そうか」
そんなことではないかと思ってはいたのだが、運よく「最近、消息を聞いた」などということにならないかと――いや、幸運の神はいま、見事に彼を見放しているのだった。
「クラーナの居場所なら、オルエンに聞いた方が早いんじゃないのか」
「縁を切ったそうだよ。もちろん、クラーナの方が絶縁状を叩きつけたって訳だけど」
エイルが言うとシーヴは笑った。
「そりゃ、いい。お前もそうしたらどうだ」
「会うたびにやってるんだけどな」
エイルは唇を歪めた。
何が楽しくて、オルエンが自分を指導したがるのか判らないが――塔を継いだからにはそれなりの術師になれ、という辺りなのかもしれない――エイルがお断りだと言おうが帰れと言おうが、魔術師はどこ吹く風である。
実際を言えば、オルエンの指導がなかったなら、エイルは今後何年経っても「駆け出し」どまりであろう。感謝していないのではないし、本当に嫌ならば「修行」など放り出してしまえばよいだけのことなのだから、結局のところエイルはオルエンを師だと思っているのだ。決して口にはしないが。
「クラーナを探してるのか。何でまた」
「彼の膨大なる歌の宝庫に、用事が」
「ふん?」
シーヴは続きを促すようにしたが、エイルは迷った。
「面白い話じゃないと思うぜ。その」
なるべくシーヴの興味を引かない話をしようと思ったエイルは、しかし適当な話が浮かばない。ラスルの民や「砂漠の魔物」の話は砂地を愛するシーヴが聞きたがらぬはずがなく、〈風読みの冠〉だの〈風謡いの首飾り〉なども面白がりそうだ。
「ちょっとした宿題でさ」
彼は一言にまとめた。シーヴは計るようにエイルを見る。
「そんな言い方で俺がごまかされると思っているのか」
「な、何だよ」
エイルは不穏なものを感じながら言った。
「俺が好きそうな話題があるだろう。隠すな。言え」
「いや、何も隠してなんか」
「隠してない? お前のそれは信用ならん。だいたい、お前が俺の、翡翠の」
「だーっ、それは言うな!」
これを持ち出されてはたまらない。
「あの件を持ち出すのは卑怯だぞっ」
「何が卑怯だ。人を散々、ビナレス中を引っ張り回しておきながら」
「俺が引っ張り回した訳じゃないだろっ。勝手に求めて出歩いてたくせに」
「出会うまではな。だがそのあとはどうだ、俺が何度、お前のために死にそうになったと思ってる」
「勝手に命を張ったのはそっちだろうがっ。俺は無茶はやめろと何度も」
言い返しながら、分が悪いのは承知だった。出会ってから旅をしていた間、彼はシーヴを騙そうとしていた訳ではなかったが、結果的に言い訳しようもないほど騙していたのである。
「エイル」
「何だよ」
「もうひとつの名前で呼ばれたくなかったら、素直に全部話せ」
こう言われたら、エイルの負けだ。シーヴにある大きな借りは、おそらく返しきれない。この砂漠の青年とつき合う以上は絶対、生涯、言われ続けるに決まっているのだ。
もっとも、それが嫌ならば会いにこなければいいだけだ。「再会」したばかりの頃は少しぎこちなかった彼らもいまではすっかり仲のよい友人になっていたから、多少、いや生涯ずっと分が悪くても、エイルはランティムに立ち寄ることをやめないだろう。
「仕方ない。話してもいいけど、面白そうだなんて言って伯爵業を放り出すことはしないと約束しろよ」
「そりゃ、面白そうだ」
「シーヴっ」
「はいはい、判った判った。いいから話せ」
はなから、エイルの負けなのである。