08 もしも、魔術が
「友人? 俺の?」
エイルは頭のなかで様々な友の顔を思い浮かべたが、城にやってきて王女に面会できるような「友人」はシーヴくらいしかいない。
だがもちろん、シーヴのはずはない。少し前までエイルとともに旅路にあったのだし、いまではランティムにいる。そうでなくとも、「リャカラーダ王子」はアーレイド城には少しばかり顔を出しにくい過去がある。
「様々なところを巡っているのですってね。幾つもの宮廷を訪れた経歴も持つようだったわ。あまりきれいな作法とは言えなかったけれど、お前がきたばかりの頃に比べれば立派と言えるわね」
「悪かったな」
エイルはそう返したものの、「友人」の見当はまだつかなかった。旅をするような友人と言えば、あとはクラーナかヒースリーくらいだが、前者はタジャスにおり、後者は「エイル」を知らない。
「可愛らしいでしょう? 焼き菓子とは言わないわね。砂糖菓子と言うのかしら。上質の砂糖に色をつけて、このような形の器具に押し込め、型抜きをするのですって」
「へえ」
「召し上がれ」
甘いものに興味はないが、要らないと言うほどでもない。エイルは小さな菓子をつまみ上げると、ぽいと口のなかに放り込んだ。
「……甘い」
「砂糖だもの」
シュアラは笑うと、自身も細い指でそれをつまみ上げ、口に入れた。
「確かに、少し甘みがきつい感じはあるかしら。でもお茶に合うのよ」
絶妙のタイミングでレイジュが杯を卓に置いた。クラル茶はカランよりも渋みの強い茶で、単独で飲むよりも菓子とともに供されることが多いものだ。どうぞ、とばかりにシュアラは手を差し出し、エイルが杯から色の濃い液体を飲むのを見守るようにしてから自身も同じにした。
「やっぱり、合うわね」
「正直に言えば、菓子とか茶とかはよく判んねえな」
「男の子」の答えにシュアラはまた笑った。
「んで、誰がこれをどこから持ってきたのか、聞いてないぜ」
思い出してエイルは言った。
「あら、判らないの?」
意外そうにシュアラは首を傾げる。
「約束をしたと言っていたわよ。お前と旅先で出会って、お前の持つ品を譲り受ける約束をしたと。だから、アーレイドにきたのでしょうね」
「何だって?」
約束。それに覚えはない。それに、エイルの持つ品とは――?
「その男が言ったことには、正確にはこのお菓子は、東国のものを模倣したものなんですって」
「と」
エイルはどきりとした。
「東国!?」
もちろん、シーヴであるはずは、ない。
そのほかに、彼と東の接点はいま、ひとつ。
それに、模倣したものと、言ったか。
(東国の――)
(偽物屋)
(まさか)
心臓が、激しく音を立てはじめた。
「ええ。エイルならば本物を手にしてこられるのではないかとも言っていたわ」
「まさか、そいつは」
エイルはのどの渇きを覚えた。
「シュアラ。そいつの、名前は」
「確か」
シュアラは思い出すようにした。
「クエティスと言ったわね」
その名にエイルの心臓は跳ね上がり、次の瞬間には全身から血の気が引いた。
「な……何で」
エイルは呆然と呟いた。
何故、知られた? 砂漠やラスルと、このアーレイドを結びつける線など、どこに――。
エイルははっとなると、シュアラの前であることも忘れてとびきりどぎつい罵り言葉を吐いた。王女と侍女の目が丸くなる――後者の前では幾度かやらかしているので、レイジュの驚きは演技だろう――のに気づいて謝罪の仕草をしたが、取り繕う言葉は、出なかった。
(俺だ!)
(ご丁寧にも、俺はタジャスの町の協会で出身と名前を名乗ったじゃねえか)
(そりゃあのときは、やばいことなんてあるとは思ってなかったけど、問い合わせりゃ、簡単だ)
(アーレイドのエイル。ここの協会を訪ねて、エイル術師について訊いてみりゃ)
協会は登録している魔術師の身元を詳しく教える訳ではないが、「エイル」という術師が確かに登録していることは認めるだろう。受付の術師が彼の王城勤めについては口をつぐんでいたとしても、あたりをつけて数軒酒場を巡ったり、情報屋でも見つければ、エイル術師の外見的特徴も勤め先も丸判りだ。何しろ、「下町のガキ」から「王女の魔術学教師」などになったエイルは、本人の望みとは裏腹に、城下ではなかなか有名なのである。
あの商人はいったいどういうつてで城に入り込んだものか――。
(いや、ちゃんとした手形を持ってて、下手クソでも宮廷作法を知ってて、珍しい東国の品を持ってれば)
(紹介がなくても、身分ある誰かが興味を持てば城に入れるだろう)
(なおかつ俺の友人って触れ込みなら、シュアラは興味を持つに決まってる)
「シュアラ様?」
レイジュの不審そうな声が、エイルを呪い文句の迷宮から引っ張り上げた。
「いかがなされたのです?」
見れば、シュアラはうつむき加減になっており、その白く細い手指で自身の額を押さえるようにしていた。
「何だか……急に、気分が悪く……」
エイルの脳裏にとっさに浮かんだのは、まさか下品な言葉を聞いたせいじゃなかろうな、というようなことだったが、その呑気な思考は一瞬の半分で飛び去った。
(まさか)
(いまの菓子に何か)
(――毒)
しかし青年はすぐにその思いを一蹴した。
(俺は何ともないし、シュアラは以前にもいまの菓子を食ってるはずだ)
(でも、何か……たとえば、俺と一緒だと発動するみたいな複雑な仕組みの呪いでも)
「エイル、何ぼうっとしてんのっ。早くランスハル先生をお呼びしてっ」
主人の様子に驚いた「完璧な侍女」は、青年に普段使う調子をつい出して叫んだ。シュアラはすっかり頭を抱え込み、侍女の「乱暴な」口調に気づく余裕すらないように見える。エイルははっとなった。
王女の不調にランスハル宮廷医師を呼ぶ、それは自然かつ当然のことのようであるが、エイルは瞬時迷った。
もしも、魔術が絡んでいたら?
「お前が行け、俺が様子を見てるから」
「何言ってんのよ、シュアラ様を若い男とふたりになんかできる訳ないでしょっ」
「阿呆、んな場合かっ。もし倒れでもしたら男手が要んだろっ」
その言葉はレイジュを躊躇わせた。本来ならばもちろん、王女を男とふたりきりにさせるなどもってのほかだ。それが許されるのは護衛騎士ファドックくらいのものだが、彼ですらお喋り鳥たちの想像の翼、噂のさえずりに乗せられないよう、滅多なことではシュアラとふたりだけにならないように気遣う。
だがいまは緊急事態だ。レイジュも少し顔を青くして、エイルにうなずいた。
「任せるわよ」
言うと侍女は青年の肩をぱんと叩き、素早く部屋の扉を出た。
「シュアラ……頭、痛いのか。それとも吐き気とか……」
エイルは言いながら魔術の気配を探った。――見当たらない。だがすぐに安心することはできない。何かが巧妙に隠されているかもしれないのだ。
「目が……回るわ」
王女は弱々しい声で言った。
「手が、冷たい……」
その言葉にエイルはほとんど何も考えずに彼女の手を取り、どきりとした。快適な温度に保たれた屋内にいるというのに、シュアラの指は真冬の南方にいるかのように冷え切っている。
「熱は」
エイルはもう片方の手を王女の額に当てた。
「少し熱い……かも」
「エイル……気持ちが悪い」
「横になるか。……ここじゃ、無理だな」
王女殿下の勉強部屋にあるのは卓と椅子と棚ばかりで、寝台はもちろんのこと、身体を横たえられるような長椅子もない。
「――ファドック様に斬られませんように」
エイルは呟くと、左手を王女の背に回し、装飾は少ないが上等な生地で作られているドレス越しに右手を太腿の裏に這わせて、一気に姫君を抱え上げた。
(隣は客間だから、長椅子があるな)
それを思い出すと青年は、つらそうに顔を両手に埋める王女を両腕に抱えたままでどうにか扉を開け、シュアラを横たえられる場所を探した。