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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第4話 魔術師の自覚 第3章
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07 奇妙なる完璧な関係

 別に、エディスンの協会長の言葉に影響された訳では、ない。断じて。

 弟は元気であったと兄に伝えるために、アーレイドに行こうと思っただけだ。そしてたまたま、シュアラ王女殿下に学問をお教えする日がやってきただけ。そのとき王女様の傍らにレイジュがいたのは、あくまでも偶然というやつだ。

 女性の好む芝居やら吟遊詩人の奏でる物語歌ならば、それこそ運命(・・)となるのかもしれないが。

「本当に忙しいのならば、休んでもよいのよ」

 魔力のない者でも判りやすいとエイルが選んだ魔術書の第五章を終えた段で、不意にシュアラ王女はそんなことを言った。エイルは目をしばたたく。

「……何?」 

 意味が判らなくて、エイルは瞬きをする。

「忙しいのでしょう? 疲れているのね、何だか上の空だもの」

「んなことねえよ」

 王女殿下に対する口利きではないが、彼は最初からシュアラに対してこうである。一時期は、礼儀を強要されることへの反発としてわざとらしいほど丁寧にしていたこともあったが――そう言えば、その礼儀作法を徹底的に叩き込んでくれた教師はレイジュであった――そんな馬鹿らしいことはもうやめていた。このような口調を侍女頭のヴァリンなどに聞かれれば大目玉だが、シュアラに仕える侍女はみなエイルの味方だったし、近衛隊長にして護衛騎士ですら、不自然に礼儀ばかり調えるよりも普段のエイルであるようにと言っていた。

 つまりは、それがシュアラの望みだということで、それに文句のある人間が近くにいるときだけご丁寧にやればいいのである。その使い分けにももうすっかり慣れた。ただ、ロジェス殿下――シュアラの夫にして、アーレイド第一王位継承者――の前でだけはどうにも緊張をしたが、いまはいないのだから気遣う必要はない。

「忙しいからって、仕事を疎かにするのはどうかと思うね」

「まあ」

 シュアラは軽く目を見開いた。

「ではお前は、仕事だからこうして私のもとへくるの?」

「……ほかに何だと思ってるんだ?」

「命令だから、従うと言うの?」

 シュアラの声に不満が混ざった。いまの返答は、よろしくなかった。

「こんな仕事でもなけりゃ、俺が王女殿下とさし(・・)で向かい合うなんてこた、ないだろ。仕事で命令で、けっこうじゃないか」

 そのフォローは少し無理があったが、嫌々ながらきているのではない、という主張は通じたようである。シュアラは少し口を尖らせたものの、それ以上の文句は出なかった。

「でも、無理をして身体を壊しでもしたらよくないでしょう。以前のように城内に暮らしているのならばこの部屋へくることも簡単だけれど、お前はどこか遠くに暮らしていると言うのだし」

 いくら魔術学を教えていたところで、シュアラは「魔術」に親しんでいるとは言い難い。エイルは、「砂漠のただなかに建つ奇妙な塔に暮らしている」という話を王女にはせず、ただ「遠くの町に住んでいる」「ここへは、魔力を使って移動をしてきている」というようなことを告げていた。ふたつ三つ離れた町にでも家があると考えているのだろう。

 もっとも、シュアラ王女はアーレイドを出たことがなかったから、(ケルク)で一日の町と遠き大砂漠(ロン・ディバルン)への距離の違いを説明したところで、ぴんとはこないかもしれない。

「休まないと言い張るのならば仕方がないわ。ここで休みなさい」

「は?」

 どうやら命令をされたようだが、意味が判らない。

「勉強は今日はおしまいにしましょう。お茶でも飲んで、ゆっくり話をする時間にすればいいわ。まさか、お前がそれでは気が休まらないなどと言い出さなければだけれど」

「んなこた言わないけどさ」

 エイルは笑った。

「それは、教師の方が決めることですよ、殿下(ラナン)

 澄まして言えば、シュアラも笑った。

「さぼろうと思っている訳ではなくてよ」

 以前は「さぼる」などと言う言葉は王女様の語彙になかった。エイルから覚えたものだ。こういうのもヴァリンに知られたら、拙い。

「お前に教わるようになってから、魔術学は面白いと思えるの。前には、魔力のない者がそのようなことを学んで何になるのかと思ったけれど」

「俺が教えたって『何か』にはならないような気もすっけどな」

 エイルは少し苦笑して言った。

「面白いのよ。興味深いの。知らない世界を知ることは、とても楽しいことだわ」

 いつだったか少女だったシュアラは、世界の全てを知りたいとエイルに話したことがある。正直なところを言えばその感覚はいまだに理解できないのだが、新しい何かを学ぶことが面白いという気持ちは判った。

 すっとレイジュが茶杯を運んできた。休憩に入ったと見て取ったのだろう。その視線を捕らえ、エイルはわずかに口の端を上げた。「上品な侍女」はそっと伏し目がちにして挨拶を返す。

 その控えめな挨拶は、しかしレイジュに何らかのわだかまりがあることを意味しない。彼女は彼と紛う方なき恋人同士である間も、レイジュはシュアラの前では完璧なる侍女であった。

 それはレイジュが優秀だということにもなるが、それよりもむしろ、万一に粗相をしてシュアラの近くに仕えられなくなったら彼女にはたいへんなことだからだ。つまり彼女には、恋人の機嫌を損ねることよりも、ファドックを近くで見られなくなることの方が忌避すべきことなのである。

 エイルはそれを当然だと思っている節があった。レイジュがファドックより自分を選ぶようなことがあったらこの世の終わりだ、と彼が考えるのは冗談でも皮肉でも何でもない。

 一方で、エイルがシュアラと親しく話をしたところでレイジュから何らかの苦情が出たことはなく、彼女はそれを自重していた訳でもない。彼が王女に淡い憧れを抱き続けても当然だと思っているのだ。そのようなことして彼らは、周辺から「奇妙なる完璧な関係」と言われていたものである。

「そうだわ、レイジュ。先日の飾り菓子があるわね」

「はい、殿下(ラナン)

「持ってきて頂戴。エイルにやりたいの」

「ここにお持ちしてあります」

「あら、気が利くわね」

 侍女が優雅な手つきで銀の皿を差し出した。その上には色とりどりの、一、二ファインほどの小さな菓子が十粒ばかりきれいに配置されている。

「殿下が、エイル殿(セル・エイル)のためにとっておかれたのですもの」

 「完璧な侍女」はもちろん、王女の学問の師には敬称をつける。レイジュからに限らず、エイルとしては誰から何度聞いても「セル」などと呼ばれると少し居心地が悪いのだが。

「これにはカラン茶よりもクラル茶が合うのだったわ。淹れなおして頂戴」

「はい」

 レイジュはしずしずと陶杯を片づけ、違う茶を入れる支度に戻った。

「菓子だって?」

 エイルは出されれば何でも食べるものの、別に甘党ではない。菓子などは姫君ならば喜ぶだろうが、エイルは特に喜んだことはない。なのにわざわざエイルのためにとっておいたというのは、何か特別なものなのだろうか。

 疑問の視線に気づいたか、シュアラはにっこりと笑った。

「『知らない世界』の話で思い出したのよ。エイル、先だってお前の友人が珍しい土産ものを持ってきてくれたのだったわ」


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