10 きっかけ
「――ローデン閣下はいま、お忙しいようですね」
少しのちに、ウェンズは呟くようにして言った。
「私の声は届きませんでした。何しろ、今日は儀式がありますから」
「何だって?」
「いまエディスンは〈風神祭〉という大祭の真っ最中なんです。街がとても賑やかでしょう?」
「そう言えば……そうかもな」
まっすぐに協会を目指してきたものだから、街の様子はあまり見なかった。だが、言われてみれば普段の賑わいにしてはずいぶんと派手であったように思う。
実際、街はどこもかしこも文字通り「お祭り騒ぎ」だった。もしエイルが冷静な目で少し前の自分を見たら、よくこの騒ぎを何も不思議に思わなかったな、と驚くに違いない。
「今日はそのなかでも王家の儀式が行われる日です。風司たる王陛下が風神に加護を願う。魔術師がそれに何か関わることはないのですが、此度はようやく取り戻した冠と指輪を使っての祈りですからね、ローデン術師は今日、ほかの星に気を回したくはないのでしょう」
「星? そう言や宮廷魔術師サンは〈星読み〉の力を持つ術師だとかいう話だったな。でも指輪って何だ?」
「冠」の部分は判ったが――ティルド少年が〈風読みの冠〉を無事、エディスンに持ち帰ったのだ――指輪というのは意味が判らなかった。
「長いことエディスンから失われていた〈風見の指輪〉もまた、見つかったんですよ」
ウェンズはそう説明をした。
「あとは〈風聞きの耳飾り〉〈風食みの腕輪〉、それらの在処と風司も判明しています。はっきりとしていないのは〈風謡いの首飾り〉だけなんです、エイル」
「……何だって?」
やっぱり微妙に判らなくて、エイルは眉をひそめた。
「何だっけ……風具って言ったか」
「そうです。あなたは首飾りを持っている。もしかしたらあなたが司なのかもしれませんね」
「司って、何なんだ」
エイルは判らないと顔をしかめた。ウェンズは少し考えるようにしてから続ける。
「風具を継承し、その力を繰る者のこと、と言えるでしょうね。カトライ陛下からヴェルフレスト殿下がそれを継がれる。それにティルド殿、ユファス殿、あとはあなたの知らない少女」
「ユファス? あいつもそんなに深く関わってんのか?」
友人の名前に驚きながら、エイルはウェンズの言葉を考えた。
「司……力を繰る、者」
(――あたしの!)
ラニタリスの声が耳に蘇る。
(まさか、あいつ)
「エイル?」
考え込んだエイルにウェンズが声をかけ、エイルは曖昧な声を出した。
「イルセンデル、ねえ」
ラニタリスのことはさておくことにして――ここで答えは出まい――彼は祭りの名称を呟いた。
風神というのは自然神だ。神界や冥界――または、獄界――と違って、自然神を奉る神殿だとか、教義だとかはない。だが「信者」というような形でこそないが、人々はみな自然神を崇め、その力に感謝をし、ときに怖れも抱く。
海沿いの街が風の神に慕わしいと言うのは、判る気がした。アーレイドにも海はある。ただ、湾の奥地であるからして、海からの風にそう悩まされるということもない。少しばかり風の強い季節があるかな、という程度だ。
だがどうやら、このエディスンは風神の恩恵を受けると同時に気紛れからも逃れられない街らしい。大祭を設けて、神に加護を祈る。そういうものなのだとウェンズは言った。
「もしもエイル、あなたが司ならばこの儀式に伴う何かの力を感じ取ってもおかしくありませんが」
「まさか」
(それは――)
(もしかしたらラニタリスが)
エイルはふるふると首を振った。それは、ウェンズには「エイルが自身の能力を否定している」ように見えただろう。「未知のところだらけの使い魔を持っている」ことに身を震わせたとは見えまい。
「俺自身は、関係ないよ。たぶんね」
エイルはそうとだけ言った。
「ローデン閣下が、あなたの星をどう読むのか、興味はあります」
言われたエイルは乾いた笑みを浮かべた。
〈星読み〉の能力は予知、予言と言われるものに近しい。言うなればそれは運命を読む力となる。
「ローデン閣下はお忙しい。では、協会長にお会いになりますか?」
ウェンズは簡単に言った。エイルは目をしばたたく。
「そんな簡単に会えるのか?」
入り口ですぐに会わせろと言ったことなど忘れたかのように彼は言った。
「通常であれば、それなりの手順が要りますが。私はフェルデラ協会長に直接ついていますし、あなたと首飾りの件は重要です。ああ、受付の彼のことは責めないで下さいね、彼は彼の任を果たしただけですから」
「それは別に、いいけど」
受付の魔術師に多少ばかり苛ついたことは事実だが、即断できるだけの権限や度胸がなかっただけではないか、などと意地悪を言うつもりもない。ウェンズの言うとおり、それが先の術師の仕事なのだ。
「そいじゃ……会わせてもらうかな」
少し迷ってからエイルは言った。
「ご心配なら、アーレイドで用意されたような、魔術の使えぬ空間を用意しますが」
「いや、要らないよ」
ウェンズの提案をエイルは一蹴した。
「協会長が魔術で俺を言うなりにしたいんだったら、〈調理人に拾われた迷い羊〉とばかりにもう何かやってるだろ。あんただって報告をするだろうし」
「迷い羊が現れました、と?」
ウェンズは面白そうな顔をした。
「フェルデラ協会長はあなたの首飾りに興味を持っていますが、奪うような真似はされませんよ。私が言ってもあまり安心材料にはならないかもしれませんが」
「そうでもない」
エイルは言った。
「俺は、あんたは信頼できると思いはじめてるから」
彼が正直なところを言うとウェンズは感謝の仕草をし、連絡を取るべく踵を返した。エイルはそれを見送るようにしながら、決意を固める。
魔術師として、その使い魔を守るため、自分よりも遙かに高位の術師と対峙するという。
(何か、動くきっかけがあるといいね)
(君のためにさ)
ふと、吟遊詩人クラーナの言葉が思い出された。
使い魔を、守るため。
これは、彼のきっかけなのだろうか。