09 エディスン
北の街は、常夏だった。
海から流れ込む湿り気のある風に目を細めながら青年魔術師が考えたのは、もう少し上等なローブを用意しようか、などというようなことだった。何しろ黒いローブの保温性ときたら、このような地では呪いの言葉を吐きたくなるほどなのだ。
(どうでもいいと思って安いの使ってるけど)
(あったかくなってきたり、持ち歩いたりすること考えると、分厚くて重ったくるしいのはちょっとな)
魔術で軽くするようなこともできるが、着用している間ずっと術をかけているくらいなら質のいいものを手にする方がいい。
協会へ出入りしなければ強いて必要のないものではあるが、滅多に使わないからと言って野暮ったいもののままでもいささか格好が悪い。
もっとも、エイル青年に見栄っ張りの気質はあまりない。下町時代を思えば、衣服なんてものは着られればそれでよかったから、少しばかり穴が空いていたところで、ぼろぼろになって着られないというほどでなければ――或いは単純に、寒くなければ――別にかまわなかった。
城に連れていかれてからはそのような格好は「汚い」と叱責され、こぎれいなお仕着せなどを押し付けられたから、ただそれを着ていた。要するに、あまり着るものにはこだわらないのだ。
安いローブを着用しているのはその頃から培っている癖のようなものであり、「何が何でも金をかけたりするものか」というほど意地を張っている訳でもない。
いや、少しは意地を張っていただろうか?
(でもまあ、そんなのも馬鹿みたいだしな)
夏物と冬物くらいは用意したって罰は当たらないだろう、などと太陽の陽射しのもとでエイルは考えた。
エディスン魔術師協会の場所は、誰かに尋ねなくても判った。
幾つかの街町で協会を訪れるうち、どういった場所を選んでその建物が鎮座しているか判るようになっていた。それに、魔術師たちが集まっている場所なのである。軽く集中すれば、魔術師には容易に見つけられるのだ。
エイルはそれまでそんなふうにして協会を探したことはない。そんなことをするよりも尋ねた方が楽だと思っていた。
だが、判るようになっていた。自然と。
彼は「魔術師」と言われるものになってきている。魔力があるからというだけの理由では、なく。
「アーレイドのエイル」
南向きの扉を開け、日の射さない協会内に足を踏み入れたエイルは、まず出自を明確にした。受付の術師が判ったと言うようにうなずく。
「ご用事は」
「さっき、この街から放たれた力について知りたい」
「力? 先ほど、ですか?」
「そう。数カイも前じゃない」
エイルが言うと、相手は首をひねった。
「そのような報告は受けておりません」
術師は胡乱そうにエイルを見た。
「失礼ですが、何か勘違いをされておいででは」
言葉は丁寧だったが、エイルは何となく馬鹿にされた気分になった。
「まだ報告がないって訳だな。それなら報告は最初に誰が受ける? 協会長か? じゃ、協会長に会わせてくれ」
きっぱりと言うと術師は――魔術師には珍しく――驚いた顔をした。
「お約束がなければ、ご面会は」
「ならいまから約束をするさ。会えなけりゃそれもできないけどな。いいから取り次いでくれ。それで駄目なら、宮廷魔術師だ」
受付はまたも驚いたようである。
「どういうおつもりか判りませんが、エイル術師。エディスンの協会長も宮廷魔術師も、会いたいと言って簡単に会える人物ではないのですよ」
「エディスンじゃなくたってそうだろうな。別にこの街を軽んじてるんじゃない。緊急で重要なんだ」
エイルは苛々を抑えて言った。
「取り次いでくれ」
だが受付の術師は迷うようだった。エイルは顔をしかめる。
「まさか魔術師が体面なんか気にしてるんじゃないだろうな? 見知らぬ余所の術師をほいほいとギディラスに取り次げるか、なんて。だいたい、ギディラスやれるほどの人間ならこの」
とエイルは自身を指した。
「程度の魔術師なんざ屁でもないだろ。いいからさっさと連絡を取れ。ご紹介が要りますとでも言うならウェンズを呼べよ」
「ウェンズ、ですか」
「そうだよ、あいつはエディスンの術師だからな。俺のことも知ってるし協会長とも面識がある。ああ、どっちでもいいから早くしろっ」
どん、と卓を叩いて叫べば「物静かな」魔術師たちに慣れている受付はやはり驚いたように目を見開いてからようやく、判りました、と言った。
それからエイルが次段階に進むまで、それほど時間はかからなかった。伝言を聞いたウェンズが文字通り飛んできたからだ。
「どうしたんですエイル、突然」
「そりゃこっちの台詞でね。あんたは『失礼ですが勘違いでもされているのでは』とは言わないと思うけど」
ウェンズに案内された協会内の小部屋でエイルは鼻を鳴らした。
「こっから妙な力が飛んできた。例の首飾りに向かってな。協会長か宮廷術師が何か絡んでるんじゃないのか。挑戦のつもりならただじゃおかねえぞと言いにきた」
エイルはほとんど一息で言った。協会長だの宮廷魔術師だのに魔力で敵わないことは百も二百も承知である。それでも言っておきたいことはあり、口に出すことで言霊が力を貸すこともある。
もっとも、実際の魔力に比べれば、大して当てにはならない助力だ。
「それはいつのことです」
「まだ半刻も経ってない」
「あなたが血相を変えて飛んでくるほど強烈な何かがあったと言うのですか」
エイルはウェンズをじろりと睨んだが、恍けているような様子は見て取れなかった。ただ、派手な傷跡はウェンズの表情を読み難くはしていたが。
「少なくとも私は気づかなかったようです」
「あんだけ存在感のあるもん、エディスンの面々は揃って見逃したとでも言うのかい?」
エイルは少し皮肉めいて笑った。ウェンズは肩をすくめる。
「そうなるかもしれませんね」
「おい」
「先の術師が報告にないと言ったでしょう。ならば、ないんです。少なくとも、魔術師協会が公的に記録するようなものでは、ない」
ウェンズはそんなふうに言った。
「何か――知ってるな」
エイルは目を細めてウェンズを見た。
「生憎と、それは『勘違い』です」
ウェンズは笑った。
「私は知りません。本当です。ただ、ローデン閣下……エディスン宮廷魔術師は何かを知っているかもしれません」
「ローデン」
エイルは繰り返した。ウェンズや、砂漠で邂逅したエディスンの王子から何度か耳にしている。
「会えるか」
「諮ってみましょう」
「すぐにだ」
「やってみます」
話が早くてよい。エイルは肩の力を抜いた。ローデンとか言う魔術師やここの協会長が何かを企んでいるとしてもウェンズはエイルに協力をしてくれている。そんな気がした。