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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第4話 魔術師の自覚 第2章

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04 成長

 しゃらん――と音がする。

 砂漠の風が吹き、〈風謡いの首飾り〉が鳴る。

 エイルははっとなって音の方を振り返った。

 魔物ルファードの姿はない。

 しゃらん、しゃらん、と音がする。

 そは、美しき音色。

 耳を澄ましながら、エイルは気づいた。その音を聞いても、奇妙な欲望は湧かない。あれが欲しいという不自然な熱情は浮かばなかった。

(優しい音色だ)

 ただ、彼はそう感じた。

(何だか落ち着く)

 それは、母の子守歌のよう。

 アニーナがそんなに(・・・・)優しかった(・・・・・)頃のことは記憶の彼方だが、彼とてかつては幼な子で、母の腕に安らったことはある、はずである。

 しゃらん、しゃららん。

 風が謡う。エイルは空を見上げた。そこには、満天の星が拡がっている。

(塔の外に一歩出れば、こんな景色が広がってるのに)

(のんびり夜空を見上げたりなんか、あんまりしてないな)

 しゃらん、しゃららん。

 穏やかな歌が響く。

 青年は久しぶりに、安らかな睡眠を得た。

 塔のなかでは時間が判りにくかったが、目を覚ましたのは何とも中途半端に、夜半過ぎだったようだ。

 起き上がって伸びをしながら大欠伸をすると、もぞもぞとラニタリスも起き上がった。

「何だ、別に寝てていいんだぞ」

 つい「子供」に対するように言ってしまい、これは魔物なのだ、と自戒する。

「平気。よく寝たもん」

 ラニタリスはにこっと笑い、エイルは絶句した。

「おまっ……また成長、してないか」

「ん? そうかな? そうみたい」

 見れば子供は、シーヴが買い与えた衣服が既にきつきつ(・・・・)である。見た感じでは六つ、くらいだろうか。

「やっぱ、もう間違っても母さんはごまかせないな」

 もうアニーナをごまかすつもりはないが、何となくそんなことを言った。

「あんまり簡単に大きくなるなよ。服代が馬鹿になんないだろ」

「あたしが大きくなろうと思ってなる訳じゃないもん」

 抗議するようにラニタリスは答えた。もっともなこと、なのだろうか。エイルは理不尽なものを覚えた。

「お前、この調子で成長すんの」

「判んない」

「服がないから、鳥になってろ」

「はあい」

 はっきりとした命令には何とも素直に言うことを聞く。ラニタリスは軽く両手を上げると、石の色をした鳥になった。

「何で、色が変わる訳?」

『判んない』

「だろうな」

 エイルは嘆息した。その返答にもだが、返答が判ったことにも。

「またあとで大きめの服、買ってきてやるよ。……東国の住民みたいな服なら、いくらか大きくなっても調整、きくんかな」

『あー、お金ケチる気だ』

「これは、節約ってんだ」

 エイルはまた欠伸をすると寝台から降りた。小鳥はぱたぱたと――この場合は足音ではなく、羽音になる――あとに続く。

「〈塔〉、お前、どう思う」

「何がだ」

「ラニの成長だよ。この調子で成長したら、あっという間に婆様だぞ」

『失礼ねー』

「それは、なかろう。成体になるまでは早く、そこからは長い。魔物はたいてい、そうだ」

長い(・・)

 エイルは思わず繰り返した。

「ちなみに、どれくらい」

 何となく不安に思いながら尋ねる。

「さて、それは様々だ。だいたいは、二百年から三百年――」

「二百年!」

 二十一歳の若者は天を仰いだ。

「お前、そんなに生きんの」

『判んないってば』

「言っておくが、エイル。最低でも、二百年から三百年だぞ」

「けっこう詳しいんだな」

 少し驚いて彼は言った。

「前の主は、変わったものが好きだからな」

 〈塔〉はそう答えた。

「いまでこそお前という格好の教え子がいるが、かつては私が彼の講義を聴いてやらねばならなかった」

 それでいろいろ学んだ、とオルエンに作られた建物は言った。

「長きを生きる存在は、その生と反比例するように、子供が生まれることは少ないと言う。魔物の子供は貴重なのだ。だと言うのに何故、ラニタリスの親は彼女をルファードに預けたりしたのだろうな」

「親」

 エイルは目をしばたたいた。

「そうか、いるはずだよな。親」

 魔物と言っても、土から生えてきたり海の泡から生じたりする訳ではない。いや、もしかしたら魔物のなかにはそう言うのもいてもおかしくないが、生身であればまず、ふた親――ではなく、単性生物であったりするかもしれないが――がいるはずだ。

「ラニ、親に会いたくないのか」

『何で?』

「何でって……そりゃ、親だろうから」

『あたしにはエイルがいればいいんだもん』

「それが主だと言うことだ。人間のような肉親の情はないのだと思え」

 〈塔〉がつけ加えた。

「ふうん。……あ、お前も判んだ、ラニの言ってること」

「言っていること、と言うのではないな。前にも言ったろう、概念だ。言葉のように聞こえるのではない」

「俺には、はっきりと言葉として判るけど」

「それは、お前が主だからではないのか」

「お前の言葉は別に、俺やオルエン以外にも聞こえるだろ。シーヴは聞いてたらしいし、クラーナだって」

「私は魔物ではない」

 〈塔〉は当然のように言い、エイルは乾いた笑いを浮かべた。石造りの建物と言葉を交わし、魔鳥の言葉を聞く。そこだけを取れば、大した魔術師である。

 成長。

 ふと、エイルの脳裏にその単語が浮かんだ。

 成長する小鳥、或いは子供、ラニタリス。

 成長する、翡翠の魔除け。

 そして――彼自身の、魔術師としての成長。

 複雑な思いがした。

 嬉しくない、気に入らない、だけで終わらせてきたそれを彼はいま、まるで「魔術師のしるし」である黒いローブを身にまとうかのように、その心にまといつけた。

 自分は魔術師として成長している。

 それは否定できないことであり、無闇に否定する気も、なくなりはじめていた。

『スライ師について学ぶ気はありませんか』

 ダウの言葉が耳に蘇った。

 土台をきちんとしなければ、この不可思議な成長はいずれ崩壊する。

 それは嬉しくなく、気に入らない予感(フェルシー)だった。

 だが、「きちんとしなければならない」ことが嫌なのか、培った魔力が崩れ去ることが嫌なのか、エイルにはまだ判然としなかった。


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