04 成長
しゃらん――と音がする。
砂漠の風が吹き、〈風謡いの首飾り〉が鳴る。
エイルははっとなって音の方を振り返った。
魔物ルファードの姿はない。
しゃらん、しゃらん、と音がする。
そは、美しき音色。
耳を澄ましながら、エイルは気づいた。その音を聞いても、奇妙な欲望は湧かない。あれが欲しいという不自然な熱情は浮かばなかった。
(優しい音色だ)
ただ、彼はそう感じた。
(何だか落ち着く)
それは、母の子守歌のよう。
アニーナがそんなに優しかった頃のことは記憶の彼方だが、彼とてかつては幼な子で、母の腕に安らったことはある、はずである。
しゃらん、しゃららん。
風が謡う。エイルは空を見上げた。そこには、満天の星が拡がっている。
(塔の外に一歩出れば、こんな景色が広がってるのに)
(のんびり夜空を見上げたりなんか、あんまりしてないな)
しゃらん、しゃららん。
穏やかな歌が響く。
青年は久しぶりに、安らかな睡眠を得た。
塔のなかでは時間が判りにくかったが、目を覚ましたのは何とも中途半端に、夜半過ぎだったようだ。
起き上がって伸びをしながら大欠伸をすると、もぞもぞとラニタリスも起き上がった。
「何だ、別に寝てていいんだぞ」
つい「子供」に対するように言ってしまい、これは魔物なのだ、と自戒する。
「平気。よく寝たもん」
ラニタリスはにこっと笑い、エイルは絶句した。
「おまっ……また成長、してないか」
「ん? そうかな? そうみたい」
見れば子供は、シーヴが買い与えた衣服が既にきつきつである。見た感じでは六つ、くらいだろうか。
「やっぱ、もう間違っても母さんはごまかせないな」
もうアニーナをごまかすつもりはないが、何となくそんなことを言った。
「あんまり簡単に大きくなるなよ。服代が馬鹿になんないだろ」
「あたしが大きくなろうと思ってなる訳じゃないもん」
抗議するようにラニタリスは答えた。もっともなこと、なのだろうか。エイルは理不尽なものを覚えた。
「お前、この調子で成長すんの」
「判んない」
「服がないから、鳥になってろ」
「はあい」
はっきりとした命令には何とも素直に言うことを聞く。ラニタリスは軽く両手を上げると、石の色をした鳥になった。
「何で、色が変わる訳?」
『判んない』
「だろうな」
エイルは嘆息した。その返答にもだが、返答が判ったことにも。
「またあとで大きめの服、買ってきてやるよ。……東国の住民みたいな服なら、いくらか大きくなっても調整、きくんかな」
『あー、お金ケチる気だ』
「これは、節約ってんだ」
エイルはまた欠伸をすると寝台から降りた。小鳥はぱたぱたと――この場合は足音ではなく、羽音になる――あとに続く。
「〈塔〉、お前、どう思う」
「何がだ」
「ラニの成長だよ。この調子で成長したら、あっという間に婆様だぞ」
『失礼ねー』
「それは、なかろう。成体になるまでは早く、そこからは長い。魔物はたいてい、そうだ」
「長い」
エイルは思わず繰り返した。
「ちなみに、どれくらい」
何となく不安に思いながら尋ねる。
「さて、それは様々だ。だいたいは、二百年から三百年――」
「二百年!」
二十一歳の若者は天を仰いだ。
「お前、そんなに生きんの」
『判んないってば』
「言っておくが、エイル。最低でも、二百年から三百年だぞ」
「けっこう詳しいんだな」
少し驚いて彼は言った。
「前の主は、変わったものが好きだからな」
〈塔〉はそう答えた。
「いまでこそお前という格好の教え子がいるが、かつては私が彼の講義を聴いてやらねばならなかった」
それでいろいろ学んだ、とオルエンに作られた建物は言った。
「長きを生きる存在は、その生と反比例するように、子供が生まれることは少ないと言う。魔物の子供は貴重なのだ。だと言うのに何故、ラニタリスの親は彼女をルファードに預けたりしたのだろうな」
「親」
エイルは目をしばたたいた。
「そうか、いるはずだよな。親」
魔物と言っても、土から生えてきたり海の泡から生じたりする訳ではない。いや、もしかしたら魔物のなかにはそう言うのもいてもおかしくないが、生身であればまず、ふた親――ではなく、単性生物であったりするかもしれないが――がいるはずだ。
「ラニ、親に会いたくないのか」
『何で?』
「何でって……そりゃ、親だろうから」
『あたしにはエイルがいればいいんだもん』
「それが主だと言うことだ。人間のような肉親の情はないのだと思え」
〈塔〉がつけ加えた。
「ふうん。……あ、お前も判んだ、ラニの言ってること」
「言っていること、と言うのではないな。前にも言ったろう、概念だ。言葉のように聞こえるのではない」
「俺には、はっきりと言葉として判るけど」
「それは、お前が主だからではないのか」
「お前の言葉は別に、俺やオルエン以外にも聞こえるだろ。シーヴは聞いてたらしいし、クラーナだって」
「私は魔物ではない」
〈塔〉は当然のように言い、エイルは乾いた笑いを浮かべた。石造りの建物と言葉を交わし、魔鳥の言葉を聞く。そこだけを取れば、大した魔術師である。
成長。
ふと、エイルの脳裏にその単語が浮かんだ。
成長する小鳥、或いは子供、ラニタリス。
成長する、翡翠の魔除け。
そして――彼自身の、魔術師としての成長。
複雑な思いがした。
嬉しくない、気に入らない、だけで終わらせてきたそれを彼はいま、まるで「魔術師のしるし」である黒いローブを身にまとうかのように、その心にまといつけた。
自分は魔術師として成長している。
それは否定できないことであり、無闇に否定する気も、なくなりはじめていた。
『スライ師について学ぶ気はありませんか』
ダウの言葉が耳に蘇った。
土台をきちんとしなければ、この不可思議な成長はいずれ崩壊する。
それは嬉しくなく、気に入らない予感だった。
だが、「きちんとしなければならない」ことが嫌なのか、培った魔力が崩れ去ることが嫌なのか、エイルにはまだ判然としなかった。




