03 否定しなくなってきた
「呪いだけじゃない。商人と魔術師についても」
「それは、何だ」
「……それがさ」
シーヴには隠したことだが〈塔〉にそうする必要はない。エイルは、商人クエティスが〈風謡いの首飾り〉――エイルが持っているそれを熱望していること、エイルを「砂漠の術師」と呼び、それを持っていると確信していたこと、そして魔術師がついていること、術を投げられて意識を失ったことまで正直に語った。話をすることで、改めて整理がつく。
「何だかわたわたしてて、このことについてじっくり考える時間がなかったんだけど」
エイルは椅子を引くと座り込んで卓に肘をついた。
「あんなふうに、いきなり背後から首に縄かけるみたいな真似する術師は、かなりやばいよな。……やっぱシーヴを帰してきて、よかった」
それは本音であったが、少しばかり苦いものも混ざった。〈塔〉は忌々しくも敏感にそれを聞き取る。
「シーヴと何か、あったか」
「何かあったって訳じゃない。俺が一方的に言っただけ」
エイルは肩をすくめた。
「『お前には関係ない』『口を挟むな』『俺はもうランティムには行かない』とね」
「何と」
〈塔〉は驚いたようだった。
「もう、彼と顔を合わせぬ気なのか」
「はじめは、もうこの件に関わらせたくない、それだけだった。でもさ、言ったことも本当なんだ」
エイルは自身の言葉を思い返した。
「俺が気儘にランティムを訪れてあいつと話し、そして好きにアーレイドへでもここへでも、帰る。あいつが町のために捨てた自由ってやつを俺は持ってて、たぶん、持ち続ける。あいつは変に妬んだり悪感情を抱いたりはしないと思うけど、それでも」
「妬みそうになる自分を叱責はするだろうな」
「そう」
王子の友人はうなずいた。
「俺はあいつの旅心を刺激する。あいつの決意を揺るがせる。一度、こうして旅に出たせいで却って、な」
エイルは口の端を上げた。〈塔〉はそうは言わなかったが、それは寂しげな笑みに見えただろう。
「あいつのために、俺はもう、顔を出さない方がいいんだ」
「――お前の決めることだ」
〈塔〉はそうとだけ言った。
「私ももう彼とは会えぬのか」
「会いたがってたもんな、悪ぃ」
エイルは何となく謝った。
「シーヴに会わないの? もう?」
不意にラニタリスが声を出した。
「その、つもりだ」
苦いものを覚えながら、エイルは答えた。
「俺たちは、二年前にアーレイドで分かれたあと、会うことなんてないはずだったんだ。俺はそう思って、ファドック様からもらった短剣をあいつにやった。再会したのは、砂神の導きだか悪戯だかで」
そこでエイルは言葉を切る。
「……今度も、何か渡せりゃよかったな。リック師の、魔除けとか」
「駄目っ」
突然の反論にエイルは目をしばたたいた。
「何だって?」
「それってあれでしょ、翡翠。そんなもの持たせるから、あたしがシーヴを見つけられなかったのよ」
「……何だって?」
エイルは繰り返した。
『お前は、魔物か?』
冗談めかしたシーヴの言葉が脳裏に蘇った。
『魔除けの翡翠を手放した途端、現れるとは――』
「失礼しちゃうわ。ああいうの身につけられたらあたしの目、だんぜん悪くなっちゃうんだから。あ、でもエイルはそれもっててもへいき。エイルだからかな」
それは「主である」という意味にも取れれば「翡翠と相性がいい」という意味にも取れた。だがそのことよりも、エイルは少し愕然とする。
忘れていたつもりはない。だが、「変身」以外に実感はなかった。
これは、魔物だ。
魔除けが、効くのだ。
「どうかした?」
「……いや」
エイルは首を振った。
魔物であろうと何であろうと、彼はこれを拾った。拾ってしまった。いまさらそれを忌避する権利は、ない。そのつもりも。
「お前があいつを見つけられなくたって、別にもう、何の問題もないけどな」
彼はそんなことを言った。それは、ラニタリスの主張への返答であると同時に、彼自身が受け入れていることを示すものでもあった。
魔物の主であること。
そして、友と離れたこと。
「シーヴがこなくたってさ」
何を言おうと思った訳でもなく、何となくエイルは口を開いた。
「ラニもいるんだし、寂しかないだろ」
呼ばれたラニタリスは顔を上げると、にこっとした。〈塔〉に向かって笑んだつもりらしい。
「可愛らしい」と表現されるであろうその笑顔は、まるで無邪気な子供。
だが、魔物だ。
怖ろしいとか、ぞっとするとかいう気分にはならない。なるべきなのかもしれないが、エイルは不思議とそれを感じなかった。
彼は、受け入れていた。
或いは、選んでいた。
「……まあ、誰かがくるとしたら」
エイルは呟くように言った。
「ウェンズなんかは、有り得るかもな」
「エディスンの術師だな」
「そう。少なくともまだ、『ここまでご案内』には抵抗があるんだけどさ、あいつだったら……いいかな、とも、思う」
顔の片方に生々しい傷跡のある、穏やかな魔術師。
「ただ、エディスン協会長のために動いてるっぽいとこもあるから、完全に信頼する訳にもいかないけど」
「その協会長は何か問題なのか」
「それが判らないのさ。あと宮廷魔術師とかも」
何も居丈高に命じてくる様子はないし、もう少し疑いを捨ててもよいだろうとは思う。だが、首飾りを見せたり渡したり、となるとまた別だ。もしやるならば、スライやダウが先であるし、そもそもこれはあくまでもエイルの「宿題」だ。のっぴきならなくなるまで導師の手は借りない。そう決めている。
いつだったかラスルの長が言ったように。
彼はもう、選んでいた。
「スライ師とダウ師の両師にお前のことを話す。彼らはたぶん、俺の意思を尊重してくれるから、こないでほしいと言えばこない。どうしてもって言うなら、まあ、いいかなとも思うけど」
エイルはそんなふうに言った。
「俺みたいな駆け出しがお前みたいのの主だなんてのは、気に入らない魔術師もいると思う。それに、件の魔術師が何かでかぎつけてこないとも限らない。だから、あんまり話は広めたくはない。だから両師が俺を気にかけてくれるのに甘えて、伝言があれば送ってくれるように頼もうと思ってる」
エイルは話しながら考えをまとめた。
「決めたのだな」
「大した決断じゃ、ないけどな」
「そうでもないだろう」
〈塔〉は静かに言った。
「お前は、魔術師たることを否定しなくなってきた」
その指摘にエイルは黙った。
彼がこの塔のことを一部の相手を除いてひた隠しにしているのは、「伝説の塔などに興味を持たれて探されては面倒だ」という理由よりも、「伝説の塔に住むなど、いかにも魔術師じみている」からだ。
彼はとにかく、魔術師であると見られるのが嫌なのだ。嫌であったのだ。〈塔〉はそれを知っていた。
「――少し、休む。それからアーレイドに戻って、スライ師に話をしてくるよ」
エイルはそれ以上は何も言わず、階段を上がった。〈塔〉もそれ以上は何も言わなかった。
ラニタリスはぱたぱたと小走りについてくる。
シーヴといるときはずいぶんと喋っていた子供は、戻ってきてから不思議と、ろくに口を利かなかった。エイルの気分の変化を感じ取ってでもいたのだろうか。
エイルが寝台に潜り込むと、子供は当然のように同じ布団に入り込んできた。まるで小鳥と言うよりも猫だ、と思いながら、エイルはラニタリスのしたいようにさせた。