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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第4話 魔術師の自覚 第1章
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11 仕舞いなんだ

「判っている。しかし」

「判ってないじゃないか!」

 シーヴの反論を遮ってエイルは叫んだ。

「俺がいると、二年前までの放浪を思い出すのか?」

 思い浮かんだ言葉をエイルはそのまま口にした。どう続ければよいかと準備をした訳ではなかった。だが、続く言葉はするりと出てきた。

「好き勝手にやってた頃は、そりゃあ楽しかっただろうよ。いまはそうはいかない、あの頃に戻りたいって思う訳だ」

 エイルは口調を平坦にして更に続ける。

「だけどお前は判ってたはずだ。シャムレイよりもランティムに責任がある。自分でそう言ったじゃないか。なのに」

 そこで彼は息を吸い込み、大声を出した。

「ちょっとばかり俺と出歩いたら、それを忘れちまったのかよ!?」

 友人の剣幕に、ランティムの伯爵は驚いたようだった。

「そんなつもりはない。俺は、ただ」

「もう仕舞いだ、シーヴ」

 彼はまたも、友人の言葉にかぶせるようにして言った。

「正直に言えば、俺も楽しかったよ。厄介なことだらけで、お前の無事を考えてはらはらして、レギスじゃ腹も立てたけど、ここまで戻ってくりゃ楽しかったと思う」

 まっすぐ、エイルはシーヴを見た。

「でも、仕舞いなんだ」

 彼は繰り返した。

「お前はもう、旅になんか出ないでここで責務を果たす。次に町の外で何か調べなきゃならない事情ができる前に、信頼できる密偵でも育てろよ」

「もう関わるなと、言うのか。そう告げるつもりで、待っていたのか」

 シーヴは苦々しい表情をした。

「――そうだ(アレイス)

 エイルはうなずいた。

 正確なところを言うならば「そうしたい」とは思っていても「そのつもり」ではなかった。だがいまはとなっては「そのつもり」だ。

「間違ってたんだよ」

「何がだ。この旅路が誤りだったとでも言うのか」

「〈偽物屋〉に抜けない釘を刺してきた、その成果は認めるさ。でも」

 間違ってたんだ、とエイルはまた繰り返した。

「お前はランティムの伯爵。俺は、遠く西の魔術師。顔を見せて、お前の放浪癖を刺激したのは俺って訳だ」

 エイルは少し唇を歪めて、視線を逸らした。

「――悪かったよ」

「どういう……意味だ」

 すうっとシーヴの黒い目が細められた。

「俺が、ランティムを……レ=ザラと赤子を置いて、好き勝手に放浪をしたがっているとでも思っているのか」

「さあな、判るもんか」

 エイルは首を振った。

「俺には判らない。お前が口にする『責任』がどこまで本気か。少なくとも俺には」

 エイルは少しだけ間をおくと、再び友を正面からじっと見た。その明るい茶色の目に映ったわずかな翳りは、王子に見て取れたものか、否か。

「俺にはな、シーヴ。お前が自分に言い聞かせるための、まずい方便にしか聞こえない」

 その台詞は王子の虚をついた。思いがけないことを言われた、というのではない。

 シーヴは知っている。彼自身の望みを叶えようとすれば、その後始末を強いられる人間がどれだけいるか。彼は知っていて、だからこれまで懸命に「領主」をやってきた。だと言うのにいまはそれから目を逸らしている。見まいとしている。

 「エイルの手助けをしたい」というのはシーヴの本音だろう。建前では決してない。だが、言い訳のひとつだ。

 そしてそのことをエイルは知っている。

「何、だと」

 その声にはエイルがこれまでこの砂漠の王子に聞いたことのない響きがあった。

 どんなときでもいい加減なことを言い、たまに真面目になることもあるが、ときには羨ましいほどに自分の道を把握している――エイルには、そう見える――〈砂漠の子〉。リャカラーダにしてシーヴの名を持つ陽気な友人の声はそのとき、割れて、歪んで聞こえた。

「俺が、責任を理解していないと? いや、それではヴォイドの台詞だ。お前が言うのはそうじゃないな、エイル。俺が、この地位にある以上は仕方ないと、無理をしてこの町にいると。本当は嫌がっていると、逃げ出したがっていると、お前はそう言うのか」

 それは、懺悔にも聞こえた。本当はそう思っているのだ、と言うような。

 しかしそうであっても、砂漠の王子はそれを押し隠してきた。それは彼の決めたことであり、彼は自分でその思いに整理をつけることができる。そうやってきていた。

 この旅路に出るまでは。

 いや、いま、こうして自ら口に出すまでは、だろうか。

「無理をして」

 エイルは感情を殺した声を保つと続けた。

「似合わないことをやってる。お前自身、そう思ってるんだろう。砂漠を離れ、ミンたちウーレを離れ、ろくに砂風の届かない東国の片隅、堅い建造物のなかで、定められた妻を愛しているふりを」

「エイル!」

 がちゃん、と音がした。シーヴが手にしていた陶杯を壁に投げつけたのだ。口に出された言葉よりも大きな音を立てれば、言われた意味が消えるとでもいうように。

「それ以上は言わせん」

「何だよ? ミンよりレ=ザラ様を愛していると? それならそれでいいだろうさ。いや、その方がいい。誰のためにもな」

 青年は容赦なく続けた。

「お前が砂漠への未練を捨てれば全てが平和にいく。ミンはラグと幸せにやって、お前のことなんかはいい思い出になる。もう既になりつつあるな。レ=ザラ様だって、生まれてくるガキだって、お前がここで立派な領主を勤め上げればそれが幸せへの道だ。ヴォイド殿が求めてることはもちろん、俺が言うまでもないな」

「やめろ!」

 シーヴは声を張り上げた。

「判っている。シャムレイを離れて町を持てば、気儘に放浪などできぬことは判っていた。俺の決めたことだ」

「決めたのなら守ってみせろ。俺を」

 エイルは胸が痛くなるのを覚えた。だがそれを飲み下して、彼は続けた。

「口実に、するな」

「何だと」

 シーヴの声がまた掠れた。

「俺はもうこりごりなんだよ、シーヴ。楽しかったと言ったのは、本当さ。終わってみれば、そう思う。だがこれ以上は断る。お前の気紛れにつき合わされるのはもうご免だ」

 エイルは、他人を見るような目で友人を見た。

「何を……言い出す。そんな言い方をすれば俺が諦めると思ってでも、いるのか」

 もしシーヴがここでにやりした顔を見せたなら、エイルは嘆息して「腹を立てたふり」をやめ、鋭い友人に呪いの言葉のひとつも吐いただろう。

 だがこのとき、王子の声は弱々しかった。エイルはそこを逃さなかった。

「いい加減にしろ。お前にはお前の、俺には俺の道がある。お前もいつか、そんなことを言ったよな。その通りさ。だがお前は自分の道に不満を覚えてる。自由に出歩ける俺を――妬んで」

「エイル!」

 シーヴは叫んだ。

「それ以上……言えば」

「言えば、どうする」

 エイルは唇を結んだ。その端が引きつるようだ。心が痛い。だが、あとには引けない。

 シーヴをこの件から離すには、これしかない。

「俺を捕らえでもするか? やればいいさ、お前にはその権限がある、ランティ(・・・・)ム伯爵リャ(・・・・・)カラーダ殿(・・・・・)

 その呼びかけは、砂漠の王子が滅多に見せぬ表情――傷ついた顔を引き出した。

「そうして、お前が見たくないものを見せる相手をなくしてしまえば、楽だよな」

「そんなことを考えているものか!」

 シーヴの声は怒鳴ると言うよりも、まるで悲鳴のようだった。

「エイル、お前、おかしいぞ。いったい何故、そんなことを言い出し」

「誰かが言ってやらなきゃならないだろうが!」

 やはりシーヴの台詞を遮るように、エイルも声を大きくした。

「お前はちゃんと判っているはずなんだ。やるべきこと。いるべき場所。なのに、俺が邪魔をした」

 エイルは息をつき、静かに続けた。

「そうさ。間違ってたんだよ、シーヴ。二年前に終わった絆のために、俺たちが友人でいるなんて」

 エイルは言い、シーヴははっとなったようだった。

「お前、まさか」

そうだ(アレイス)

 エイルははっきりと言った。

「仕舞いなんだ、シーヴ。俺は帰る。そして」

 彼は声を落とし、わずかに息を吐き、同じ調子で続けた。

「もう、ランティムには二度とこない」

 乾いた風を感じたのは、友人同士のどちらだったか、それとも両方であったか。

 穏やかなアーレイドの風でも、熱を持つ砂漠の風でもない。

 それは冬至祭を終えて春に向かおうとしているビナレスに吹く最後の、きつい木枯らしに似ていた。


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