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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第4話 魔術師の自覚 第1章
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07 そう悪いことでもない

「何よ。文句あるの」

 呆れるやら驚くやら、ほかにも何やらよく判らない混乱した感情のためにエイルが中途半端に口を開けると、レイジュはじとんと彼を見てそう言った。

「ない」

 エイルは誓いの仕草のように片手を上げた。

「レイジュがファドック様ファドック様って言わない日があったら、それは世界の終わりだ」

「ほら」

「何だよ」

「ちゃんと判る男もいるのに」

「俺はそりゃ、ファドック様のこと尊敬してるし」

「それよ」

「何が」

「あの男にはそれが足りなかったんだわ。ファドック様への尊敬」

「……相手って一応、貴族だったんだろ」

 エイルが指摘をすると、レイジュは、それが何よ、と言った。

「ファドック様だっていまに伯爵位を継がれるわ」

「平民だから、姫君にさらわれなくて安心なんじゃなかったのか」

 確か彼女はかつて、ファドックに対してそんなことを言っていたはずである。

「だって、もうご結婚されたじゃない」

「そりゃまあ」

 エイルはうなった。

「この前、ご子息も拝見したわ。利発そうよ、ラディアス坊っちゃま。目元なんかファドック様にそっくり。将来が楽しみね」

 赤子が生まれると誰もが「ここは母似」「そこは父似」というような話をするが、正直に言ってエイルにはどこが似ているものかさっぱりである。だいたい、少しばかりファドックに似ていたとして、何がどう楽しみなものかもよく判らない。適当に応じた。

 一般的には憧れの男性が結婚をすれば、表ででも裏ででも涙のひとつも流すのが女というもので、子供まで生まれればなおさらだ。そのことを話題にしたがらなかったり、或いは憧れが薄れていったりするのが自然である。と、少なくともエイルは思っていた。

 だがレイジュのそれはどうにも「一般的」ではなく、その辺りの彼女の心情については親友の侍女仲間カリアも首をひねるらしい。

 ただ、エイルには何となく判る。

 レイジュがファドックを好くのは、彼女が隣に立つためではないのだ。

「あー、それで」

 青年は咳払いをした。

「しないのか。結婚」

「しないわよ」

 エイルが話題を戻すと、レイジュは──しとやかな侍女らしくなく──鼻を鳴らした。

「だいたいね、恋人に結婚の噂が立ったら、まず追及しにくるもんでしょ。『おめでとう、よかったな』で済ませた男もどうかと思うわ」

「俺かよっ」

 突然の矛先変更に青年は焦った。

「んなこと言ったって、もう本決まりだったじゃねえか。あの時点で俺がどうこう言ってたら方針、変えたのかよ」

「そんなの」

 レイジュは何か言おうとして、口をつぐんだ。

「……変わらなかったわ。たぶん」

 少し視線を逸らして、そう続けた。エイルは天を仰ぐ。そんなことだろうと思ったのだ。

 口にされない言葉は判らない。エイルが言わなかったのと同様、「あのときちゃんと言ってくれたら」という思いは伝わらなかった。「私から望んだ訳じゃない」とも。いまさらだ、と彼女も思うのだろうが、もし口にされたら青年は言葉に詰まっただろう。

「でもちょうどよかったわ、会えて。言っておきたかったの」

 再び目線を合わせると、侍女は口調を変えてじっとエイルを見た。何だろうか、とエイルは不審に思う。覚えたのは不審よりも不安、だろうか。

「あのね。私は、結婚の話が上がって別れておきながら、やめたからよりを戻しましょうなんて言う調子のいい女じゃないから。安心しといて」

「へ?……はっ?」

 意味が判らなくてエイルは素っ頓狂な声を出した。

「だって。避けてたんでしょ、私のこと」

「俺が?……そっちだろ、避けてたのはっ」

「いつ私がそんなことしたのよっ」

「いつって」

 エイルがシュアラのところを訪れたときにレイジュがいれば、彼女は決して視線を合わせなかった。侍女仲間と話しているところを通りかかっても、気づかないふりをされた。以前はよくきていた下厨房にも顔を見せなくなったし、エイルがファドックと話をしていても寄ってこない。避けられていたと言う以外に何があろう。

「シュアラ様のところにきても視線を合わせないし、カリアたちと話してるときに通りかかっても無視したのは誰よっ。さすがに悪いと思って下厨房にも行かなかったし、エイルがファドック様とお話ししてても耐えて通り過ぎてたのよっ?」

 どうやらお互い様、であったようだ。

「別に……嫌いになったりした訳じゃ」

 もごもごとエイルは言った。

「そう。でも、できたんでしょ」

「は?」

 またも、判らない。

「何が」

「恍けなくていいわよ。新しい恋人ができたんでしょって話」

「なっ何で」

 エイルは目を白黒させた。思いもかけない、指摘だ。

「噂になってるもの」

「はあっ!?」

 彼は、自分は噂になるようなことは何ひとつ――と思って、血の気が引いた。まさか、ラニタリスの手を取って歩いているところを城の誰かに目撃され、子持ちの未亡人とつき合っているとでも?

「ど、どんな噂」

 おそるおそる、エイルは聞いた。レイジュは胡乱そうな目つきをする。

「近頃。仕事を疎かにしがち。やたらと銀貨(ラル)を取りにくる。〈冬至祭(フィロンド)〉の間、ザックやイージェンも顔を見なかったって。エイルにはどこかに金のかかる女がいるんだってもっぱらの――」

「冗談! んなの、出鱈目だぞっ!?」

 その三点は間違いなく事実だが、それだけのことから「もっぱらの噂」になどなっているとは知らなかった。お喋り鳥(キャルー)の想像力は大したものである。

「いまだって、お金もらいにきたんじゃないの? そんなこと滅多にやらなかったのに。急に趣味が変わったんじゃなければ、誰かのためだと思うのが普通だわ」

 レイジュは簡単にはエイルの否定を信じないようだった。

「それは」

 ある意味では確かに誰かのためだし、金のかかる女もひとり、いる。

「うー」

 エイルは装飾のある天井を仰ぎ、それから肩を落として磨き込まれた床を見た。どう説明をすれば、判ってもらえるものか。

「話す。いつか。この件が片づいたら」

「恋人がいるんじゃないの? 別に私に気を使うことなんてないのよ。それにもちろん、誰にも言いふらしたりしない」

「違う。断じて」

 エイルは本当に誓いの仕草をした。

「何つーか、その」

 青年は頭をかいた。

本業(・・)の方で、どうにも時間と金のかかることがあるんだ。フィロンドは、まあ」

 ちろり、と侍女を見る。

「恋人がいても、のんびりできなかったほど、忙しかった」

 そう告げてから、悩む。ここで「来年は一緒に過ごそう」などと言ってしまって、いいものか。

「エイル、私だったら」

 レイジュはすっとエイルに視線を合わせた。青年はどきりとする。もしや、「新年は空いてるわ」とか「今度は一緒に過ごしましょう」とか、そう言った類の台詞が――?

「やあよ」

「……何?」

 エイルは目をぱちくりとさせる。

「だって、そうでしょう。お祭りの間中、忙しくてどっか飛び回ってる魔術師なんて、あんまり恋人にしたくないタイプだわ」

 本業(・・)と言ったのが魔術のことであると、見抜かれた。と言うより「魔術師エイル」を否定しているのはやはりエイルだけなのだろうか。いや、否定しているのなら何故、本業などと口走ってしまったものか。

 そしてそれよりも――いまの台詞は、今度こそ決別宣言(・・・・)なのだろうか? レイジュの方こそ彼と元に戻る気はないと、彼女はそう言ったのか?

 エイルの頭は忙しく回転したが、すぐに答えは出なかった。

「まあ、いいわ」

 レイジュはうなずいた。エイルとしては、あまり、よくない。結論が出ていない。

「話、ちゃんとしてもらうからね。それから、今後は目を逸らさないこと。あと、エイルがファドック様とお話ししてたら、次は即座に入り込みますからね」

「……判った」

 どうやら、少なくとも、友人関係には戻ったようだ。これは、そう悪いことでもない。

「悪かったわね、引き留めちゃって。何だか知らないけど、忙しいんでしょ」

「ああ、そうだった」

 エイルははたとなる。さっさとシーヴを帰してしまわないとならないのだ。

「話す、からな」

「楽しみにしてるわ」

 そう言うとレイジュは笑った。久しぶりの彼女の笑顔にエイルも笑みを返し、久しぶりに陽気な気分で城の廊下を駆けた。


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