04 いまの言葉、忘れるなよ
その後しばらく「ああ言えばこう言う」王子殿下――シーヴからしてみれば、おそらくはエイルがそれに値する――とやりあったものの、シーヴが引く様子は全くない。エイルとしても引く気はないのだが、「居座るか移動するか」であれば、「居座る」方に分があるのは物理的見地からも明らかであった。
つまり、エイルが決して話さなかったところで、シーヴが自分で領地に戻るつもりがなければ、どうあがいてもエイルの負けだということだ。
途中でその勝負に見切りをつけたウェンズは一旦エディスンへ戻ると言って中座し、観客は吟遊詩人のみとなった。
議論がいい加減に三カイに及ぼうとしてくると、中立を決め込んで面白そうにふたりのやりとりを見守っていたクラーナは、のんびりと仲介をした。
よりによって、このような言い方で。
「エイル、そろそろ、諦めたら」
その判決にシーヴはにやりとし、エイルは肩を落とす。
「シーヴを帰すことには賛成だったんじゃないのかよ」
「そりゃあね。でも、それは彼がここにくるまでの話。状況は変わった」
詩人は肩をすくめた。
「君たちの運命は絡まり合って、簡単にはほどけない証拠だよ。だいたい、僕は」
クラーナはふたりを見比べた。
「君たちを出会わせるために長年動いてたからね。一緒にいてもらうと安心するみたいだ」
「……裏切り者」
「酷いな」
エイルの呟きにクラーナは眉をひそめた。
「いいかい、エイル。君が拒絶しても王子殿下は無茶をやる。ならば応じて、君がフォローした方がいい。だいたい、少し前はそういうつもりでシーヴを追いかけてたんだろ」
「お前もたまにはいいことを言うんだな」
「君も失礼だね、相変わらず。まあ、君が僕を褒め称えたら驚くけどさ」
王子と詩人の呑気なやりとりにエイルは頭を抱えた。
「話しても、いい」
「お、覚悟が決まったか」
「但し、お前がランティムに帰ったら、だ!」
断固たる決意を込めてエイルが言えば、シーヴは嘆息する。
「振り出しじゃないか」
「違う。話すと言ってるんだからな」
最大の譲歩だ、とエイルは言った。
「話すんならいまもあとも同じだろう。いいから覚悟を」
「いい加減にわがままはよせっ。ヴォイド殿とレ=ザラ様のことを考えろ!」
エイルは卑怯な切り札を持ち出した。ヴォイドのことはともかく、レ=ザラについて言われればシーヴが痛いことは判っている。
「わがままのつもりは、ないんだが」
しゅんとなったように見える王子殿下に――しかし騙されてはいけない、とエイルは自身に言い聞かせた。
「レ=ザラ様というのは、奥方様だったね」
思い出すようにクラーナは言った。チャンスだと、エイルは気づく。
「そう。しかも、いま現在、腹にはこの阿呆野郎の子供が」
エイルがばらした事実にクラーナの顔は厳しくなった。
「――シーヴ。それは、いけないんじゃないの」
「だろう。そうだよな? ほら、もっと言ってくれ」
「クラーナ、お前どっちの味方だ」
「こうなったら奥方様に決まってるだろう! 話なんかあと。僕にいま力があったら問答無用で送り跳ばしてやるのに」
吟遊詩人はレ=ザラの夫を睨んだ。
「オルエンに全部返したことを惜しく思ったのは初めてだね!」
「あれもオルエンの力だったのか?」
驚いたエイルは思わず問うた。
「もちろん。姿替えも含めてね。何でも、それに応じた力が出るとか。いまの姿になってからは、何故だかやらないみたいだけど」
「……やってくれていいのにな」
あの顔をあまり見たくないエイルはつい呟いたが、好きに顔形を変えられて、うっかり騙されても腹立たしいから、あのままでいいかと思い返した。
「ああ、爺さんのことはどうでもいいよ。シーヴ!」
すっかり、クラーナはエイルの味方――ではなく、レ=ザラの味方になった。
「いますぐ、魔術師協会に行く! それで、ランティムまで送ってもらえ」
「だが、ランティムには協会がない」
「なければ近場まで!」
「しかし、金が足りないんじゃないかな」
「シーヴ。いい加減に」
「帰らないと言ってるんじゃない、本当のことを言ってるだけだ!」
詩人の声音が低くなったことに本気を聞いて取ったか、慌てたようにシーヴは言った。
「協会が要求する金額を知ってるのか? エイルから借りた分はなくなったし、それ以外にもシャムレイ王子の正式な署名を要求されたんだぞ!」
「それならもう一枚、署名する!」
「生憎と第三王子にそこまでの信用はないんだ! 俺が悪いんじゃないぞ、そういう仕組みだとか」
「ああ、なら俺が送る!」
この機会を逃してはならない。エイルは叫んだ。シーヴは目を丸くして友人を見る。
「……できるのか? できないから、〈塔〉の力を借りたり、俺をいますぐすっ跳ばしたりできないんだろうに」
「〈塔〉の力を借りる手もある。でも、お前はあいつの力と相性が悪い。協会からは頭痛くらいで済んだんだな。なら、協会だ」
協会でならば自分も〈移動〉を容易くできること、魔術師に対しては料金も格安であること、などをエイルは説明した。
「それなら、どうしていままで協会を使わなかったんだ」
シーヴはもっともなことを言った。早く彼を帰したいというのならば、レギスからとっとと「近場」まで送りつければよかったのではないか、と言うことだろう。
「誰かを連れるってのはやったことないんだよ」
エイルは唇を歪めた。
「それに、そんなふうに魔術師協会を使うなんて、どうにも魔術師臭いじゃないか」
魔術師の言葉にふたりは笑った。
「さあ、方法はどれでもいいよ。とにかく帰った帰った」
クラーナはぱんと手を叩くとシーヴに向けて追い払うような仕草をした。一気に情勢が変わった。エイルはにやりとする。
「そうだろう、そうだろう。そうだよな、レ=ザラ様を放っておくのはいけない。うんうん」
「そうよね。あたしもほんとはそう思ってたの」
「――はっ?」
「え?」
「ラニ! お前っ」
エイルのにやり笑いは一気に凍った。そこには、五歳ほどの女の子の姿がある。
「何? だって、ウェンズって人に見せたくなかったんでしょ、あの人は魔術師だから。クラーナは、いいんじゃないの」
目をぱちくりとさせて、ラニタリスは言った。
「確かに、クラーナならいいような気もするが」
「ラニ? ラニタリス?……さっきの、小鳥?」
「そう。よろしくね、クラーナ」
にこっとラニタリスは笑うと手を差し出した。吟遊詩人は少し呆然としながら、かがみ込んでそれを取る。
「大した、使い魔なんだね」
「言うことを聞かないのにか?」
「何よぅ、ちゃんと聞いたじゃない」
クラーナの手を離すとラニタリスは不満そうに言った。エイルはそれを睨みつける。
「確かに、ウェンズに見られて妙な感嘆を受けたくないとは思った! でもな、あいつが去ればいいとは言ってない、鳥のままでいろと、俺はそう言ったんだぞっ」
「でも、でも、いないんだからいいじゃないっ。あたし、詩人さんとお話ししたかったんだもんっ」
「シーヴっ」
「俺はそんな教育はしてないぞ」
心外だとばかりに砂漠の王子は言った。
「主人の言葉を自分に都合いいように解釈するのなんぞ、世の中にヴォイドがひとりいれば充分だ」
「ツゴウイイヨウニなんかしてないもん」
ラニタリスは不満そうに言ったあとでシーヴをじっと見ると、思い出したように口を開く。
「シーヴはね、オクサンと子供のことちゃんと考えてるよ、エイルの前じゃ言わないけど」
「おいっラニタっ」
砂漠の若者は急に焦ったような声を出した。
「余計なこと、言うなよ」
「へえ?」
これは、珍しい光景だ。エイルは思わずにやっとする。
「シーヴとどんな話をしたんだ、ラニ?」
「あのね」
「よせっ」
「ラニ」
「生まれてくるのが男の子なら」
「やめろっ」
「男の子なら?」
「剣や刀子の使い方を教えたいって。女の子なら」
「判った、協会でも何でもいい、すぐに帰る。頼むから、それ以上言うな!」
いったいどんな話を口走ったものか、シーヴは、濃い色の肌には判りづらいが、青くなったようだった。
正直なところを言えば、その内容はとても気になったが、いまの台詞は最大の好機だ。魔術師が何か術を編まなくたって、違いようのない約束である。
「ようし、それじゃご帰還と行こう。いまの言葉、忘れるなよ」
初めてシーヴの弱みを握った――正確には何も握っていないが――とエイルは何だか満足をして宣言した。




