10 襲撃
「私はそれを手にしようとその場所を訪れ、幾度か交渉を試みました。うまくいくものと思えた矢先、首飾りは忽然と消えました」
クエティスは何気なく言おうとしていたが、声には悔しさがにじみ出た。
「何者かが既に……持ち去った、あとでして」
「持ち去った」
面白そうに繰り返したのはウェンズである。
「買っていった、ということではないようですね」
「ええ」
クエティスはうなずいた。
「何ものかが、まさしく〈口を開けたところで肉を奪る〉ように、私から首飾りを――奪った」
商人の視線がエイルに向いたような気がした。エイルは瞬時どきりとしたが、考えすぎであったか、クエティスはウェンズの方に顔を向けている。
「そのような事情でして。買い戻せるものならばどうにかしてと思ってはいますが、相手がどこの何者か判らぬままでは」
方法がない、とクエティスは首を振った。
「それは東方の品と言えますね」
ウェンズが確認するように言うと、クエティスは顔をしかめた。
「たまたま東方にあるだけで、東の品という訳ではありませんが」
確かに、あの首飾りのきらびやかさは東国や砂漠の気質とは相容れない。エイルはうなずきそうになって、こらえた。
「東で作られたのではなくとも東方の品です。関わることが認められないとあらば?」
「認められないって何だい」
面白そうに――恍けて――問うのは吟遊詩人だ。
「商人さんは使用人の息子であってもいまは使用人じゃないのに、どこかにご主人様がいるの」
「そのようなところです」
クエティスは肩をすくめてそう言うにとどめた。もちろん、闇組織の長に仕えています、などとは言わないだろう。
「認められないとなれば。私は中心部に戻るべきですが」
商人は視線を落とし、次に上げたそのとき。
答えるべきウェンズでも口を挟んだクラーナでもなく、今度こそまっすぐに――エイルを見た。
「商売抜きで、と言った通り」
その声は、不意に低くなった。
「このような網で私を絡め取ったと思うな。次は、私が網を用意する」
「何」
エイルは目をしばたたいた。
「私を迷い羊とでも思ったか? 調理人たちの群れに飛込んだ? 生憎と」
商人は瞳に力強い色をたたえて、エイルを見据えた。
「それはお前だ、砂漠の術師!」
どきり、とした。それは、思いがけぬ呼びかけに対する驚きだけではない。クエティスの言葉を合図としたように、隠されていたものが瞬時に顕現した、そのため。そうと気づいた青年魔術師の鼓動は跳ね上がる。
『エイル!』
ウェンズの警告の叫びと、何かちかちかする感触がエイルをくるんだのはほぼ同時だった。
「先手を打つつもりが、打たれたな。だがかまわない。私は必ず、あれを手にする!」
商人の鳶色の瞳がぎらりと光るようだった。
そこでエイルはようやく、防御の印を切ることを思いつく。
目の前の男は魔術師ではない。それは間違いない。だが、いま彼に触れていったものについても、同じように間違いようがなかった。
ほかでもない、このエイルに視線を向け、意識を向け、そして放たれた何か。間違いようがない。
何者かの、魔力だ!
(遅い!)
それはエイル自身の叫びだったか、ウェンズの声だったか、はたまた彼の知らぬ誰かの――?
全身の肌がちくちくと痛んだ。
目の前を銀色の光の粒が舞う。
現実が遠ざかる。
物音が聞こえなくなる。
世界が、色をなくしていった。
エイルは突然の襲撃に為す術のないまま、すうっと意識が遠ざかるのを感じていた。