08 いろいろございます
商売をする人間にとっていちばん怖いのは信用の失墜だ。
偽物屋でもそれが同じだというのは何とも奇態な話であったが、ともあれ、人気が高く、かつ口の上手い吟遊詩人に嫌われるのは、商人としてかなり痛いはずだ。悪意の有無はともかく、どこでどんな話をばらまかれるか判らないからである。
よってクエティスはウェンズの存在を気にしながらも、クラーナが戻ってきたために、何事もなかったように約束した話をしなければならないのだろう。エイルはそう解釈した。
それぞれが注文したライファム酒や蜂蜜酒、カラン茶などが運ばれてくると、視線は商人に集まった。
「実は、偶然にも、私が探しているものも首飾りなのですが」
クエティスはそんなふうにはじめた。よく言うよ、とエイルは思う。
「子供の頃に暮らしていた家に伝わっていたものであったと聞いています」
その説明にエイルは少し違和感を覚えた。妙に回りくどい気がする。「自分の家に伝わっていたもの」と言えばいいのではないか?
「では、あなたの家ではなかったのですね」
ウェンズがエイルの疑問を形にしてくれた。
「そうです。そこは富豪の家で、私はその使用人の息子でした」
成程、である。
「それは、その家に伝わっていた家宝だったのです」
「へえ、それは立派な首飾りだったんだろうねえ」
「おそらくは」
「見ては、いないのですね」
「現物については、そうなります。私が目にしたのは、絵画ですから」
「絵画」
エイルは繰り返した。
「首飾りの絵なんて、変じゃないか」
「もちろん、首飾りだけの絵ではありません。貴婦人の肖像画でした」
成程、とまたもエイルは思った。それが本当ならば、〈魔精霊もどき〉に出会わずとも首飾りの形状を知っていた説明になる。
「絵画の女性の胸元を飾る首飾り。十代、二十代に見える彼女はそれを誇らしく身につけているのに、三十代の頃の彼女の胸元にはそれがありませんでした」
商人は思い出すように目を閉じ、また開いた。
「年をとって身につけなくなったとは思えなかった。若い娘よりもむしろ、月日を重ねていった女性にこそ似合いそうな、豪奢な品でしたから」
確かにそうだ、とエイルは思った。単に装飾品として見たとき、あの首飾りに似合うのは十代の若さよりも三十、もしかしたら四十を越した女性の落ち着きのように感じた。
「訊いてみれば、それはかつてその家に伝わっていたものであったけれど、いつしか失われたのだと言う話でした。いったいどこへ行ったものかとずっと気にしていたのですよ」
「どうしてそんなことを気にしていたのですか」
ウェンズが問うと、クエティスは少し黙って、それから困ったように笑んだ。
「幼き子供は、その絵の貴婦人に恋をしたんです」
言うと商人は詩人を見た。詩人はにっこりとする。歌になりそうだ、とでも言うところだろう。
「使用人の子は使用人ですから、私にも様々な仕事が与えられた。ですが仕事の合間を縫っては、私はその大階段に行き、貴婦人を眺めていましたよ」
まるで、美しき初恋の思い出、である。いや、事実その通りなのかもしれないが、少なくとも「いまのところ」だ。話がどう化けるのか予測がつかない。
「だいたい、判ったようだよ」
エイルの思考と裏腹に、クラーナは言った。
「君は、その貴婦人に失われた首飾りを返してあげたいと思うようになったんだ」
――成程、である。どうにも自分の察しが悪いようで、エイルは頭をかいた。
「そのようなところですね」
商人は照れたように笑った。
「子供の頃の話ですが」
「けれど、いまでも追っている」
「ええ。絵画にだけ残る過去の女性に思いを秘めても何にもならないことにいずれは気づきましたが、初恋の女性というのは男には特別ではありませんか、諸氏?」
「そうかもね」
すぐに応じたのはクラーナである。役割としてウェンズが同意するのもおかしいし、適切な同調だとエイルは思った。つい、自分はどうだったろうかなどと少し考えてしまったが、これは呑気な世間話ではない。自身の初恋に思いを馳せることはとどめた。
「どうして、家宝はあなたのご主人の家……美しき貴婦人の胸元を離れて出て行ったんだろう?」
「さあ。それは知りません。何分、昔の話らしく」
盗賊にでも奪われたのか、誰かに譲り渡したのか、はたまた金のために売ったのか、それは判らないと商人は言う。
それはそうだろう、とエイルは思った。首飾りは長いこと砂漠にあった。その前はタジャスだ。そのタジャスで伝説と言われるほどに昔。それよりも以前のこととなれば、果たして何百年前だか。
「ただ、こうして商人という職についたものですから、もし宝飾品として売買され続けていれば出会うこともあろうかとは思っておりました。あるとき、それとよく似た首飾りがあると聞いて、そこに出向いたのです」
ずいぶんと端折ったようである。エイルは思わず、意地悪を言ってやりたくなった。
「よく出会えたもんだよなあ。首飾りなんて世の中にどれだけあると思ってんだよ。貴婦人だかが身につけるような高級品に限ったって山ほど……それに、さっきの様子を見てるとあんたは庶民を相手にしてるみたいなのに、そんなご立派な宝飾品も扱うんだな」
「それは」
クエティスは少し戸惑ったようだった。
「商売方法には、いろいろございますから」
〈裏道は賊に訊け〉というような言葉がエイルの脳裏に浮かんだが、声には出さなかった。
「何か事情もあるんだろう。あんまり意地悪を言ったら気の毒だよ」
クラーナはそんなことを言った。成程、詩人はいい人の役を取った訳だ。エイルはこっそり苦笑した。
だがこれはよい案だ。エイルが何か厳しい指摘をしてクエティスが話をやめてしまうことのないよう、クラーナが上手に商人をなだめてくれる。そうして詩人が「味方」に見えれば、商人も簡単に席を立たないだろう。
「ですが、そこはもう少し伺ってみたいものですね」
ウェンズはあくまでも穏やかに言った。この場合、下手な恫喝よりも却ってクエティスの肝を冷やさせるのではなかろうか。
「いったいどこで、どんな噂を聞いたのですか」
ウェンズは言葉を切って商人をじっと見た。クエティスは居心地悪そうに身体を動かす。
「大した、話では」
「ケチるなよ」
気軽な様子を装って、エイル。たぶんここは「好奇心旺盛な若者」の役でいいはずだ。内心では核心なのかもしれないと、身ならぬ心を乗り出している。
「どこであったかは、忘れてしまいました」
エイルはウェンズと一緒に疑わしい目付きをする。
「場所は重要ではありませんから」
「それを決めるのはあなたではありませんが」
ウェンズの言葉にクエティスが、エイルも知る〈紫檀〉の長の顔を思い出したか、はたまたエイルの知らない彼らの厳しい規律を思い出したのかは判らない。ただ商人はわずかに嘆息をして、また口を開いた。
「中心部北方付近のどこかであったかと思います。自由都市アイメアか、〈境界都市群〉のジャルンあたりであったやも」
本当に覚えていないのです、と商人は肩をすくめた。
「街の名なんて、どうでもいいんじゃないの」
クラーナがフォロー役をする。ここだのあそこだの特定する必要があればあとでやればいいと言うところか。
そうかもしれないとエイルは内心でだけ同意し、口に出しては「記憶力が悪いんだな」と軽口を言った。だがそう言ったことで思い出すこともある。
(そんなことないよな)
(こいつは、ガキの頃に絵画なんかで目にしただけの首飾りの形状をきっちり覚えてる)
本物と偽物をふたつ並べて見比べることはまだやっていないが、少なくとも「明らかに違う」という点はなかった。
(覚えてないとか言って、やっぱ何か隠してるのか)
何のためにそんな嘘をつくのか。そもそも、貴婦人がどうのという話自体、本当なのか。人が嘘をつくのは、本当のことを知られたくないからだ。では、知られたくない本当のこととは何なのか。
いまはまだ、判らない。