06 何も不思議ではない
(あんまり詩人の歌なんてのんびり聞かないけど)
(やっぱクラーナは、一級品ってやつなんだろうなあ)
話をしているときもクラーナの穏やかでとがったところのない声は耳に心地よいが、こうして調べを流しながら歌うとなるとまた別物だ。はっきりとした発声は聞き手が多少ぼんやりしていても言葉を伝えてくるし、仮に歌など聞く気がなかったとしてもどこか惹きつけられてしまう。重大なる人生の局面を抱えて深く悩みに沈み込んででもいない限り、ついついその歌声に耳を傾けてしまうだろう。
クラーナはクエティスが商品を出したりしまったりするのを「魔法みたいだ」と言ったが、エイルにしてみるとクラーナの歌声の方が余程、魔法のように思える。
歌は続いた。
少年は少女の微笑みを好いていたが、しかしある日、その顔から微笑みが消える。少女が大事にしていた首飾りがなくなったのだ。
その件でエイルははっとなった。
(首飾りだって?)
(おい、それじゃもしかしたら)
これは、例の歌なのだろうか?
詩人「リーン」とエディスンの王子を結びつけ、王子をタジャスの町に導いた、クラーナの創作歌「風謡いの首飾り」?
クラーナの悪戯っぽい笑顔が蘇った。やっぱり、クラーナがそんな顔をしたと思ったのは気のせいではなかったのだ。エイルはうなり声を上げそうになり、それをこらえた結果、口の辺りに手を当てる。
(どういうつもりなんだ?)
「話をそこに持っていく」にはこれがいいとでも思ったのかもしれない。考えてみればその方が流れは自然だ。だが、それならそうと言っておいてくれればよいのに、こんな悪戯をされれば驚くではないか。
エイルはそっとクエティスを伺ったが、「首飾り」の一語だけで商人が血相を変える様子はなかった。感心するようにクラーナの歌声を聞いている。
歌は続く。
少年は、風に消えた首飾りを探しに旅に出た。
それは現実の旅であるようでも、心の旅であるようにも取れる歌詞だった。
少年は少女の笑顔を思い返しながら、風の歌を追う。
そして彼はついに砂風の吹く場所で、それを身につけていた不思議な生き物から、美しく謡う首飾りを手に入れる。
エイルは頭が痛くなりそうだった。
クラーナの創作した「風謡いの首飾り」はそんな歌ではなかったはずだ。「どうってことない恋歌」だと言っていたではないか。どうして砂漠や魔物を思わせる表現が出てくる?
クエティスを覗き見れば、いつしか商人はじっと真剣な顔になっていた。にこにこ顔が納められたその様子は、どこか不穏なものを感じさせた。
(クラーナの奴、やり過ぎだろ)
どうやら即興である。もともと作ってあったものにエイルの話を組み合わせ、改良しているのだ。この場合は、もしかしたら改悪であるかもしれなかったが。
歌は、風謡いの首飾りは少年の夢であったと続き、旅で勇気を得た少年が少女の笑顔を取り戻したところで終わる。
町びとたちは、タジャスの伝説と評判の噂を組み合わせたような――その通り、なのだが――歌にやんやと喝采を送った。
伝説は伝説で噂は噂なのだから、詩人はそのどちらをも知っていておかしくない。クラーナが何も知らないままでいまの曲を選び、多少の即興を加えてもどこも不自然ではない。
ただ、エイルは知っている。〈風謡いの首飾り〉を砂漠の塔に隠している人間と、砂漠までそれを追いかけた人間が、同じ店の同じ卓についていること。
「面白い歌を……歌う」
呟くように言った商人にエイルははっとなった。
「あの詩人は、何者ですか」
「何者って」
彼は何ということのないふりをしようとした。
「男爵の、客人だろ。あんただってそう言ったじゃないか」
「成程。この町の伝説に、砂漠の噂を知っていても何も不思議ではない、と」
「砂漠の」
エイルは少し迷って、ええい、と続けた。
「噂ってな、何だい」
すうっとクエティスの視線がクラーナからエイルにやってきた。そこに、これまで見せていた人の好さそうな様子は消えている。
「大砂漠に現れた魔物が、首飾りを胸に、風に謡うと言う。そしてそれがある日――」
「消えた、と」
商人の言葉を先取るようにそう言ったのは、しかしエイルではなかった。
クラーナでもない。詩人はまだ「舞台」におり、彼の技を褒め称えにやってきた町びとと言葉を交わしているところだ。
座ったままの商人が睨みつけるようにした視線の先に立っているのは、黒に近い茶色の髪をした細い若者だった。
(おいっ、ウェンズっ)
エイルは焦って心でそれに声をかけたが、当のウェンズは素知らぬ顔をしてその場に立ったままでいる。
「その噂なら、私も聞きましたよ。あの詩人はそれを歌にしたようですね。なかなかお上手だ」
そう言うとウェンズはクエティスの許可もエイルの許可も求めず、すっと同じ卓についた。
「首飾りはどこに行ったのでしょうね、商人殿。あなたは次の噂を持ってきてくれたんじゃないんですか」
「どうぞクエティスとお呼びください、旦那」
クエティスはいきなり口を挟んできた若者に少し驚いたようだったが、商売根性を思い出しでもしたか、消した笑みを再び取り戻した。
「砂漠の魔物の話。続きが聞きたいと思っている人間は大勢いる。聞かせてもらえませんか」
ウェンズは言ったが、クエティスは困ったような顔をした。
「生憎と、私は物語師ではございませんので」
「そうですか?」
言うとウェンズはじっとクエティスを見た。
「風に消えた首飾り。それを手にしたいと願う男。まるで、いまの詩人の歌のようですが、どちらも実際の話でしょう」
「手に……したがっている、と」
クエティスはわずかに警戒するようだった。
「いったい、誰が」
「それは」
ウェンズは淡々と続けた。
「あなたがいちばんよくご存知なのでは」
「――おい」
エイルはようやく、口を挟む隙を見つけた。
「何なんだよ。何の話、してんだ」
それは「全く事情を知らぬ若者のふり」であると同時に、ウェンズへの苦情でもあった。どういうつもりであるのか、どういう方向に持っていこうとしているのか、知らせてもらわなければ対処に困る。
ウェンズは、そこで初めてエイルに気づいたように彼を見た。こちらもクラーナ同様、巧い。