02 悲恋歌になったかも
「慎重なんだなあ。騙された経験でもあるとか?」
クラーナが感心したように言った。
「騙された、と言うのはないのですが」
クエティスは苦笑めいたものを浮かべた。
「探していたものが不意になくなったりしたときも、魔術に頼ろうかなとは思うことがありますね」
「ふうん」
詩人は気のないように言った。エイルはどきりとして一瞬目を泳がせてしまったのに、クラーナは気になることを聞いた様子を全く見せない。巧いものだ、とエイルは思った。
「旅の商人というのは、単純に西から東へ、北から南へ、商品を流通させるものかと思っていた。何かを探したりするんだ」
巧い。エイルは感心した。ここでクエティスに会うとは思っていなかったものの、クラーナを呼び出してよかった。エイルであったら、何を探しているんだ、などと直接的に尋ねてしまったかもしれない。
「ええ、そうですね。ずっと昔から探しているものがあります。それが見つかったかもしれぬと遠くまで行きましたが、またぱたりと姿を消してしまった。商人にはあるまじきことながら、商売を抜きにしても追いかけたいと思っているんですよ」
「へえ」
エイルの心臓は音を立てたが、クラーナはやはり涼しい顔だ。
「興味があるね。歌になりそうだ。よければ、商売のあとでいいから聞かせてくれないか」
クラーナはとびっきりの――営業用の――笑顔を商人に向けた。
「大した話じゃありませんが。そうですね、それなら詩人さん、あなたの一曲と引き替えでどうですか」
「了承した」
吟遊詩人は指を弾いて、新しい歌の可能性に喜んでいるような顔をした。実際、詩人として喜んでもいるかもしれない。
それを合図に、クエティスはクラーナと、ついで――だろう――にエイルにも目礼をすると、待ちかねている町びとたちの方へと向かった。その後ろ姿を見送りながら、エイルは小声になる。
「巧いな」
「そう? ちょっとあからさまだったかなと思ったけど」
「別に向こうは、疑わなかったみたいだぜ」
「判らないよ。商人なんて、詩人と同じく外面が商売道具だもの」
たとえ不審に思ってもそれを見せないものだ、と吟遊詩人は肩をすくめた。
「さて、いまのうちに作戦会議と行こう」
クラーナはそう言うとにっと笑った。
「もちろん、誰が彼の望む『それ』を持っているか、は内緒だね」
「まあな」
「まずはどうやってその話に持っていこうか」
「クラーナが噂を聞いた、って辺りがいいんじゃないのか。例の話は、ここで評判なんだろ」
歌を歌う砂漠の魔物と、その歌が消えたという噂話のことである。クラーナはうなずいた。
「そうだね。僕が持ち出さなくても、誰かが続きを尋ねるかも」
話をしていたのはツーリーとか言う商人の方らしいが、仲間なら知っているのではないかと考える者もいるだろう。エイルの場合は、「知っているはずだと知っている」が。
「エイル、君はどこまで話をする? 彼の『正体』を判っていることを教えてしまうかい?」
〈偽物屋〉の意味であろう。
「あんま得策じゃない気がするな。あくまでも恍けよう」
「了解。じゃあ君の『正体』も」
おそらくこれは「魔術師」という意味だろう。
「やめとこう。忌まわしいと避けられることはなさそうだけど、警戒もさせたくないし」
「判った」
そんなふうに相談を進めれば、方針はだいたい定まった。
「ところでそっちは、どうしてたんだい」
ふとエイルはそんなことを言った。クラーナは首を傾げる。
「どう、って?」
「こちらの閣下に、クラーナの息子だと言って疑われなかったかって話さ」
「誰が、どんなふうに疑うのさ」
吟遊詩人は笑った。
「『クラーナ』がここにきたのはギーセス閣下が子供の頃のことだよ。そんなにはっきり、顔かたちを覚えてはいないだろう。記憶にあるクラーナとそっくりだ、とは言われたけれど、それはつまり、息子だという証明のようなものさ」
まさか本人だとは思わない、ということである。当然と言えば当然だ。
「そうだ、ギーセス閣下からお聞きした話があるよ。大した『情報』とは言えないかと思って、特に伝言を送ることはしなかったけど」
「どんな話だよ?」
エイルが当然の問いを発すると、クラーナは少し考えるようにした。
「例のものに呪いをかけたと思しき、魔術師の話」
「そっ」
エイルは立ち上がりそうになったが、そんなことをすれば目立ちそうだったのでこらえた。
「……それは、かなり大した情報だと思うぞ」
オルエンの言葉が思い出される。呪いは――。
「呪いは、かけた者に解かせるのがいちばんだ、って?」
クラーナは言い、エイルは目をしばたたいた。
「オルエンに、会ったのか?」
「いいや。彼がそう言ったの? まいったなあ、それじゃ僕はやっぱり、まだ彼に引きずられているところがあるんだろうか」
その解答はエイルにはとても判らなかったので、彼は黙っていた。答えを欲した訳ではない、とでも言うようにクラーナは首を振る。
「繰り返すけど、大した話じゃないんだよ。彼らが魔術師だったと判っただけさ」
「彼ら?」
エイルは驚いた。
「呪いをかけたのは、何人もいるのか?」
「違う」
クラーナは否定した。
「かつてここを訪れたふたりの旅人がいた。まさか城の書類保管庫にそんな過去の、そんな細かい記録が残ってるはずはない。記録していたのは」
「魔術師協会か」
「そう」
エイルは気づき、クラーナはうなずいた。
「町のなかで、人の命を奪う術が行使されたんだ。そんな出来事とあらば、いくら古くてもちゃんと記録は残ってる」
「命を奪う?」
エイルは眉をひそめた。穏やかでない。それを言ったら「呪い」からして穏やかではないのだが。
「そのふたりは、例のものを所持していた富豪の館に泊まったんだ。評判のそれを見たいと言ってね」
クラーナは「首飾り」の一語を使わないようにしているようだった。離れていて聞こえないとは思われるが、同じ空間にそれを望む商人がいることを気にしているのだろう。
「魔術師なら興味持ちそうだもんな」
風に鳴る不思議な首飾り。魔術師、吟遊詩人、商人辺りがそれぞれの分野で気になる品だろう。いまこの店にはその三種が揃っているのであった、と思うとエイルは少し可笑しくなった。
「だけど、そこで『悲劇』が起きた」
吟遊詩人はわずかに息を吐いた。
「そして発動した『呪い』。そんな話を聞いていたら、僕は言葉の響きだけで恋歌なんか作らず……いや、恋歌は恋歌でも悲恋歌になったかも」
「悲恋? 何で」
「それはね」
クラーナは神妙な表情で語った。曰く、旅人がその館に泊まった夜、賊が侵入して彼らのうちのひとりが殺されたのだと。
「殺された」
エイルは嫌そうに繰り返した。
「そう。残されたもうひとりの旅人は、報復として賊を殺し、そして家人をも殺した」
「家人まで?……どうして」
「さあ。そこまでは記録にないみたいだ」
「術で……殺した。魔術師が」
そのような話を聞くと嫌な気分になる。
エイルは、アーレイド城で剣技を教わっているが、それはあくまでも自分や大切な者たちを守るためであって、積極的に誰かを傷つけるためではない。武器を振るって他人を傷つけるなど、どうにもぞっとしない。それはもちろん魔術であっても同じだ。幸か不幸か、彼は自身より上手が相手でなければ、そのどちらもできる。だが、間違っても率先してはやらない。先にやらなければこっちが危ないとなれば動くこともあるだろうが、それは自衛の範囲内だと考えている。