08 考えておいてください
「もちろん、石が大きくなっていくというような意味ではありませんよ」
冗談か本気か、ダウはそんなことを言った。
「受けた術を知り、言うなれば学びます。魔除けとしての力は、どんどん賢く、強くなるのです」
「えっと」
エイルは胡乱そうに赤い石とダウを見比べた。
「リック師は、これを『必要とする者に渡すように』って言ったんでしたよね?」
「ええ。私はそう言われて受け取りました」
「んじゃもしかして、俺より誰か持ってるべき人がいるんじゃないんですか」
エイルの日常は、魔除けなどとは無縁だ。砂漠の魔物に対峙するにはちょっとばかりそれが要りそうだと思ったが、オルエンからもらったものでこと足りた。いや、ラニタリスを思えば「魔」を「除け」ることはできなかったのかもしれないが、それはいまさらどうでもいい。この赤い翡翠を持っていたところで、ラニタリスとの遭遇が避けられたとは思えないのだから。
「ダウ師は最初、ファドック様に渡したでしょう。実際、あの人には何か必要だった」
「けれど、それは結局あなたの手に渡りましたね、エイル。重要な局面で、リック師はあなたに手を貸した」
「まあ……そうなります」
リックの魔力を感じられなかったら、エイルはあのとき、ファドックを救えたか判らない。
「あなたはそれを手放したようですが」
「友人の困難そうな旅路に、必要だと思ったんすよ」
師匠の形見を売り払ったとでも思われては適わない。エイルはすぐさま説明を入れた。
「疎かにするつもりがないのは、判っています」
責めたのではない、とダウ。
「あなたの友人兄弟は」
その言い方は、エイルが言った「友人」が誰であるのか知っていると示した。当然と言えば当然だ。スライはダウにエイルの関わりを話しただろう。表立ちはしなくても、ダウだって例の業火の神官の件に何か手を貸していたのかもしれないし、そうでなくてもエイルのことはダウに報告しておいた方がいいとスライは考えているかもしれない。
「彼らは彼らの旅路で、様々な力と出会った。つまり、その魔除けも一緒に出会った。そして、それは彼らの手を離れてスライ師に見つけられ、あなたに帰った。判りますか」
エイルはスライの言葉を思い出す。
「俺のものだって、言うんですね」
オルエンもまた言っていた。リックはエイルのためにそれを作り、エイルが持ってこそ力を発揮するのだ、と。
そのときは、亡き恩師の心遣いに心温まるものを覚えたが、いまは少し、ぞくりとした。
リックは、エイルの未来に何を見た? 導師が知っていた「リ・ガン」にまつわることだけを案じて、大した魔除けを作ったのか?
それとも、ほかにも何か?
(まさか)
(俺は、ちょっとばかりの魔力を持った駆け出し魔術師で)
(そりゃ、〈塔〉だのラニだの、奇妙なのと仲良くなっちまってるけど)
(でも)
『――もう、止すんだね』
不意に、クラーナの声が頭に蘇った。あれは二年前ほどになるだろうか。
『ただのエイルだ、と言い張るのはもう止すんだね』
吟遊詩人は、かつて少年だった彼にそう言ったことがある。だが、あのときは事情が違った。いまは、彼はただのエイルだ。そのはずだ。
「それから、もうひとつの首飾り」
ダウの声がエイルの思考を遮った。
「もう、ひとつ」
「〈風謡いの首飾り〉ですよ」
ぎくりとした。それを持っているという話はスライにもしていない。ウェンズは知っているが、アーレイドの導師ダウとエディスンの術師ウェンズの間が筒抜けだとも思えない。
「偽物、だそうですが」
続いた言葉に力が抜けそうになるのを覚える。何もダウやスライにひた隠しにすることはないかもしれないのだが、念には念だ。
「あれを欲したそうですね」
それももちろん、スライから聞いたのだろう。
「業火神を崇める神官たち。そして彼らが求め、手に入れることのなかった最後の風具」
「それが何なんですか」
「心配なんですよ、エイル術師」
ダウは嘆息した。
「心配ったって」
業火の神官どもの件は片づいたはずだし、首飾りの「偽物」には何の力もない。確かに「本物」の方は厄介だが、ダウはその話を知らないはずである。
それとも、もしかしたら知っているのだろうか。ふと、エイルはそんな思いを心に浮かべた。
ダウは知っているのか。〈風謡いの首飾り〉と呼ばれる宝飾品、風具と言われるらしいそれをエイルが砂漠の塔に隠し持っていること。
「エイル術師、実は提案があるんですよ」
「提案?」
エイルは警戒した。
ダウは次期協会長の呼び声も高い、アーレイドでもっとも真っ当な術師のひとりと言える。
だが、だからと言って、いや、だからこそ、未知の道具や解けぬ呪いに興味を持つやも――。
「スライ師に就いて学んでみる気はありませんか」
「……は?」
全く予想外の言葉にエイルは目をしばたたく。
「あの、え? 俺、でも」
「どなたかに師事していることは知っています。その方がかなりの力を持ち、あなたの抱えた運命ごとあなたを助け、指導していることは疑い得ませんが」
会った訳でもないのにオルエンの力が並大抵でないと判るというのは――ダウも、一般的な魔術師の基準で見れば充分、並大抵でない。
「強すぎる力に触れるには、あなたはまだ、何と申しますか」
「基礎がなってない、ってとこでしょう」
エイルは先取った。ダウはうなずく。
「気づいているのですね」
「まあ、ときどき思います」
彼は素直に言った。オルエンの指導は、時にあまりにも高次元すぎて、エイルには皆目見当がつかないことがある。
決して認めたくはないが、判っていることもある。オルエンという魔術師の能力であれば、エイルごとき新米ではなく、ダウやスライですら教えられるのだ。
「リック師は、あなたに教え足らぬままで旅立たせたことをたいそう悔やんでおいででした。そうするしか、なかったとは言え」
「あのときは、判らないことだらけでした」
エイルは不安をいっぱいに抱えながらアーレイドを出たときのことを思いだした。
「いまなら少しは、判ります。でも『少し』だ。ダウ師、俺は自分がどれだけ未熟だか判ってるつもりです」
「〈知らぬを知る、それを賢きと言う〉」
ダウは言った。
「あなたは自分を知っています、エイル術師。どうか、私の提案を考えておいてください」