07 ダウ導師
何か忘れているような気もする。
シーヴ、シュアラ、アニーナ、あと彼が顔を出さなければならないところは?
ふと、南方の伯爵の顔が思い浮かんだが、青年はふるふると頭を振ってそれを忘れる。いちばん熱烈に呼ばれようと、急ぎの用がなければ挨拶もまた今度だ。
(ゼレット様と言えば……そうか、タジャス)
吟遊詩人はもうタジャスにたどり着いているだろう。噂の男爵に怪しまれずに巧いことやっているだろうか。
シーヴのことを放っておけるのであればクラーナの消息を追おうと思っていたのである。
(少なくともクラーナには何の心配も要らないな)
何しろあの詩人は即断力と老獪さを兼ね備えているのである。駆け出し魔術師よりも余程、様々な手管に長けると言うものだ。
(協会に何らかの連絡が入っていないか聞いてから、そうだな、タジャスを訪れなくても伝言を送るだけでもいい)
(クラーナがタジャスにいるか確認できるし、何も掴んでないならそれで、判ってないことが判る)
心が決まれば足は早くなる。エイルは魔術師協会の扉をくぐると自分宛てに伝言がないか尋ねた。
もし緊急の伝言があればわざわざこちらが訪ねずとも何らかの知らせ――単純にも協会付きの魔術師が伝書鳩代わりをするか、そうでなければ魔封書を送るとか――があるものだが、それは術師がひとつ街にとどまっている前提がないと叶え難い。
よって、アーレイドの登録術師でありアーレイド城で仕事をしていながらもアーレイドにとどまらず、大砂漠だ中心部だ南方だと、スライ師が指摘したように「ビナレス中を飛び回っている」エイル術師としては、〈塔〉のことを明かしてそこに伝言を送らせる気がなければ地道に足を使って確認にくるしかない。
或いは単純に、依頼者――この場合はクラーナ――が、協会の要求する戯けた金額を出せず、または出さず、伝言を即時配達ではなく協会にとめおく形にしてあれば、やはり協会を訪ねねばならないが。
「余所からの伝言はありませんが」
受付の魔術師はエイルの質問にぱらぱらと帳面をめくった。
「導師からの伝言ならありますよ。時間があれば部屋までくるようにと」
「導師? ってスライ師?」
「いえ、ダウ師です」
「そっちか」
エイルは顔をしかめそうになるのをこらえた。スライとならば話をしていても面白いが、ダウとはちょっと肩が凝る。
ダウとは、いまは亡きリック師に師事した言うなれば兄弟弟子であったが、エイルがリックに教わっていた頃はダウは既に導師の地位についており、ともに学んだ訳でもない。だいたいエイルの場合は事情が特殊すぎて、リックが同時期に弟子を抱えていたとしても机を並べて勉学に励んだというようなことはなかっただろうが。
「エイル術師、久しぶりですね」
「はあ、どうも、ご無沙汰してます」
ダウはきれいに魔術師同士の挨拶の仕草をする。エイルもいい加減になりすぎない程度にそれを返した。
時間はそんなにないのだが、「時間がないので」と無視するのも気が引ける。結局こうして、エイルはダウの部屋へと足を運んだ。
「近頃、顔を見ませんでしたがどうですか、調子は」
「まあ、上々ってとこっすかね」
こちとら忙しいんで近況報告を求めるんならあとにしてください、とは言えなかった。よくも悪くも下町時代より礼儀を身につけていたし、高位の相手の機嫌を損ねそうな台詞を吐くのは魔術師としてかなり勇気が要ることだ。だいたい「時間があれば」と言われたことに応じているのはこちらである。
ただ、正直なところを言うのであれば、エイルがダウを苦手とする理由は「どうにも生真面目で気が合わない」とか「口調が説教臭い」とか、そういったことのほかにある。
ダウは知っているのだ。二年前の〈変異〉の年。この駆け出し魔術師が厳密にはまだ「魔術師」でなかった頃。エイルという名の少年の上に起きた、思い返したくもない出来事の数々。
ダウはそれを知っている。
本当のところを言えば、それがエイルの引っかかるところなのだ。
つまりダウ導師というのは、シーヴ、ファドック、ゼレットら深い関係者以外で「エイラ」の存在と、彼女がどうなったかを知る、唯一の人間であるのだ!
「何か不都合はないですか」
「ないっすよ、んなもん」
別に普通の会話だとも思うが、ついつい裏を考えてしまう。「翡翠はちゃんと眠っていますか」とか「翡翠はあなたを呼んでいませんか」とか――。
考えすぎだとは判っている。アーレイド城の宝物庫に眠る翡翠玉のことを気にしている人間がいるとしたら、それは誰よりもエイルだろう。ダウは、エイルが気にするほど翡翠のことも、リ・ガンのことも、気にとめていないのだ。たぶん。
「エイル術師。あなたは不思議なものを持っているようですね」
その言葉にエイルはむせそうになるのをこらえる。
「ふ、不思議なって」
困ったことに、心当たりが大量だ。
〈風謡いの首飾り〉。その偽物。彼が主である、という意味でラニタリス。昨日今日の話ではないが、〈塔〉。
或いはもっと抽象的に、シャムレイ第三王子との関わり。それとも、エディスン第三王子や、向こうの術師とのやりとり。
「リック師の作られた飾り物です」
だが意外なことに、ダウが指摘したのはそれだった。エイルは首をひねる。ダウは、リックから預かったそれを最初はファドックに渡したが、その後、エイルの手に渡っていることを知っている。エイルがそれをユファスに渡したことは知らないかもしれないが、どうしてかスライ師の手から彼に戻ってきたことは既に知っているはずだ。スライは、ダウに「その首飾りかどうか」の確認をしたと言っていたのだから。
「持ってますけど、何が不思議なんですか」
つまりエイルが疑問に思ったのはそれである。
「変化しましたよ」
ダウはそう言った。エイルはまた、首をひねる。
「もちろん、見た目には何も変わりありません。けれど、幾種かの魔力を受けて、その魔除けの力は変化しました。判りませんか?」
エイルは「ひょっとしたら逆呪いでもかかっているのではないか」と思った赤い石の首飾りを取り出す。それは、とある切羽詰まった状況ではじめて拾い上げたときと変わらぬ、優しい光を放っていた。
「判んないみたいですね」
青年魔術師は正直に言った。導師はじっとエイルの手にあるものを見る。
「翡翠本来の魔除けと、リック師が付加した魔力。しみじみと驚きますね。我らが師はたいへん珍しいものを作られた」
言いながらダウは哀悼の意を表す仕草をした。エイルも倣う。
「よいですか、エイル。その首飾りは成長をします」
「は?」
エイルは口をぽかんと開けた。この兄弟子は、いったいどんな面白いことを言い出したのだろう。
「成長、だって?」