03 偶然で充ち満ちているな
子供は「主」の姿に満面の笑みを浮かべかけたあと、むっつりとした顔をした。
「エイル、あたしに任せるって、頼むってゆったのにい~」
「『言ったのに』」
王子殿下は楽し気に教育を施した。エイルには、彼らの道中がだいたい見えた気がした。いったいラニタリスがシーヴからどんな言葉を学んだものか、エイルは何とも不安になる。
「どうしたんだ、俺のことは放っておくかと思ったのに」
「放っておけるほど、俺はお前に信を置いてない」
エイルはきっぱりと言った。シーヴは苦笑する。
「さあ、吐け。何を企んだ」
「何だって?」
いきなりの詰問にシーヴは目をしばたたいた。
「何の話だ」
「とぼけるな。お前が素直にまっすぐランティムへ帰るつもりでいたんなら、俺は真昼の大砂漠で裸踊りをしてやる」
「あまり見たくないな」
シーヴは肩をすくめてから子供を見た。
「ラニタ」
「あたし、何もゆってないよ」
「『言ってない』。ほら、語るに落ちた」
エイルはじろりとシーヴを見た。
「で。いったい、ラニに何を言わせまいとしたのかな、王子殿下?」
「俺が禁止なんかしたって、主人はお前なんだから」
ラニタリスが自分の言うことなど聞くはずがない、とシーヴは言った。
「へえ」
エイルはちろりとラニタリスに視線を移す。
「ラニ」
「あのねー、シーヴはねー、商人、なんでそっくりにできたかおかしいって言ったー」
「ほほう?」
「えっとねー、エイルのためになることをするってー」
「成程な?」
エイルはゆっくり首を回すようにして友人に目線を戻した。
「俺の、ためと」
「もちろんだ」
「てめえの好奇心のためだと素直に言ったらどうだ?」
「それは」
シーヴは顎に手を当てた。
「副次的なものだな」
王子は全く悪びれないで肯定――以外の何だと言うのか?――する。
「シーヴよ」
「何だ」
「俺はお前に説教しなきゃならんか?」
「好きにしたらどうだ」
「その結果、お前も好きにすると言うんだろう」
「よく判ってるじゃないか」
やはり、かけらも悪びれない王子殿下に青年魔術師は頭を抱える。
「ああ、済みません、ヴォイド殿、レ=ザラ様。俺には力が足りない」
「それじゃ」
シーヴはにやりと言った。
「もっと修行をするといい」
つまりはもっと自分につき合え、ということだ。エイルは苦い顔を返した。
シャムレイ第三王子殿下にしてランティム領の伯爵閣下を操縦する術を把握しているのは、この広い世界で彼の第一侍従にして執務長のヴォイド以外にはいないだろう。だがそのヴォイドとて、一度彼の手元から離れたリャカラーダに対しては大した影響力を持たない。
エイルはシーヴと出会ってたかだか二年かそこら、一時期はとても強い結びつきがあったとは言え、それは過去のこととなっている。しかしその記憶があったからこそ判ることもあった。
(こいつは一度決めたら、たとえ喉もとに剣を突きつけられたってそれを曲げない)
(むしろ、やるなと言えば却って、やる)
結果、エイルは修行をさせられそうだ。
リャカラーダ様でもシーヴでも何でもいいが、この、自分は巧くやっていると思い込んでいる思慮の足りない若者に言うことを聞かせる修行――つまり、商人クエティスがどうやって〈風謡いの首飾り〉の形状を知り、それを偽物屋〈紫檀〉に巧妙に作らせたか、その経緯を探ると言い張る王子殿下の心を変えるまで、隣を歩かなければならない。
「ご命令に沿えそうだよ、王子殿下」
「そう呼ぶな。何か判ったのか?」
シーヴは興味津々という様子で尋ねた。
「ラスルからは話を聞いた。とりあえず、お前が砂漠に行く必要はないぞ」
「そうか」
シーヴは少し残念そうだったが、それでも行くなどと意地は張らなかった。
「クエティスを探す」
エイルはまずそう言った。
「お前の町の品だと言って偽物を売った商人。それがラスルのもとを訪れていた商人と同一人物、少なくとも同名であるという確認はできた」
「やはりそうか。しかし奇妙な偶然だな」
「偶然で済むなら、俺は天に感謝する」
「どういう意味だ」
「たまたま、偽物屋が首飾りの話を掴み、たまたま、本物が俺の手に舞い込んだ。まあ、後半は『たまたま』でいい」
「運命」なんかはお断り、というしつこい主張である。
「問題は前半なんだ。クエティスはラスルのところで首飾りの話を知ったんじゃない。それ以前から知っていた可能性が出てきた」
「それ以前? だが、首飾りは長いこと砂漠にあったんじゃないのか?」
シーヴは聞かされた話を思い出すように視線をさまよわせながら言った。このことには気づいていなかったのか、とエイルは内心で舌打ちしたが――遠からず気づいたかもしれない。エイルはうなずくと仕方なく続けた。
「そう。そのはずだ」
「どうして、そいつが以前から知っていたと思うんだ」
「それは、その男はラスルのところで首飾りを身につけていた魔物を見ていないからだ」
「そうか」
シーヴはすぐに理解した。
「つまり、首飾りを見ていない」
「そう」
エイルはまた言った。
「なのに、精巧な偽物を作った」
そう言いながらエイルは、ウェンズから受け取った偽物を取り出してシーヴに見せた。
「これは、偽物の方か」
「当たり前だ。呪いつきを持ち歩けるか」
エイルは首飾りを左手にかけながら、よく似た作りであることを説明した。
「まだ、本物とつき合わせて詳しく見比べちゃいないけどな。形は、ほとんどおんなじだ。偽物の方が少し、合板が狭いようだけど」
月の形になぞらえれば、本物は半月に近く、偽物は三日月とまでは言わないがもう少し痩せた形をしている。つけられている鎖は本物は銀色だが、偽物は金色。違う点はそれくらいだ。
「散りばめられてる宝玉も、俺は宝石に詳しくはないけど、少なくとも同じ色で、花も同じ形をしているように見える」
「イフル、か」
シーヴは呟き、エイルは首を傾げた。
「以前にもそんな言葉を口にしてたな。この花か」
エイルが細工を指差すと、多分な、とシーヴは言った。
「イフルってのは、砂漠に咲くという伝説の花なんだ。七つの花弁を持つ」
その言葉にエイルは細工の花を眺めた。確かに、花びらは七枚ある。
「七枚ってのは珍しいのか?」
「どうだろうな。〈草花ほどの種類がある〉なんて言うことだし、珍しいかどうかは知らんが」
シーヴは、数が多いことを表す言い回しを使って肩をすくめた。
「俺がそれを最初に見て思い出させられたのは、砂神に祈るときの仕草なんだ」
言いながら〈砂漠の子〉はエイルも何度か目にしたことのある形に手を動かした。彼の黒い指は左肩、左胸、右肩、そして左肩と移動し、エイルの持つ首飾りに向け、対照になるように空間をなぞった。
「いまのが、花の位置だな。黄玉は、こっちだ」
次にシーヴは親指と人差し指だけを開いて左首筋に当て、それをすっと身体から離すとひねるようにして人差し指を天に向けた。
「この二つの玉は小さく、こっちは大きいだろう。心臓を表しているようにも考えられる」
「まあ……言われりゃ、そんなふうにも思えるが」
エイルは首飾りを見ながら言った。
「偶然ってことも」
「世の中は偶然で充ち満ちているな」
シーヴはにやりとして言った。エイルは唸る。
「判ったよ、関わりがありそうだ。これでいいか」
「同じように思えと強制する気はないぞ。俺が感じたことを言っただけだ」
少し悪いと思ったか、シーヴは謝罪の仕草などして言った。