08 翡翠にだって感謝してやる
ここしばらくの出来事のなかで、エイル青年が本当に、純粋に、心から安堵できたときがあったとすれば、それはそのときであった。
「本当の、本当だな?」
「嘘をついてどうする」
スライ導師は少し笑って肩をすくめた。
「お前さんの友人は無事だ。五体満足。弟ともどもな。精霊師の作った道具を得たために少しばかり不思議な能力を身につけてはいるが、問題のあるところは何もない」
スライは、まずそんなことを言ってから、彼とほかの魔術師たちが片づけてきた出来事を語った。
「神官ならぬ神術師どもはひっ捕らえた。コルストの町には平和が戻る。もっとも、火の術がなくなって寒さが戻れば、町びとたちは不満かもしれんがな」
「悪い魔術師どもが神官サマたちを追い払った、なんて話になるんじゃないのか?」
半ば冗談、半ば本気でエイルは言った。ありそうな話である。
「町びとたちには話してきたが、いきなりあれは獄界神の神官でしたなんて言われてもぴんとくるはずもなし。聖職者にしては妙なところがあると思ってはいたようだが、それでもお前の言う通りに恩恵はあった訳だ。コルストの住民は魔術師嫌いに拍車をかけてるところかもしれん」
「まあ、魔術師が嫌われるのはいまにはじまったことじゃないか」
「そうだな。俺なんかは『魔術師様、どうか助けてください』とやられるよりは不気味だと避けられた方が楽だと思うがね」
そういった考えが魔術師とそうでない人間との垣根を作るのだったが、魔術師たちが進んで「お手伝いします」と言ったところで、厄除け魔除けのおまけつきで「冗談じゃない」と返されることを思えば、これは〈木々が種を落とすのか、種が木々に育つのか〉だ。
「ユファスは? どうしてるんだ?」
「アーレイドに戻るつもりらしい。いまなら一緒に連れてってやるとは言ったが、もう少し弟たちと一緒にいるとさ。彼には守りがついているから、帰途も心配ないだろう」
「守り?」
「魔除けの翡翠だ」
エイルは肩を落としそうになった。聞き返さなければよかった。
「あれ? でも俺が渡したやつは巡り巡って、スライ師から俺に還ってきたのに」
はたと思ってエイルは首を傾げた。
「それじゃない。違うやつだ。翡翠に近しい、彼もまたアーレイドの子だというあたりかな」
〈アーレイド〉は魔術の古い言葉で翡翠、ヴィエルを意味した。あまり一般には知られていない言葉だが、エイルはかつてクラーナからそれを教わっていた。
「或いはそれとも、お前の友人だからかな?」
「なっ……何で俺の友人だと翡翠に近くなきゃならないんだよ」
スライは二年前の件を知らない。はずだ。
「お前はその石と相性がいい。自覚はないのか?」
導師の説明はエイルが心配したような内容とは異なった。だが、だからと言ってにこにことはできない台詞だ。
「自覚……はないけど」
したくない、というのもある。
「そう言われたことはある」
「魔除けの石と相性のいい魔術師なんてあまり聞かないが、それだからお前は面白い運命に巻き込まれるのかもしれんなあ」
「俺はっ、面白くないっ」
エイルは叫ぶように言った。オルエンになら言われ慣れているが、スライにまで面白がられるとは。スライはますます面白そうな顔をする。
「まあ、いいや。ユファスが無事だってんなら、翡翠にだって感謝してやるさ。それで、ティルドの方は?」
「お前と会った例のエディスンの術師がな、故郷まで送っていくことになった」
「そうか」
エイルはウェンズのことを思い出した。彼が一緒ならば、安全だろう。
「そうだ」
はたとエイルは、ぽん、と手を打った。エディスン、の一語で思い出したのである。
「導師、あれさ、首飾り。どうした、あれ」
「首飾り?」
スライは眉をひそめた。
「何の話だ」
「ほら、ティルドが何か言ってなかったか。レギスで手に入れた首飾りのこと」
「ああ」
思い出したようにスライはうなずく。
「偽の風具だそうだな。あれがどうかしたのか」
「魔力とか、ないよな?」
念のために尋ねる。当たり前だ、と返ってきた。
「そんならさ、あれ……俺にくれない?」
「何?」
思いもしなかったのだろう、スライは見えにくいものを見ようとするかのようにエイルに向けて顔を突き出した。
「欲しいのか? あんなもの、どうする。女にでも贈るのか。ずいぶんと豪華だが……もしやお前、シュアラ王女殿下に」
「あのなっ、何でもかんでもそういう話にすんな!」
レイジュでなければ、シュアラである。うまくいっているのならばからかわれても余裕だが、レイジュとは終わり、シュアラとははじまったこともない。そんな話で遊ばれるのはご免だ。
「事情があんだよ。必要なら、代価は払うからさ」
シーヴはあれを幾らだと言っていただろうか。――金貨十枚? まさか、協会はそんな金額を要求しないだろうが、されれば仕方がない。しばらくただ働きだ。
「協会はあんなもんに価値を見出さない。欲しいと言うならくれてやっていいくらいだったがなあ」
「まじ? そりゃ、ものすごく助かる」
「待て。『だったが』と言ってるだろう。やりたくても、やれん」
「何でだよ」
「ケチってるんじゃないぞ。エディスンが風具を探してたことは知ってるだろう。向こうの協会との相談で、ウェンズ術師が持っていくことになった」
「へっ?」
エイルは間の抜けた声を出した。
「だって……あれ、偽物」
「もちろん。俺は判ってるし、エディスンでも判ってる。だが何か調べたいことでもあるんだろう。アーレイドでは用がなし、お好きに、と言ったんだが、まさかお前が欲しがるとはなあ」
スライは肩をすくめた。
「もう俺の手は離れちまった。どうしてもと言うなら、エディスン協会長かウェンズ術師に連絡を取れ」
「協会長なんてご免だと言いたいけど」
「じゃあウェンズ術師だな。数日の間にコルストにやってくるはずだ。術で接触をしてもいいが、何ならコルストに行くか? そうしたら友人兄弟の無事もその目で確認できるだろう」
「ん、あ、ええと」
エイルは迷った。エディスンの魔術師協会で保護してもらえるのなら、何もエイルが保管したり、わざわざ買ったりしなくてもいいのだ。だが魔法の道具でもなければ、不思議な力も何もない偽物なのだから、協会は何だか知らないが「調べた」あとで捨て置くか、それとも実際的な導師がいれば、売り払うかするだろう。
となると、〈紫檀〉との契約違反だ。偽物屋の進退はどうでもよくても、万一東国に、ひいては友人に影響があっては困る。
「そうだな、ウェンズ術師に話をするのがよさそうだ」
エディスンの協会ではどうしたいのか、それをきっちり尋ねておこう。そう思った。
「コルストには……ないよな、協会」
もしあったなら、業火の神官などはのさばらなかったはずである。案の定、スライは「ない」と言った。
「そうすっと、いちばん近いのは」
「ピラータだな。そこからなら歩いてもそうかからないが、お前程度の魔力でも跳べるだろう」
スライの言葉にエイルはつい顔をしかめた。
「何だ。『その程度だ』と言われたくなかったら研鑽するんだな」
導師はそう言って笑ったが、エイルとしては研鑽したくないから苦い顔をするのである。