07 面白いことあった?
「捕まって、裁き……は微妙かな」
「どういう意味だよ。まさか、協会はかばうためにその犯人を追ってるのか?」
「違う」
ザックにしては珍しくも穿った見方であるが、町憲兵隊でそのような邪推でも出ているのだろう。
「それは、ない。街なかで人を傷つける魔術を使うのは禁忌だ。剣を抜いたらまずいのと同じ。ましてや、人死にが出ている。協会は絶対に、その魔術師を放っておかない」
「なら、いいけど、それじゃ微妙ってどうして」
「そりゃあ」
エイルは頭をかいた。
「それだけの術を使う奴だろ。おとなしく捕まって反省なんかするもんか。抵抗するだろうな。そうしたら、協会側にも取るべき手段ってもんがある。町憲兵だって、剣振り回して大暴れする無法者がいれば……無傷で捕らえられや、しないだろ」
「……つまり、怪我させるかもってことか?」
「それだけじゃ、済まないかもしれない」
これで判ってほしいものだが、ザック青年は首をひねる。
「あのな。だから、そういうつもりじゃなくても死なせちまうかもしれないってことだ」
ここまで言わなければならないのか、と思いながらもエイルは言った。ザックは納得したようにうなずいたあとで、苦い顔をする。
「死なせたって、解決にはならないのにな」
「裁いたって、解決にはならないだろ」
罪は取り戻せず、死者は還らない。エイルはそう思うが、法を遵守する町憲兵としてはやはり「逮捕、裁き、刑罰」を経て解決と考えるようだ。
「エイルはその件に何か関係してるのか?」
「しているような、していないような」
エイルはそれこそ微妙な答え方をした。
「直接には、ない。間接的には少しだけ、あるかも」
いまひとつ返答になっていない台詞を返し、エイルは肩をすくめた。
「あんまり言えないこと?」
友人は少し心配そうに言った。正確なところを言えば「言えない」というよりは「言えば長くなる」というあたりだったが、エイルは神妙にうなずくことにした。決して面倒臭いのではなく――オルエンに似ているなどとは二度と言われてたまるか!――いかにザックがのんびり屋でも、魔術に絡んだ話を好みはしないと知っているからだ。
話したところでザックはエイルを疎んだり怖れたりはしないだろうが、魔術というのは一般的に「胡散臭い」のだ。どんな善人でも、余程の知識人でない限り、奇妙で不思議なことに関わる話を聞けば嫌な気持ちになる。よってエイルとしては、あくまでも友人のために、黙っていた。
「ところで、エイル。イージェンは元気?」
ザックはいきなり、アーレイド近衛隊副隊長の名を口にした。話題を変えようとしたのだろうか。
「うん? そうだな、この前少し話したけど元気だったよ。どうかしたのか」
「〈燕の森〉亭が燃えて以来、俺も彼に会ってなくてさ」
「そう言や」
青年は面白そうな顔をした。
「メイ=リス争奪戦はどうなったんだ?」
「ああ」
町憲兵は少し顔を赤くする。
「結論から言うと、俺もイージェンも振られた」
思わずエイルは吹き出した。シュアラ王女の侍女であるメイ=リスは可愛らしい娘で、なかなか人気が高い。
「だいたい、イージェンならともかく、俺は王女様の侍女となんて不釣り合いだったんだよ」
「不釣り合い、ねえ」
エイルはこめかみの辺りをかいた。いささか、痛い言葉である。ザックとメイ=リスを会わせたのは侍女仲間のレイジュであり、レイジュと言えばエイルの友人にして元恋人だ。
「そう言えば」
今度はザックが言った。
「レイジュと別れたって?」
「結婚するってんだから、仕方ないだろ」
その話題にはなると思った。口をひん曲げてエイルは応じる。あまり楽しい話題ではない。
「エイルが結婚を申し込めばよかったのに」
「ほかからも、言われたけどな」
苦い顔のままで続ける。確か、ユファスにもそのようなことを言われた。
「いま、お前自身が『不釣り合い』なんて言ったばっかしじゃんか」
「俺はね。でもエイルとレイジュは合ってるように見えたのにな。そっちは城勤めしてるんだから、俺よりも」
「あのな。俺の城勤めなんざいつまでも続かないの。彼女とは元通りの友人で、俺はそれでいいさ」
もうこの話題はやめよう、とばかりにエイルは手を振った。
「ところで、いつまでも油売ってていいのか、町憲兵さん」
「ああっ、よくないっ」
ザックははっとなったようだった。
「今度、飯でも食おうな、エイル」
「賛成。詰め所に行くよ」
気のいい友人にひらひらと手を振って、エイルは大柄な姿を見送った。
(レイジュ、ねえ)
思わず、嘆息する。しばらく、首飾りだのラニタリスだの偽物屋だののおかげで考えずに済んでいたのに、思い出させられた。
(まあ、幸せになってくれりゃいいさ)
彼は彼女と何の約束もしていなかった。王女の侍女を妻に欲しいという下級貴族の息子が現れても何の不思議でもない。だいたい、親が娘をそのような地位につけるというのは生涯侍女を全うしてもらいたいからではなく、血筋のよい旦那を確保してもらいたいためだ。レイジュはこれまでも見初められたことはあったようだが、結婚をすれば侍女を辞めなければならないと言うので頑として首を縦に振らなかったらしい。
何故なら彼女は、シュアラ王女に絶大なる忠誠心を抱いている――訳ではなく、その傍らにいる護衛騎士に夢中なのだ。
騎士が近衛隊長となり、貴族の娘と結婚をして一子をもうけ、伯爵の地位を継ぐという話が出ていても、その思いは変わらないらしい。もちろん、エイルと恋人をやっていた間もである。
たいていの男ならば、恋人がほかの男に夢中となればそれが憧れに過ぎなくても腹立たしいものだが、エイルはファドック・ソレスという人間をよく知っていたから、妬くと言うような気分にはちっともならなかった。それどころか、レイジュがファドックより自分を選んだら世界の終わりだと思うだろう。
よって、結婚をしても侍女の仕事を続けてよいなどという奇特な若殿が現れれば、親孝行のためにもエイルよりそちらを選ぶことに不思議はない。相手のことは知らないが、純粋に、エイルよりもその相手を好きになったのかもしれない。
何にしても、仕方がない。終わったことだ。
「あら、疲れてる?」
リターの声がした。
「お待たせ。サービスしてお肉多めにしといたから」
言いながら彼女は、注文の品を卓に並べる。
「そりゃ有難い」
いまでこそエイルは金の心配が――そんなには――要らない身分だが、食うや食わずの頃はこうした気持ちが本当に有難かった。いまでももちろん、嬉しいものだ。実際的な腹具合の問題だけでなく、優しさが身に染みるようになってきた。
「最近、面白いことあった?」
「『面白い』ねえ」
エイルは苦い顔をした。オルエンはエイルを取り巻くあれらの事々全てを面白いとのたまうが、エイルとしては困りものの一言だ。
「気に入らないことばっかだな」
「そっかあ。何かないかなーって思ったんだけど」
「退屈してんのか」
「まあね。近頃はいい吟遊詩人もこないしさ」
給仕娘は肩をすくめる。
「クラーナがまたきてくれればいいのに」
そう言えば、リターがこの〈森の宝石〉亭に勤めるようになったのは、クラーナがこの店で評判を博し、その歌を聞きに通っていたことがきっかけであったと言う話だ。
「そうだな」
伝えとくよ、という言葉はかろうじて飲み込んだ。
「あら、そう言えばエイル、近頃全く口にしないわね、例の、翡翠の宮――」
「だあっ、それはもういいの!」
エイルは思わず卓を叩いた。リターは驚いたように目を丸くする。
「あ、悪い。その、いつまでも馬鹿げた予言なんか気にしてると思われるのが嫌なんだよ」
それもまた、もう終わったことであるが、リターには話していない。
「そっか。それもそうよね、こっちこそごめん」
謝られると悪い気になる。
「まあいいわ。何か面白いことがあったら教えて」
「判った、適当に二つ三つ用意しとくよ」
にやりと言えば、物語師の素質なんてないでしょ、と返される。現実のところを言えば、二つ三つでは済まない体験談があるが、それを話す訳にもいかない。クラーナにきてもらおうか、などと考えた。エイルが下手くそな実話を語るより喜ばれるだろう。
クラーナ。そう、そのことを考えていたのである。
よく気のつくあの吟遊詩人のことだから、何か判ったことがあればエイルに伝えようとするはずだ。エイル術師宛てに伝言を送るなどと言っていたことを思い出す。
だが、アーレイドの魔術師協会に彼宛の伝言はない。と言うことは詩人は何も掴んでいないのかもしれないが、状況を聞いてみたい気もする。
となると、先に考えたようにエイル自身がタジャスに出向くか、或いはシーヴを送らせたあとでラニタリスを使わすか、という辺りだろう。
どちらにしても、魔術師「臭い」。
(ええい、非常事態だ!)
青年魔術師は冷めはじめた割包にかぶりついた。いつまでも休憩してはいられない。
終わったことも多いが、終わっていないこともまた、多いのである。