06 町憲兵の友人
大砂漠と「西」の地を冬場に行き来すれば、その気温の差はあまりにも大きい。しかも昼の砂漠は極端に暑い訳だから、冬のビナレス地方は南方でなくても極寒に思えることがある。
しかし、中心部から直接に西方のアーレイドに戻れば、成程、自分の故郷の気候は穏やかなのだ、と納得がいった。
レギスの魔術師協会から術を使っての移動は、考えた通り、或いは言われている通りにエイル程度でさえ容易なものだった。
楽だ。便利である。――堕落だ。
当然と言おうか、協会にスライ導師の姿はなかった。ダウ導師に尋ねてみようかとも思ったが、それはやめておいた。
(せっかくスライ師が、俺は関わっていないってことにしてくれたんだもんな)
これは、たいそうな言い訳である。
スライが「エイル術師が報告を寄越したのではない」という形を作ったのは、業火の神官が逆恨みの矛先をエイルに向けないようにと言う配慮である。スライがどこまでほかの導師に話をしているものかは判らなかったが、エイルとダウは同じリックを師としていたから、兄弟子に心配させないよう、スライがダウに全てを話していることは十二分に有り得た。
エイルがダウのもとにいかなかったのは、単なる苦手意識である。
二年ほど前、エイルの不安の種に対してダウが「協会は何もしない」と言い切ったことがいまだに引っかかる。
もちろん、ダウ師は協会の代弁をしただけであり、もしあのときにエイルに相対したのがスライだったとしても同じことを言っただろう。
それは判っているのだが、何となく、引っかかるのだ。
エイルは、戻ってきたらすぐに報せてくれとスライに伝言を残し、馴染みの店で食事を取ることにした。城へ行って下食堂に入り込めば美味いただ飯が食えるだろうが、いまは厨房にユファスの姿がないことを見ると、余計に兄弟を心配をしてしまいそうだ。それに、いまどきの時間帯は厨房が忙しい。手伝わないことを料理長のトルスに罵られながら食い逃げをするのは、気が引ける。
「あらエイル、久しぶりじゃないの」
〈森の宝石〉亭の給仕娘リターとは長いつき合いだ。酒場の給仕娘というのはいろいろな男に声をかけられるし、男たちからも「陥としやすい」などと勝手なことを思われがちだが、同世代のリターはエイルを含む若者たちの色恋の囁きをほとんど相手にしなかった。若い彼らの望みなど判りきっているという訳だ。
それらのなかではエイルはリターと親しい方だったが、何らかの約束をするような間柄ではない。何しろ城に上がった経緯だの、一年近く行方をくらませていた詳細なども全く語っていないのだ。
「いろいろ忙しくてね」
「その辺を飛び回ってた頃とおんなじね」
言ってリターは笑うと、卓にライファム酒の杯を運んできた。
「これでいいでしょ?」
「ん、ああ」
いつもはライファムを注文するものの、今日は酒はやめておこうかと思っていた。だが目の前に置かれると、まあいいか、という気分になる。
「何か食べる?」
リターは盆を胸に抱えるようにして問うた。
「お昼どきはあんまり手の込んだもの作れないけど簡単なものなら出したげるわよ」
「そうだな」
朝飯はハレサに奢らせたが、健康体の若者が満足するほどの量はなかった。食べなければ食べないであと数刻過ごしてもいいが、食べる機会があるのなら逃さないでおこう、などと思う。
これは「いまを逃すと飯を食ってる時間なんてなくなるぞ」――との、予感の類なのかもしれない。
オルエンがいればそのように茶化した、または脅したかもしれないが、少なくともエイルはそんなことを考えなかった。
「んじゃ、豚の割包でも」
「はーい、了解っ」
給仕娘は敬礼の真似をすると友人の隣を離れ、厨房に注文を伝えに行った。
残されたエイルは、考えごとだ。いまするべきことは待機だと思っているが、懸案事項は幾つもある。
まずは、ムール兄弟の無事。これは、スライを信じ、その連絡を待つしかない。
それから、〈風謡いの首飾り〉の、まずは偽物について。
ティルドがコルストに運んだはずだが、エイルは〈紫檀〉にそれを協会で保護するという約束をした。これは、何も馬鹿正直に守らなくてもよい。実際のところ、偽物の首飾りに魔法などかけられていないから、協会がそんなことをする必要はない。
だが約束を反故にする訳にはいかない。代わりに、エイル自身が保管する。塔に放り込んでおけば、〈紫檀〉の迷惑にもなるまい。もちろん闇組織の利益などはどうでもいいが、これは言うなればシーヴが交わした契約の一環だから、エイルも協力してやるということだ。
そしてその塔にある本物の〈風謡い〉。これが問題だ。
エディスンでは特にそれを欲していないということになったが、呪いがかかったままのそれを保持するのも、どこかに投げ捨てるのも抵抗がある。
「呪いを解くなら命を賭ける覚悟を決めろ」とオルエンは言った。しかしそれを決意する前に呪いについて探っておくべきだと、クラーナが。
(そうだ、クラーナ)
タジャスに行って首飾りの呪いについて調べると言った吟遊詩人は、何か話を掴んだだろうか。
(次は、それだな)
その町に魔術師協会はあるだろうか。あれば、移動ができる。
(あんまり使いたくは、ないんだけど)
どうにも「魔術師」たることに対して消極的な気分が抜けない。だがいまは非常の際だ、と割り切ることにした。
協会に利用料を払わなくてはならないから、城から給金を受け取ってこよう。大した額ではないが、持っていた金はアーレイドへ跳ぶ分だけを残してシーヴに全額押しつけてしまったのだ。
(そうだ。ラニの服も新調しないとまずいな)
育った子供を思い出した。
(この調子で育たれたら……もっと真剣に稼がないと、いけないかも)
そう考えてエイルは顔をしかめた。まるで、父親になったかのようだ。食い扶持の心配が要らないのがせめてもだが、それにしたって、相手もいないのにいきなり子持ちになりたくはない。
「どうしたんだい、頭抱えて」
かけられた声に、何だよとばかりに視線を返せば、見慣れた顔があった。
「よう、ザック。久しぶりだな」
「うん、久しぶりだね。エイルはいっつも、飛び回ってるもんな」
町憲兵の制服を着た大柄な若者は、エイルの古くからの友人だ。
「いつもいつも、何をそんなに忙しがってるんだ?」
「厄介な師匠に難題を押しつけられるのさ」
元凶をただせば、それである。
「そっちは巡回か?」
「そう。今日もアーレイドは平穏だよ。いいことだね」
「つまり、今日もお前の昇給の機会はないってことだな」
エイルはにやりと言った。
友人のザックは身体こそ大きいが、それ以外に町憲兵という職業に向きそうなところは何もない。いささかのんびり屋で、エイルに言わせれば鈍い。ザック青年が町憲兵隊長に認められて昇給をするか、はたまた何かやらかして解雇されるか、というのは彼らの間で長く続いている冗談であった。
「いいんだよ、俺の昇給より街の平和さ」
何とも理想的な台詞である。たいていのものが言えば口先ばかりと思われるところだが、のほほんとしたザックが言うと本気に聞こえた。多分、本気なのだろう。
「町憲兵としてはやっぱり、事件なんてない方がいいと思うし、起きてしまったものはきちんと解決したいんだけどなあ」
「何か、あったのか」
声に落胆の色を聞き取って、エイルは問うた。ザックは息を吐く。
「魔術師協会に任せなきゃならない事件なんて嫌だ、って話さ」
「ああ」
エイルは苦い顔でうなずいた。
「例の、火事か」
数月前に食事処〈燕の森〉亭から火が出て、家人はみな焼死した。食事処の火事なら珍しくもないかと思うところだが、営業をしていない深夜に出火、店は全焼したと言うのに、隣家には全く影響がないというのはどうにも奇妙で、人々はそれを魔術の忌まわしい技だと噂した。
「そう。あれの犯人は魔術師だって噂になってるだろう。実際、協会からも連絡がきてるんだ。その件は協会が仕切るって」
「町憲兵隊は口出すなってことだな」
魔術師の端くれとして少し悪いような気もする。
アーレイドくらいの街ともなれば、町憲兵隊も大人数だ。なかには、権威を笠に着て威張り散らすのもいる。エイルも子供の頃、柄の悪い町憲兵に目を付けられていたものだ。
ザックのような真面目で、街びとから見ても好印象であるのは少数派だ。だからエイルも友人のことを除けばあまり町憲兵という人種が好きではなく、協会に手出しができないのをざまあみろと思うのだが、ザックの前では何となく気が引ける。もちろん、エイルが悪い訳ではないのだが。
「あれはさ、もうすぐ解決する。お前には話すよ、ザック。ただ、ほかの町憲兵には内緒にしてもらわなきゃならないかもしんないけど」
「何でそんなこと……ああ、そうか」
魔術師だったんだっけ、という言葉をザックは飲み込んだようだが、エイルには通じた。
下町時代の友人には、エイルが城へ通っているというのと、魔術師「なんか」になったというので、疎遠になった者も多い。
だがザックだけはエイルに妬みや怖れを覚えることなく、変わらぬつき合いをしてきた。人が好いというのもあるかもしれないが、いまの反応を見れば「魔術師でも友人だ」などと堅苦しく思っている訳ではなく、単純に「忘れていた」という様子だ。
有難いような気もするが、やはりこの町憲兵の友人は鈍いのだろうか、とエイルは容赦なく考えた。
「解決するなら、別に教えてくれなくてもいいよ。ちゃんと犯人が捕まって、ちゃんと裁きを受けるならね」