04 威力ある脅し
何しろ口先の魔術師、である。
シーヴことリャカラーダ・コム・シャムレイ第三王子殿下にしてランティム領の伯爵閣下をそう表現して罵ったのは、ほかならぬエイル自身だ。
神妙な顔で「友人の心配をするのは当然だ」などと仰った殿下は、ご主人様の身を案じる――もしかしたら息子を案じる母の気持ちまでアニーナに習ってきたのかもしれない――ラニタリスを簡単に味方につけた。そこにはオルエンの言うところの「名付けの力」もあったやもしれない。「サラニタ」と名付けたのはエイルだが、「ラニタリス」はシーヴだ。
「シーヴに力、借りらればいいじゃないの」
「『借りれば』」
砂漠の青年はすっかりラニタリスに馴染んでいる。と言うか、おもちゃのように面白がっている、という辺りだろうか。
「エイル」
「何だよ」
「俺の子供もこんなに面白いといい」
「知るか」
エイルは切り捨てた。
「言っとくがな、魔物なんだぞ、それは。判るか、人外だ。普通のガキじゃない。人間の子供を育てるのはそれはそれは大変なことなんだぞ、父親予定。そりゃ俺の知る貧乏の厳しさはお前には無縁だが。……ってそうじゃない!」
エイルは街路の土壁をばんと叩いた。
「それは俺の娘じゃないと言ってるだろう!」
「知ってるよ」
シーヴは平然と言った。
「これがお前の娘なら、やっぱりお前は魔物ってことになっちまうじゃないか」
「おかげさまで俺は人間ですよ。ああ有難い」
芝居がかった感謝の仕草には、しかしいくらか本気が入った。
「ねえ、エイル。あたしが人間じゃないと何かまずいこと」
エイルは思わずラニタリスの口をふさいだ。
「そういうことを大声で言わないっ」
「判った」
ラニタリスはこっくりとうなずく。人間の子供と違って「どうして?」「何で?」を連発されないのは、非常に助かる。
「それじゃ、行く?」
ただ、その代わりとでも言うように、随時「命令」或いは「決断」を促してくる気のようだ。それも、楽ではない。
「俺がこいつの放浪を許す訳にはいかないんだ」
シーヴに言っても聞く耳を持たないらしいので、ラニタリスに言ってみた。子供は真顔で聞いているが、どこまで「主」の言葉を飲み込んでいるやら、である。
「じゃあここでお分かれ?」
「そりゃ酷い。置き去りか」
「何とでも言え。そうだ、置き去りと言うんなら……お前、愛馬たるハサスを置いてはいけないだろ」
気づいたエイルはにやりと言った。
東の人間は馬に対して乗り物、移動手段、以上の感情を持つ。ましてやシーヴとその愛馬ハサスは、二年前の奇妙な旅路でその絆を強くしている。ほかの馬にするように、安易に売り飛ばしたりはできないはずだ。
「もちろん、あいつを置いてはいけない」
砂漠の王子は言った。
「〈塔〉と再会を懐かしんだあとはまた、レギスまで俺を戻してくれりゃいい」
「阿呆」
エイルは容赦なく言った。
「調子づくなよな。お前はおとなしくランティムに帰れ」
きっぱりと、反論を許さない口調を試みたが、伯爵閣下に伝わるかは謎だ。
「本来なら俺がお前をしっかりと見張るべきだが、生憎と俺は忙しい。で、代わりに、こいつが」
そう言って子供の肩を叩いた。
「えーやだ、あたし、エイルと一緒がいいー」
「こら、俺の言うことを聞くんじゃなかったのか」
「メイレイには、きくけど」
「『命令なら聞く』または『命令には従う』だ」
「シタガウけど、どうしたいかって言うくらい、いいでしょ」
「そうだ。人の希望をちゃんと聞け」
シーヴがラニタリスの尻馬に乗った。エイルはふたりを睨む。
「俺の希望はどうでもいいのか」
全くもって自分勝手と言うものだ。
「まあ、そう急くなよ。ちゃんと帰るとも。だが、半日くらいならいいだろう」
「よくない」
殊勝に言うシーヴにエイルはしかし首を振る。
「半日が一日、一日が三日、なんて話になりかねない。レ=ザラ様に申し訳が立たない」
「すぐレ=ザラを引き合いに出すな。卑怯だぞ」
「阿呆。お前は妃殿下の近くにいるべきなんだ。殊にいまはな。俺の両親の不幸をもう一度聞きたいか」
エイルがアニーナの腹にいたとき、父親は少しでも妻子の生活が楽になるようにと必死で仕事をし、その結果、事故で命を落としたと聞かされている。
どちらかと言うと、この話を持ち出す方が卑怯だった。エイル自身は話にしか知らない父を悼むことはできず、ただそういうものなのだとずっと納得してきているのに、話を聞いた方は非常に不幸で哀しい話だと思うからだ。案の定、シーヴの顔にも神妙なものが浮かんだ。
「──判ったよ」
砂漠の王子は渋々と言った。やった、とエイルは思うが、にやり笑いはこらえる。せっかく効果があったのに、ここで笑ってしまっては台無しだ。
「ラニ。この放蕩伯爵がちゃんと奥方のもとに帰るよう、導いて見届けろ。お前が頼りだ」
「頼り! 任せて、あたし、ちゃんとやる!」
ラニタリスは満面の笑みを浮かべて言った。シーヴは苦笑をする。
「あのなあ、ラニタ、エイル」
「文句は言わせない」
エイルは「口先の魔術師」が何か上手なことを言い出す前に遮った。
「ごちゃごちゃ抜かすと、郷愁に誘われていてもたってもいられなくなる魔法をかけるぞ」
「そりゃまた」
シーヴは肩をすくめた。
「呪いと言うにはいささか微妙だな」
笑われようと馬鹿にされようと、本来はせいぜいそういった害のない術がエイルの限界でもある。
「そんなもんをかけられなくても、俺はランティムと砂漠への愛情に満ち満ちてるがな」
「レ=ザラ様へのそれも、てらいなく口にできるようにしてやろうか?」
「そりゃ」
砂漠の青年はまた言った。
「もう少し強い呪いかもしれん」
シーヴが少し苦い顔をしたので、エイルは笑ってやる。
この王子殿下は、砂漠の娘のことは愛しているの何のと普通に口にするくせに、政治的に結婚した妻に対してはあまり言わない。だが、それをしてシーヴがレ=ザラよりもミンに愛情を覚えているとは言い切れないことをエイルは知っている。
十代の若さと情熱に任せた激しい恋情より、結婚という形式からはじまった女に穏やかな愛情を覚えているというのが、王子殿下は照れ臭いのである。
「そうだな」
あんまりここを苛めても可哀相なので、エイルは選択を変えた。
「何なら、ヴォイド殿に絶対逆らえなくなる魔法でもいいぞ」
「……それは威力ある脅しだ」
第三王子の第一侍従にしてランティムの執務長をこなすヴォイドは、非常にシーヴ、いや、リャカラーダに厳しい。主が適当な分はしっかりした片腕がいなくてはランティムの民に気の毒と言うもので、ときに無茶苦茶なやり方をするランティム伯爵の隣に有能なる執務官という状態はよい均衡を保っていた。もしシーヴがヴォイドの言うことを何もかもよく聞くようになったら、ランティムは大した街に成長するかもしれない。
シーヴは、ヴォイドがあくまでも彼の主たるリャカラーダのためになるようにと考えていることは知っている。ただ、非常に得難い部下であると判ってはいるものの、ヴォイドの言うことを素直に全部はいはいと聞いていたら錯乱してしまう、とも思っているのだ。もっとも、万一にもリャカラーダ伯爵閣下がヴォイドから何の注意も受けることのない完璧な為政者になったとしたらヴォイドの方が錯乱するのではないか、とエイルは思う。
ともあれ、確かにこれは強烈なる脅しだった。いつも飄々とエイルの言葉をすり抜けるシーヴですら、本当にそうされたら困る、とばかりに言葉に詰まり出す。エイルはその隙を逃さなかった。
「よし、ハサスの様子を見にいこう。それでそのままお前は出発、何かあったらラニに伝言頼め。ラニ、〈塔〉を通してでもいい、俺に伝えられるな?」
「大丈夫!〈塔〉とは仲良くなったもん」
ラニタリスは元気よく、はいはいと手を上げた。
「仕方ない」
シーヴは息を吐いて言った。
「素直に、帰るさ。進展があったら報せろよ。いや、なくても報せろ」
「報告には行くさ。安心しろ」
ようやく王子殿下が帰郷の意思を口にしたので、エイルは心から安心した。
「ほら厩舎に向かう。ラニタリスは鳥になってついてけば邪魔にならないだろう。ほら」
こうなったら、気が変わらないうちに出発してもらうのがいちばんである。エイルは、「早く行け」と言うように追い払うような仕草をした。シーヴは何か言いたげに少しだけ友人を見て、「判った」と肩をすくめた。