表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あなたは知らないままでいて

作者: まち




『植物育てたら?』



 というのは、ミキの口癖のようなものだった。


 愚痴や悩みを打ち明けて、介入したり干渉しないのはミキのいいところだが、終着点が『植物育てたら?』の一言に尽きることは、あまり好ましくなかった。


そこで『植物か……』とでも言えば、初めて育てるならミニトマトや朝顔がいいとか、ブルーベリーは初心者向けだけど実をつけたいなら二株の方がいいとか喋りだしてしまうので、年々彼女との話題は、他の友人とするようなものではなくなっていた。




 彼女はたいして頭がいいわけではなかったが、大抵のことは人並に出来たし、人を困らせたこともなく、空気の読めない子、ということもない。しかし彼女にさして友人がいなかったのは、ミキがあまりにも植物に関してはずば抜けて話し下手だったからだ。



ならば彼女と植物の話をしなければ良いのだが、案外それが難しい。それが彼女のランキングの中で、私が小学生時代から(実質上一位の)二番目だった理由である。







 移動教室へと向かう途中でカラーンという音に振り返ると、彼女がペンケースを落としたところだった。ばらばらと床に散った、たったひとつのシャーペンと消しゴムから、ミキの無関心が悟られた。私が拾い上げる隙もなく、彼女の手元にふたつが収まった。



手持ちぶさたになってしまった私は、思わず

「ミキ、放課後空いてる?」と問いかけ、

「ごめんね、委員会があるの」との言葉に、いつもならほっとするのに、今日ばかりは少しむなしくなった。





 彼女が学校で関心を寄せるのは委員会のことだけである。緑化委員会。自然の大切さを知ってもらうための委員会だとミキは言っていたけれど、花壇の手入れとグリーンカーテンの世話をすることで、私たちにそれらを訴えているとは知らなかった。多分学校のほとんどの人が知らないことであろう。





 彼女の植物に対するものを、適切に表現しようとするなら、きっとそれは崇拝の二文字が最も正しく当てはまると、私は随分前から思っていた。




 珍しく彼女に愚痴のようなものを言ったとき、彼女のアンサーはもちろん、『植物育てなよ』だった。



ミキの意見としては、『植物は心の安定に献身的に貢献してくれる無二の友人または一生の恋人となりえるもので、全人類、植物を愛しさえすれば世界中で戦争は無くなる』とのことだった。



『全人類』『一生』『戦争が無くなる』彼女のその言葉遣いで、私ははっきりと感じとった。




 彼女にとっての植物は、私の見る植物とは違って、キリシタンにとってのイエスなのであった。だから、彼女をこちらの世界を見るように説得するのは無謀というものであり、また私たち──少なくとも私──が、彼女と同じ立場に立って植物を敬愛することは出来そうにないのである。



 そういうミキばかり見てきた私にとって、友人の一人にささやかれたその言葉は、ミキが、という嬉しさと驚きに混じって、本当に彼女なのかという疑惑を抱かせた。






「ねえ、知ってる? ミキちゃんって彼氏がいるらしいよ」







 ミキは相変わらず植物のことばかり話し、時折、家族や近所のカフェのことも口にしたが、私の耳には一切届かなかった。アロエを七から八号に植え替えたのだと嬉々として語る彼女に水を差すわけにもいかず、ミキの彼氏のことはわからないままになった。


ついでに八号がいくつかも知らないままだ。その頃にはもう、日陰者の彼女の噂が話題にあがったりすることはなくなっていた。ミキが否定することがなかったせいで、彼女に恋人がいることは周知の事実となっていたせいでもある。






 しかし彼女にとって数少ない友人の私が、その人のことを知らないでいるのはどうだろう。いや、彼女が自ら話さないのなら、聞くべきではないのだろうか。

 噂によれば、彼女の交際相手の名前はカオル。それ以外は分からない。ミキにわざわざそれ以上のことを聞く人がいなかったのは、彼女に話しかければどうやっても植物の話へと移っていってしまうせいだろう。






 とうとう私がミキに、「カオルって誰?」とかいう馬鹿げた質問をしたのは、夏休みが直前に迫った頃だった。セミがちらほら存在を主張し始め、まとわりつくような暑さで、あまり話も弾まない帰り道。私はかれこれ一か月ほど、この手の会話を避けてきていたことになる。思えば噂がどのように広まったのかも分からない。もしかしたら他校の友人なのかもしれないじゃないか。





 そこで彼女が、誰? とでも言ってくれれば万事解決だと思いながら、自分は何を考えているのだろうと一瞬冴えた考えが脳裏をかすめた。幼馴染の友人に彼氏が出来たというのは、本来祝い、喜ぶべきものだというのに。



「カオル……」



 彼女が首を傾げ、それからはっとした顔をした時には、なぜか安心が胸の内に広がったのだが



「カオルくんのこと?」



 との返答に、私はこれが怖かったのだと気が付いた。ミキが愛するものは植物のみであり、人間に分け与えるような猶予などないと信じたかったのだ。




彼女と日数を過ごすうちに、ああこの子は一生植物に愛を注ぎ続けて死にゆくのだとばかり思っていた。髪がごわつく雨季には、植物が喜んでると言い、台風で学校が休みになったときは、プランターを移動させるのを手伝ってと懇願した彼女が、人に陶酔する姿を見たくなかったのだ。なんて私は憐れなのだろう。唯一の幼馴染に、知らない一面があるということが、私には心底怖い。



「そうなんだ」



 ミキは何のことか分からなかっただろう。何が「そうなんだ」なのか。私と話が嚙み合わないことなど、一度としてなかったのだから。それも全て私が、彼女に話を合わせていたからだと、ミキは気づくだろうか。





 彼女がそれに気づくより先に、私はミキの前を立ち去った。いまはミキと一緒にいることが出来そうになかったのだ。




 太陽がひりひりと身を焦がした。サボテンの喜びそうな暑さである。









 夏休みの間も、私たちは連絡を取り合っていた。カオルの話もした。私はずるいことに、感情の見えない画面の上では彼女とその話が出来たのだ。




カオルは穏やかで、一緒にいるだけで元気を分け与えてくれるような、とっても大事な人だという。




私はいじわるで、『もしカオルが浮気していたらどうするの』と質問してみた。すると返事はこうだった。『そんなことはしないよ』ミキはその人を信頼しているのだ。彼女として、彼氏として、百点満点の文章だった。恐ろしいことにミキの愛はすっかりその人に乗り替わっていたのだ。相変わらず彼女の植物たちは元気で、特に乾燥地帯の草木は活気づいていると報告をしてはくれたが、私が天邪鬼なばかりに、ミキにいじわるを言うのはやめられなかった。





 嫌味なことに、彼女には私がカオルのことを持ち出すのがいいことのように見えているらしかった。




『あなたが私のことを気にかけていてくれるようで嬉しい』




 ミキは好意を伝えるとき、どうしても長く、文章的になる。彼女が口に出して好意を示したことは一度としてない。それを思うと、ますます彼氏とどうやって付き合うに至ったのか、不思議でしかたなかった。







 そうして夏休みが終わっても、私が彼女を【気にかける】のを止めないでいると、突然『明日会わせてあげる』と送られてきた。何故明日なのだ。夏休み中でも良かったじゃないか。そうは思ったものの、ミキの自慢の彼氏にも予定やらなにやらあったのかもしれない。というより、どうしてミキの彼氏と会う必要があるのか。けれどこれはミキの思いやりであり、気配りの一種なのだ。





ミキは空気が読めないわけではないはずだが、変に抜けたところがあった。『分かった』と私は返し、ミキからのにこにこと笑うスタンプをじっと見つめた。ミキに他意はないはずだ。彼女が深い意味でメールを打ったことなど一度もないのに、私はなんだか変な気持ちで眠りにつくはめになる。明日が来ることが、億劫だった。秋も中旬に迫っている。








 ミキが夏も秋もこよなく植物を愛していることは変わらないままなのに、カオルというたった一人のせいで、彼女が変わったように見えてしまうのは私のせいだ。




 彼女が放課後連れて行ってくれたのは、見慣れた彼女の家だった。長い付き合いになるものの、私が彼女の家に立ち入ったのは、もう何年も前のことになる。もしかして彼女は昨日のことを忘れているのではないだろうかと声をかけると、ミキは「だから、いまから会わせてあげるよ」と言って家に私を招き入れた。




ふわりと素敵な匂いが鼻をかすめる。なんということだろうと怯えた。ミキの家にいま、カオルがいるというのか。懐かしい匂いだ。私は言われるがままミキに手を引かれて庭に出た。けれどこの匂いを、ミキの家で感じたことはなかったはずだ。この匂いは、そう、例えば小学校の帰り道で──












 見慣れた庭に、ひどく存在感のあるそれを、私は目で捉えた。



「これがカオルくん」





 それは鮮やかなオレンジ色の花を咲かせた、美しいキンモクセイだった。

 穏やかで甘い香り。私は静かに、そうっと、息をはいた。



「これが」



私を一ヶ月以上悩ませた元凶を前にしたというのに、言いたかったことがなんだったのか、思い出せなくなってしまった。カオルは、人ではなかった。





 彼女にとって、植物は無二の友人で一生の恋人となりえるもの。確かに浮気なんて出来るわけがない。だって動けもしないし、喋れもしないんだから。私は安堵と、自分の愚かさを甘受するより先に、あの時彼女が『カオルくん』と言いさえしなければと思い至った。





 どうして、君付けで呼ぶのと私が呟くと、ミキは目をぱちくりさせて、あー、そっかと前置きし、



「日本のキンモクセイは、みんな雄株なんだよ」



 と朗らかに笑った。



彼女は少しも変わっていたいたりはしなかった。



植物だけが好きで、植物だけを愛する、昔の通りのミキだった。ただ私がカオルを人だと思って、彼女の恋人だと思って、彼女と同じ立場でものを見ようとしなかったから、そう感じたに過ぎないのだ。



「でも、どうしていままでカオルのこと、話してくれなかったの」



「三年前、キンモクセイが好きだってあなたが言ったの、覚えてる?」



覚えていなかったが、私はそうと言わなかった。ミキの植物に対する記憶力は並ではない。あなたに、一番きれいな時に見て、驚いてもらいたかったの、とどこまでも純粋な声音で、私の心を震わせる。



「サプライズ?」



 彼女は頷き、この花を見られるのも、後四日くらいだよ、と教えてくれた。



「ねぇ、植物育てたら?」



 ミキの口癖をしばらくぶりに聞いた。ここ何年か、彼女に悩みを打ち明けたことがなかったのを思い出す。彼女と同じ立場に立つのも悪くないかもしれないと、私は、彼女がキンモクセイに愛を注いだ三年間を思って、花を見上げた。





 これは彼女が植物だけに陶酔している、というお話。







○キンモクセイ:「秘密」「陶酔」「初恋」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ