異世界転移
わかったことが三つある。
一つ目はマップとNPCの作り込みが尋常じゃない。あり得ない程の解像度だ。これほどのものは他のゲームでも見たこと無い。現実での視力が並な僕からすれば、現実よりよっぽど解像度が高い。これほどのデータ量を一体何処から捻出したのか気になるところだ。
二つ目に〈レクイエム〉の運営は絶妙に虫への理解が浅い。ゲーム的にある程度は仕方のないところはあるだろうけど。
立ち並んだ店を見ていたが、肉食であるカマキリが野菜を買っていたり、虫に混ざって蜘蛛までいる。蜘蛛は虫じゃないのに…。帽子を被ってるハチもいる。帽子被ったら頭の上についた眼が隠れて飛べないだろ…いや、歩いてるからいいのか?
普通の人は絶対に気にしないことであるが、気になってしまう。
そして、三つ目は擬人化がいる。虫の擬人化だ。歩いていると沢山の二足、四足歩行する虫の中に限りなく人に近い虫がいた。彼らはどういった存在なのだろうか…。
歩いているときにチラチラとこちらを見るような視線を感じたが、虫は目が大きくて本当にクロヌシ自身が見られていたのすらもわからない。
何もない、ということは恐らく人間が歩いていても特別おかしいところは無いのだろう。もしくは擬人化たちと間違えられているなどだろうか。
「ここから先は何もやってないのか…」
ここから先はただの路地であり店はない。だが、何故か行ってみたくなった。ゲームをプレイした人なら分かるだろう。マップの脇道は何故か見つけると入りたくなってしまうものだ。
「行ってみるか」
少し歩いたが何も無い。本来脇道とはこういうものだと言わんばかりの場所だ。虫の姿もない。それにしてもこの場所は大通りと違い妙な静けさに満ちていた。大通りとは違うのだと言わんばかりに。
角を曲がると側面にお店のような場所を見つけた。あまりその外見からみるに繁盛はしていなさそうだ。だが、薄暗い路地だからこそ、中に灯る明かりの存在がはっきりと確認出来る。しかし、中から音は聞こえない。窓は付いているが、すりガラスのようになっていて中を確認することはできなかった。
「なんだか甘い香りがする」
店の前にはOPENと書かれた文字があり、営業していることがわかった。
「なんだか新規イベント発生って感じでワクワクしてきた皆と一緒やりたい…けど…」
(このワクワクには抗えない)
「皆には悪いけどバグのせいなんだ…すまない…」
クロヌシは扉をゆっくりと開け始め、扉がから中の様子が見えるまでの短い間にふとある疑問が浮かんだ。
(バグでHPやMPが見えないこと、オプションを開けない僕に何もできることはない。もしかしたら、皆も同じバグに遭遇してたりするのかな、だとしたら…だとしたら、これは本当にバグなのだろうか?)
ギィィと古い木の扉のような音を立て扉が開く。
ドッと中にあった張り付くような鉄の匂いと生暖かい中の空気がクロヌシに襲いかかった。地面には赤く、ドロドロしたものがべったりと絵画のように塗りつけられていた。
その発生源は虫だ。
虫が赤い血を流して倒れている。
「うわ…ぐろい…」
人間サイズの蚊は、皆等しく腹が割られ、頭をはねられていた。そしてそれは妙にリアルだった。まるでそれが本物であるかのように。
クロヌシが店の中へ一歩踏み出すと少女の存在に気づく。
彼女の容姿にはとても見覚えがある。初めて見る服装だったが、クロヌシにとってはとてもよく知った顔であった。見間違える筈もない、それも彼女は。
「な!? 惰眠ちゃん!? ここでなに――」
全てを言い切ることはできなかった――いや、しなかった。言い切るより先に彼女が動いたのだ。ナイフのような武器をクロヌシに向けながら。
冷たく鋭い視線がクロヌシに刺さる。対人をするときの惰眠ちゃんだ。
驚いたため、少し遅れた。惰眠ちゃんに先手を取られると後が苦しい。だが、考える余裕もなかった。
「〈衝撃〉!」
反射的にクロヌシの杖から魔法陣が展開され、近づいて来ていた惰眠ちゃんを壁まで吹き飛ばし、ドン!という音を立て、「がぁ!」という声が漏れだす。
発動が早いため幾度となく使用してきた奇跡の筈だったが、今までに無い奇妙な感覚を感じた。惰眠ちゃんが奇跡を使わなかったことは気がかりであったが、続けて魔法を発動させる。
「〈麻痺液〉!」
続けて作られたものは、バケツ一杯ほどの量がある黄色の水の玉だった。吹き飛ばされて姿勢を崩した惰眠ちゃんに頭からそれをかける。
黄金コンボだ。
「あぶねー! 惰眠ちゃん! いきなり襲ってくるとか勘弁してよ!」
すると惰眠ちゃんはバタリと体を横にして倒れた。
「あれ?」
返事は無い。惰眠ちゃんは倒れたまま動かなかった。まるで痺れているかのように。
(惰眠ちゃんのステータスなら、まだ蓄積値は殆ど溜まって無いはずなんだけど…)
今までの経験との違いから、動かない惰眠ちゃんへ近づいて顔を覗き込む。
惰眠ちゃんは口から泡を吹き出し、白目を向いてビクビクと波打って動いている。そして〈麻痺液〉で濡れた服が彼女のボディラインを強調していた。
それを見たクロ主は思わず頬を赤く染めて視線をずらした。
(ぐぅ。これはダメな絵面だ)
ダメな絵面であると同時にそれは見慣れない光景でもあった。
(ちょっと待て、おかしいぞ)
妙な違和感に駆られたクロヌシは頭に浮かんだ疑問を確かめるべく濡れた彼女の服に触れる。
「濡れてる…それに、。ちょっとピリピリ…な!? 痛覚!?」
触れた服は滑らかな触り心地であり、〈麻痺液〉による僅かなヒリヒリが感じられた。
(馬鹿な、あり得ない! 痛覚だと? これはただリアルさを求める為に使っていい物じゃない。こんなものを実装するのは法律違反じゃないか! 摘発されるリスクを背負ってまで実装する機能では無い! これじゃ…まるで…)
クロヌシはとある可能性が思いあたる。異常なほどリアルに作られ、痛覚まで再現されたこの場所。ラノベとかでよく見かけるあれだ。
よくわからない場所に召喚され、勇者だの魔王を討伐しろだの言われるあれだ。
主人公がゲームを遊ぶように簡単に世界を蹂躙し、不自然に主人公が持ち上げられ、それまでの努力を歴史を否定し、己の正義感を押し付けるあれだ。
「異世界召喚…」
しかし、疑問は沢山ある。なぜ召喚者が居なかったのか、なんの為に召喚されているのか、そもそも何処なのか。それに人間すら惰眠ちゃんだけしか見かけていない。
「いや、まだ決めつけるには時期が早すぎる。情報も足りてない」
(でも、仮にそうだったとして、なんで惰眠ちゃんは僕を襲って来たんだ? 他の人と間違えた? まさか似ているだけの赤の他人? いや、あり得ない。僕がどれだけ惰眠ちゃんを見てきたと思ってるんだ。顔の形に身体の造形…いや、少し痩せてる? だとしてもあまりにも似すぎている。高精度にアバターを似せることは難しい。基礎が現実世界の物で出来てるし、極端な変更は感覚解離障害になるから制限されている。現実だって似ている人が居ても体格に容姿、体付きまで全てが似ている人が突然目の前に現れる確率なんて、年末宝くじの一等よりよっぽど低い。それと同じだ。他人だと考えるのはあまりにも現実的じゃない)
クロヌシの頭の中には濁流のように考えが押し寄せたが、惰眠ちゃんの小刻みに震えた体が自分に当たり、再び頬を赤く染め、考えていたことが全て霧散する。
そして、通常の拘束時間を過ぎているにも関わらずいつまでも解けない〈麻痺〉に回復の奇跡を使用する。
「と、とりあえず…〈状態回復〉」
クロヌシの杖には黄金の魔法陣が展開される。魔法陣の一部が光となって惰眠ちゃんへ入って行く。
すると、惰眠ちゃんは波打つのを止めて正常に呼吸を始める。
「あれ、回復した…よな?」
意識を失ったようだった。
「〈状態回復〉…」
変化がない。少し不安になったクロヌシは別の奇跡も使っておく。
「〈生命力回復・低〉…」
やっぱり、回復はしてるはずなのだが意識が戻らない。
極めて異様な空間の中でも意識のある者はクロヌシただ一人となってしまった。
「えっと…どうしよう…」
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今日の仕事は現場の実態調査かぁ。幸運なのか不幸なのか最近は毎日似た仕事ばっかりだ。正直、早く帰りてぇー。こうも移動時間が長いと流石に疲れが来るってもんだ。
「なぁ、今日はあと何件回ればいいんだ?」
目の前の資料から逃避して隣に座る後輩のメルトに全てを投げる。
彼女は優秀だ。俺が居なくても大丈夫、全部やってくれる筈だ。
「レイジさん。それぐらい自分で確認して下さいよー。全くだらしない先輩ですねー。こんなんだから奥さんに逃げられるんスよ」
可愛らしい後輩を装っておきながら毒がある。そして本当に毒もある。なんて奴だ。上司に向かってなんて事言うんだ。一番言っちゃいけない、数日前のことであれば特に。
「あーメルト君、君は今日でクビだ。明日からもう来なくて大丈夫だ」
「よし! ラッキー! でも……クビにしたら困るの先輩ですけどホントにいいんですか? よっぽど一人で回りたいんッスね」
「うるさい、仕事に戻ろう」
少し斜めになりつつある姿勢をもとに戻し、資料とのにらめっこを始めた。これは困ると言わんばかりに。
「いや、最初に脱線したの先輩じゃないッスか」
言い返す言葉もない。まさにその通り
レイジはパラパラと手元にある資料をめくり、次に回収する利用者のリストをめくる。
「こいつに、こいつ、最後にこいつかー。あー道程が長い。町外れの一番奥じゃねーか」
うわ、しかもここまで歩きかよ。いっそうやる気が削がれるな。これなら、ちょっくらいサボっても…いや、絶対にダメだ。本号さんに怒られる。
「ほらほら先輩、最後の人見てくださいよー。私と一緒ぐらいの年ですよ。かわいそうにー」
「ああ、人間?か。まぁ珍しくもねぇさ。このご時世だからな仕方ないちゃ仕方ないだろ」
そうして資料を眺めていると最後におかしな一言が書かれていた。
「げっ……本号さんの指示付きって……うわーこれは辛い」
コンコン
外から透明な窓を細長い腕が叩いた音だ。
「あと5分程度で到着します」
長い腕の持ち主から小さな部屋にアナウンスされる。
「わかりましたー」
メルトは返事を返すとせっせと簡素な机に散らばった資料を片付け始める。
今回は意外と早く着きそうだ。この調子で行けば今日は早めにあがれるかも……いや、指示つきだから残業確定さようなら俺の定時。
「さぁて、仕事するかぁー」
「お! やっとやる気になったんッスね!」
「ああ、本号さんに怒られるのは二度とゴメンだからな」
あれはゴメンだ二度とゴメンだ。そのためにも仕事をせねば。
「じゃ、経路の確認でもして下さい。どーせいつも通り見てないでしょうから」
期待からのゴミを見るような落差が辛い。
「冷たいな…雪の日に半袖で食べる氷くらい冷たい」
「雪で体温下がって感覚鈍るのできっとそこまで冷たくないですね」
やる気を出し始めた人にこれは実質毒針では!?
これが後輩、これが仕事、これが社会、なんと世知辛い。
レイジは主導権を後輩に握られ先輩としての威厳を完全に失いつつあった。
空中を進むトンボのタクシーの中で。




