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喜楽食堂  作者: 楓紅葉
1/1

第一部

食堂を開店させる為に努力をして開店させる事に奮闘する。


 俺は富田林文男、今年で定年を迎えた。

「部長、長い間お疲れ様でした」

「会社への貢献は素晴らしかったです」

大手商社を四十年務めあげ、実績も残した。教育係として再雇用と話も社長からいただいたが「やりたい事がありますので」と蹴った。

女子社員から花束を受け取ってタクシーに乗り込む悔いは無かった。


 抱えきれない荷物を持って玄関に入る。

「ただいま」

「お勤めご苦労さまでした」

妻の幸子が笑顔で出迎えてくれた。

「今はゆっくりしたいな」

「明日からの温泉旅行が楽しみですね」

ゆっくりと頷きリビングに行く。

文男は旅行より次の仕事に向けて鋭気を養う事が目的だった。


 何時も通りの時間に目覚める、前日に荷造りしておいた荷物を車に積み込んだ。

「あら、お父さん早起きですね」

「身体に染み込んだリズムが抜けないな」

幸子は何時でも傍で微笑んでくれた。今まで支えてくれた感謝の気持ちは忘れないだろう。

「朝ごはんの用意は出来てますよ」

「いただこうか」

文男は髭を剃り終わると朝ごはんを食べた。

「旅行の荷物は積み終わったから何時でも出掛けられる」

「洗い物終わったら行きましょうかね」

幸子が洗い物をしている間にスーツに着替えた。

「あら、お父さんそんな堅苦しい格好で行くんですか?」

「この姿に慣れすぎてこれが楽なんだ」

「では参りましょうか」

白の高級セダンに乗り込んだ。高速を乗り継ぎ山奥のひっそりとした温泉宿を目指した。

「二人だけで温泉なんて何年振りだろうな?」

「子供が生まれる前だから三十五年くらいかしらね」

程なくすると温泉宿に着いた。玄関では若女将が出迎えてくれる。

「富田林様ようこそお越しくださいました」

「お世話になります」

文男も商社マンとして客商売をしていた癖で丁寧に挨拶を交わす。仲居さんに荷物を預け部屋に案内された。

「まぁ素敵なお部屋」

幸子はとても喜んでいた。綺麗に彩られた和室に障子を開けると新緑が広がっていた。

「絶景だね」

「お風呂は離れになりますのでごゆっくり」

長い運転で疲れた文男は早速温泉に浸かった。

「ふぅ気持ち良い」

少し長湯を楽しんだ。

湯上りに近所を散歩して時間を潰す。

「なあ幸子やはりこれからは人の為にやれる事をしたい」

「ボランティアでもしますか?」

文男もそれも良いなと思った。

「そんなに大きな事は出来ないけどやる事は決めてある」

「あら?何をするんですか?」

「身体の不自由な高齢者や児童養護施設に弁当の差し入れをしていきたい、勿論元手は必要だから普段は喫茶店経営もしようかと」

「素敵ですね、私も手伝わさせていただけるんですか?」

「勿論、よろしく頼む、実は調理師学校も手続きしてあって来週から通う事になっている」

「決めていらっしゃったのね」

「これから忙しくなるぞ」

そんな話しをしていると食事の用意が出来たので食堂に赴いた。妻へ今までの感謝とこれから支えて欲しいと気持ちを伝えた。


 明日から学校へ通う。恐らく若者ばかりで浮いてしまうが覚悟を決めた。

「この一年は学校に行きながら物件探しだな」

「お父さんは料理も上手だから大丈夫でしょ?」

普段から幸子を気遣って文男が台所に立つ事もあるのでそれなりに料理は出来るが衛生面を気にした事は無いので座学に苦労すると予測をしている。

何時も仕事で使っていたビジネスバッグに筆記用具や事前に用意しておく物を詰め込み万端にした。

(学生に戻ったみたいで新鮮だな)

 当日になり駅に向かった。通っていた会社の程近くにある調理師学校へと向かう途中でかつての部下に出会った。

「富田林部長おはようございます」

「おはよう、部長は辞めてくれよ加藤君、私は今日から学生だ」

「学生?」

「そこの調理師学校に通うんだ」

「お店出すんですか?」

「軽食屋をやりたくてな」

「出店の時は手伝いに行きます、連絡ください」

「その時は頼むよ、おっと遅刻するぞ」

「では失礼します」

加藤は会社へと走って行った。

 文男は調理師学校の門を潜った。受付を済ませ指定された教室へと入る。やはり十代の若者がほとんどだった。中には三十代くらいの人もいるが流石に六十代は見当たらない。

自分より歳下の先生に教えを乞う事となり先生も気を使ってくれた。

二人がけの机で座学をしている。隣は今年に高校を卒業したばかりの少女だった。

「あの、富田林さんこれからよろしくお願いします」

「知念さんだったかな?こちらこそよろしくお願いします」

「はい、知念理沙です、富田林さんはお幾つ何ですか?」

「今年で六十六だよ」

「私の祖父と一緒ですね」

「そうかおじいちゃんか、知念さんは料理人を目指しているのかな?」

「やりたい事が見つからなくてとりあえずって感じですね」

「私は店を出したくて調理師免許を取りに来たんだ」

「夢があって素敵ですね、私も見習わなきゃ」

「将来の事だからじっくり考えると良い」

座学が終わり最初の実習は正しい包丁の使い方を学ぶ。四人で班となって実習に取り組む。無論私以外は若者だった。

先ずはオリエンテーションとして自己紹介から始まった。

「富田林文男です、よろしくお願いします、飲食店の経験はありません」

無難に挨拶をした。

「知念理沙です、ファミレスでバイトをしてます、よろしくお願いします」

「水元輝英、コンビニでバイトしてます」

水元は無愛想な印象を受けた。

「佐伯リーデル彩絵です、イギリスのハーフで大学2年生です、ヨロシク☆」

金髪が綺麗で元気なお嬢様って感じだった。

「佐伯さんは○○会社の佐伯課長のお嬢さんかい?」

「そうだよ、パパを知ってるの?」

「実は私もそこにいたんだ、とても優秀な男だったよ」

「富田林さんは辞めたんですか?」

理沙は不思議そうな顔で聞いてきた。

「定年退職だよ」

何故かホッとしたような顔をしていた。

講師の教え通りに包丁を握りまな板の前に立ち練習できゅうりを刻んだ。

「富田林さんお上手ですね」

「たまに料理もするからね」

水元は無言でこなしているが包丁捌きは立派なものだった。彩絵はぎこちない、危なっかしいのでヒヤッとする。

初日の講習は終わり教室で荷物をまとめていると理沙が話しかけてきた。

「富田林さん少しお話ししてもよろしいでしょうか?」

「どうしたの?」

「前職ではどんなお仕事をされていたんですか?」

「海外からの商品を扱った事業部にいたんですよ」

「どんな商品何ですか?」

「主に工作機械やら機械部品ですね」

「なんか凄そうですね」

「航空機を扱った事もありますね」

「想像がつきません」

「海外で買い付けた商品を国内で売る、ただそれだけです」

「海外にも行かれたりするんですか?」

「よく行ってましたよ、聞きたい事ってそれですか?」

「何か目標を見つけるヒントになればと、富田林さんお話しが上手ですから」

「そんな事はありませんよ、相手の話しを真剣に聞き答えるだけです」

「参考になりました、また相談しても良いですか?」

「勿論だよ」

最寄り駅まで一緒に帰った。文男は学生気分で帰宅した。


 「おかえりなさい、学校はどうでした?」

「なんか若返った気分だよ、孫のような子達と一緒に勉強って素晴らしいよ」

教わった包丁の持ち方を披露したりと文男は浮かれていた。

「明日は包丁を買ってくるよ」

「用意したものではダメでしたか?」

「板前さんが使うような鋼の包丁が欲しくなってな」

「お手入れ大変ですよ?」

「手のかかる子程可愛いってあるじゃないか?」

「良い物に巡り会えたら良いですね」

寝る前に座学の復習をしてから床についた。


 何時もの時間に起きて何時もの電車に乗る。目的地は違えど気分は変わらない。長年の癖で経済新聞を片手に登校した。為替や市場が気になってしまうあたりはどうしようもなかった。

「おはようございます」

「知念さんおはよう」

隣の席に座ると彩絵も話しかけてきた。

「富田林さん、理沙ちゃんおはよう」

「おはようございます」

「昨日パパから聞いたんだけど富田林さんって凄い人だったんだね」

「佐伯君がなんか言ってたのかな?」

「事業部部長の中ではダントツだって」

「富田林さんって部長さんだったんですね」

「違うよ、事業部部長は普通の部長より偉いんだよ」

「よく分からないけど凄いんだ」

「パパにしてみたら雲の上の人だって」

「そんな事はありません、ちゃんと地に足を着けていますよ?それに今は同じ土俵ですので関係ありません」

「東大卒のバリバリエリートだって」

「昔の話しです、佐伯君によろしく言っといてください」

講義が始まると誰よりも真剣に話しを聞いた。

「富田林さんお昼御一緒してもよろしいでしょうか?」

「構わないよ?こんな年寄りと一緒で良いのかな?」

「富田林さんの落ち着いた雰囲気が好きなので」

理沙は笑顔で答えてきた、悪い気はしなかった。

「スーツがとてもお似合いですね」

「普段からこんな格好だよ」

「コックコートも似合ってますよ?」

「本当は割烹着が良いんだがね」

「富田林さんが割烹着着てたら皆恐縮しちゃいますよ」

「そうかな?」

「どこかの料亭の板長さんかと思います」

「そんなに褒めてくれても何も出ないよ?」

理沙はクスクス笑っていた。

「今日は終わったら包丁を買いに行こうと思ってて、何処かいい所をしりませんか?」

「私も行きたいです、かっぱ橋ならあると思いますよ?」

「御一緒しますか?」

「是非お供します!」

昼からの実習をこなして理沙と玄関で待ち合わせていた。

「お待たせしました、行きましょうか?」

「タクシーを呼んでいるのでもう少し待ってください」

「ここからだと距離ありますよ?」

「時間を無駄にしたくありませんので、勿論タクシー代は気にしないでください」

車寄せに付けられたタクシーに乗り込むとかっぱ橋までお願いした。

「知念さんは何処にお住いですか?」

「私は八王子です」

「そうですか、遠いのに付き合わせて申し訳ありません」

「私が行きたいと言ったんですよ?富田林さんは何処ですか?」

「私は調布です」

「途中までは一緒ですね」

話しをしているとかっぱ橋に着いた。道具屋街で降りると沢山のお店が軒を連ねていた。包丁専門を見つけて入ってみた。ガラスケースに所狭しと包丁が並んでいた。

「どれも凄いですね」

「迷ってしまいますね」

ゆっくりと見て回った。店の奥で一際輝いた包丁を目にした、波紋が素晴らしい五本セットの包丁に一目惚れをした。

「これは良い物です」

暫く真剣に眺めていると理沙から声を掛けられた。

「富田林さんの目つきがかわりましたね」

「理沙さんは良い物がありましたか?」

「このペティナイフを買おうと思ってます」

「可愛らしい見た目ですが鋭さがありますね」

「少し高いけど買います」

「私はこの五本セットにしようかな」

店主に包丁を出して貰い実際に手に取った。

「握り心地も良いし何より波紋が美しい」

「お目が高いですな、これは刀匠の打った物で同じ物はありません」

「実に素晴らしい作品です、いかほどですか?」

「これですと八十二万円です」

「わっ高い!」

「これだけの一品に出会えたのです是非譲ってください」

「大事にしてあげてください」

文男はカードで支払いを済ませた。

「そのペティナイフはサービスでお付けします」

「良いんですか?」

「大将の元でしっかりと学んでください」

礼を言って店を後にした。

「富田林さんが大将だって」

「そんなに貫禄があるのですかね?」

顔を合わせて笑っていた。駅に向かい途中までは一緒に帰った。

「富田林さんまた明日ね」

「知念さんも気を付けて帰ってください」

「理沙って呼んでくれると嬉しいです」

「わかりました、理沙さんまた明日」

理沙はずっと手を振っていた。


 学校生活もひと月が過ぎるとスキルに差が出てくる。

「富田林さんは器用ですね」

「理沙さんもお上手ですよ?」

文男の上達に無口は水元も一目置いていた。

「水元さんには敵いませんよ」

「俺はその父が料理人だから幼い頃から包丁を握ってるので」

「是非お父さんの料理を食べてみたいものです」

水元は何故か照れていた。父親が褒められるのが嬉しかったみたいだ。

「佐伯さんも慣れてきましたね」

「何で知念さんは理沙なのに私は佐伯なの?」

「以前買い物を御一緒した時に頼まれましたので」

「私も彩絵と呼んでください、リーデルでも良いですよ?」

「では彩絵さんと呼ばさせていただきます」

チームワークも良くなり実習もスムーズに進めるようになっていた。

「明日から三連休ですね」

「理沙ちゃんは何処かに遊びに行くの?」

「予定は無いです、彩絵ちゃんはデートですか?」

「彼氏なんて居ないよぉ」

「富田林さんは奥さんとお出掛けですか?」

「妻と物件探しに行こうと思っています」

「なんか楽しそう」

「そうでも無いですよ?」

「私らも連れていって」

彩絵がそう言ったが私らもが気になり質問を返す。

「彩絵さんの他に誰か来るのですか?」

「この流れだと理沙ちゃんも一緒でしょ?」

「わ、私もですか?」

「予定無いんでしょ?」

「無理を言ってはいけないですよ?」

「富田林さんが良いなら連れて行ってください」

「構いませんよ」

理沙は頬を赤らめて嬉しそうにしていた。

「何処を回るの?」

「世田谷と目黒で探そうと思ってます、彩絵さんは何処にお住いですか?」

「私は石神井公園の近くです」

「では、先に理沙さんをお迎えに行きます、八王子駅で待ち合わせをしましょう」

「電車で調布まで行きますよ?」

「車で回りますので妻もドライブが出来ると喜ぶでしょう」

「ではお願いします」


 文男は八王子駅の近くに車を停め理沙に現在地を知らせて待っていた。五分もすると理沙が走って来るのが見えたので車を降りて手を振った。

「お待たせしました」

「時間通りですよ?」

後部座席へと案内する。隣に座っていた家内と挨拶を交わしていた。

「おはようございます貴女が理沙さん?夫から話しは聞いています」

「はじめまして、知念理沙です、富田林さんには大変お世話になっています」

「可愛らしいお嬢さんね、年寄りに付き合わせてゴメンなさいね、いけない妻の幸子です」

後部座席で女同士で会話に花を咲かせていた。

石神井公園で彩絵と合流した。

「富田林さんおはよう」

「おはよう、彩絵さんは何時も元気だね」

「こちらが佐伯課長のお嬢さん?はじめまして富田林幸子です」

「はじめまして佐伯リーデル彩絵です、今日はよろしくお願いします」

彩絵が助手席に乗り込むと世田谷から回る事にした。物件案内を彩絵に渡して順番に回るのでナビを頼んだ。

実際に見て回るとコレってのは見つからない。

「目黒に行く前にお昼にしましょう」

駒澤大学近くのイタリア料理店に行った。

「富田林さんよくこんなお店知ってますね」

「若い子との食事だからね、好きなものを頼んでください」

文男は普段は余り食べることのないペスカトーレをオーダーした。妻はボロネーゼをチョイスしている。

理沙と彩絵はランチを選んでいた。

「美味しいですね」

「こんなお店を出せたら良いな」

「イタリアンでやるんですか?」

「おばんざいメインだよ」

「和なテイストでやるんですね」

「若い子でも入りやすい店構えにしたいと思っています」

「文男さんは児童養護施設やお年寄りにお弁当の無料配布を考えているんですよ」

「日曜日には子供食堂もやりたいな」

「それだと儲からないですよ?」

「利益なんてなくても動けるうちはやりたい」

「やっぱりパパが言ってたように富田林さんは凄い人なんだね」

「私もお手伝いしたいです」

「夫婦だけでは無理ですので理沙さんが手伝ってくれるなら助かりますよ、給料は沢山出せませんが」

「気が変わらなかったらお願いします」

「じゃあ理沙さんも物件探しに意見をくださいね」

幸子は嬉しそうに言った。

「理沙ちゃん内定おめでとう」

「気が早いよぉ」

目黒で丁度良い広さの物件を見つけた。住宅地の中にあり隣には公園があった。

「ここ良いね」

「私も素敵だと思います」

不動産屋に連絡をして内見をさせて貰うことにした。一時間程したら担当者がやってきて中を見せてくれた。

「フロアは作り直すから特に問題無いですね、幸子どうだ?」

「私は文男さんに任せます」

「理沙さんはどう思う?」

「内装はよくわかりませんが立地は良いと思います」

「ここなら家から通えるよ」

彩絵も開店したら来てくれると言ってくれた。

「ここにしよう」

不動産屋に出向き賃貸手続きを進めた。

「二階は居住も可能ですので住み込みも出来ます」

「良いね、疲れた時は無理に帰らなくても大丈夫だね」

契約書にサインをして手付けを支払った。鍵を受け取りもう一度店に戻る。

「外観はこのままが良いな」

「私も同感です」

ログハウス風の作りになっていて落ち着いた雰囲気が気に入っていた。

「元はアウトドアショップだったみたいだね」

「それでログハウスなんですね」

「事務所部分を厨房にして店舗に机を並べる、カウンターも欲しいね」

「文男さん目が生き生きしてますよ」

「理沙さんも彩絵さんもアイデアがあったらください」

「考えとく」

「はい、考えます」

「店の名前も考えないとだね」

その夜はワクワクして中々眠れなかった。


 連休が明けて学校に行った。既に理沙と彩絵も教室にいた。

「おはようございます」

「富田林さんおはようございます、先日はご馳走様でした」

「いえいえ妻も喜んでいましたよ」

「富田林さんおはよう」

「彩絵さんもおはようございます」

彩絵は子供食堂をやっている店の資料を持ってきてくれた。やはり小さい子が多い印象を受けた。

「やはり小上がりがあったほうが良いですね」

「お弁当作るならカウンターが長いと作業しやすいよね」

「月末の土曜日に工務店と打ち合わせをするのですがお二人もいらしてください」

「何処でやるの?」

「勿論現地です」

「私は喜んで行かせていただきます」

「私も空けとくよ」

それからは授業の合間に色々と話し合いをした。自分の目標に付き合ってくれる若い子に胸を踊らせている。

世の中に夢を持たない大人が多すぎて若者が夢を追いかけられないようになってるのは自分達のせいかもと思いつつ少しでも希望になればと文男は考えはじめていた。


 当日になり文男は工務店を待っていた。先に来たのは理沙と彩絵だった。

「よく来てくれました」

「こんにちは、工務店の人はまだですか?」

「直に来ると思います」

ドアが開くと文男と同世代くらいの小太りな作業着の男とスーツの男性が入ってきた。

「富田林久しぶりだな」

「久世も元気そうで何より」

文男と久世が硬く握手を交わしていた。

「紹介します、こちら久世工務店の社長で久世明仁さん、大学の同期だよ」

「はじめまして、久世です、彼が建築士の後藤です」

「このお嬢さん方は同級生の知念さんと佐伯さんです」

「はじめて、よろしくお願いします」

「随分若い同級生とは羨ましい」

「青春を思い出すよ、それより本題に入ろう」

文男は手描きの平面図を出して具体的にどうしたいかを説明した。

「なぁ文男、螺旋階段で二階を繋げて客席を増やすことも出来るぞ」

「下だけだとどうしても客席数が足りないとは思ってた」

「文男の事だから子供食堂とやらでいかに人を沢山入れるかを考えているんだろ?」

「そうだな、でもビュッフェ形式だと二階に料理を運ぶ事が難しいな」

「ホームエレベーター付けるか?」

「コストが嵩むだろ?」

「年次点検はいるな」

どうしたもんかと考える。

「あの、厨房を二階に作って下は客席フロアってのはどうですか?」

「荷物用エレベーターで対応は出来るな、事務所だけ一階にしたら会計にも対応出来る」

文男は頭の中でシミュレーションをしてみた。

「悪くない考えだが私と妻がいつまで階段を登れるかな」

「先のことを考え過ぎると何も進まなくなるぞ?」

「では、二階を厨房にする案でエレベーターと荷物用エレベーターの二種類で簡単に作図と見積もりを作ります」

後藤が提案をしてくれた。

「今の居住区へと上がる階段をウッドパネルで目隠しもお願いします」

「承知しました」

「下の間取りはどうしますか?」

「エレベーターを付けるなら上の風呂場を潰して付ける事になるからその下に事務所だね、後は二階の玄関を業務用冷蔵庫が入れられるようにして欲しいな、事務所に降りられる階段もお願いしたい」

「条件は厳しいですがやってみます」

「聞きにくい話しだが予算は幾らだ?」

「出せるのは三千万までだ、老後に少しは残しておきたい」

「失敗して失ってもいい金が三千万か蓄えてるな」

「運転資金もいるからな」

「どうだ後藤やれるか?」

「では空調込みで二千万を目指して努力します」

「よろしく頼む」

「厨房機器は別途になりますのでよろしくお願いします」

「選定次第連絡をします」

次回までに叩き台を作ってくれると約束をしたのでそれまでに厨房機器を選定しないといけなくなった。

「久世頼むぞ」

「任せろ、儲けなしでやってやる、俺にも一枚かませてくれ」

理沙と彩絵も色々アイデアを出してくれたのでプランが大幅に修正されたが文男は満足だった。

「今日は二人ともありがとう、家まで送るよ」

帰りの車の中で理沙は自分の事のように考えてくれているので嬉しくなった。

カーナビに着信が表示された。久世からだった。

「運転中申し訳無い、明日は空いているか?」

「特に予定は無いが」

「うちで使ってる厨房機器業務が明日打ち合わせしないかと提案があってな、どうだ?」

「何処でやるんだ?」

「横浜だ」

「先方に承知したと伝えておいてくれ」

「住所と時間はメールする、俺も行くからな」

「ありがとう」

電話を切ると彩絵はバツが悪そうな顔をした。

「私は明日用事あるから」

「妻と二人で行くつもりだよ」

「私は行きますよ」

理沙は行く気満々だった。

「既にうちの戦力だね」

「はい、富田林さんと一緒に仕事がしたいです」

「わかりました、来月中には会社として登記しますので雇用契約を結びましょう」

「良いんですか?嬉しい」

「卒業するまでは非正規ですが卒業したら正規雇用でどうですか?」

「よろしくお願いします」

「では契約書と時給を決めないといけませんね、社員としての契約内容は少し時間をください」

「富田林さん私も良いかな?アルバイトで良いから」

「彩絵さんはまだ大学先ですからね、良いでしょう、早速今日の分から付けさせてもらいます」

「「ありがとうございます」」

先に彩絵を家に送った。それから八王子に進路を向ける。

「明日は十一時に打ち合わせですので九時に迎えに行きます」

「承知しました社長」

「社長は辞めてください」

「ではマスター」

「マスターですか、良いですね」

文男は何としてでも調理師免許を取得しなければいけなくなった。覚悟は決まった。将来引退しても理沙に繋いでもらおうと思っている。


 翌日は妻と二人で理沙を迎えに行った。

「おはよう理沙さん」

「マスターも奥さんもおはようございます」

「奥さんではなくて幸子と呼んでください」

「はい、幸子さんおはようございます」

「おはようございます」

理沙は助手席に乗り込んだ。若き相棒が頼もしかった。

高速を乗り継いで横浜に向かった。指定されたショールームは意外と広くて驚いた。

「早かったじゃないか?」

久世は既に到着していた。

「久世こそ」

「昨日は横浜で呑んで泊まりだ」

「良いご身分だな?」

「社長だからな」

久世は高笑いをしていた。

「ようこそおいでくださいました」

「こちらはキュイジーヌの羽田社長だ」

「富田林と申しますよろしくお願いします」

「堅苦しい挨拶は抜きにしてショールームと倉庫に展示品がありますので見ましょう」

羽田に続いて行き色々な厨房機器を見て回った。間取り図を羽田に見せて意見を貰う。

「この間取りですとこの辺りのキッチンがお勧めですね」

「理沙さんはどう思います?」

「オープンがこれだと小さいのではないでしょうか?」

「ではオープンはこの二段式にされてはいかがですか?」

理沙は頭の中でシミュレーションをしていた。

「これなら別々に料理を進行出来ますね」

冷蔵庫や冷凍庫も選定した。

羽田は実際に間取りをしてくれた。

「オープンの在庫がありませんので仮にこれで」

「助かります、凄くイメージが湧きます」

「良いと思います」

理沙も満足した様子だった。

「これでお幾らですか?」

羽田は電卓を叩く。

「久世さんも利益度外視と言っていたので八百万でどうでしょうか?」

「幸子どうだ?」

「私は気に入りましたよ?」

「これでいきましょう」

文男は鞄から札束を八束取り出した。

「持ってきたのか?」

「決めるつもりだったからな」

「現金ですか?数えるのに時間がかかりますね、その間にお昼にしましょう」

羽田は部下に現金を預けると何処かに電話をしていた。

「元町で予約したので行きましょう」

タクシーを二台呼び元町へ行った。

格式の高そうな中国料理店へと案内される。

「ここは私が持ちますので遠慮なさらず」

ランチコースを頼んであったのか着席をすると直ぐに運ばれてきた。

「いただきます」

理沙は何か緊張をした様子だつたので声を掛ける。

「理沙さんいただきましょうか?」

「は、はい」

「お嬢さんどうしたんだい?」

「凄い現金を見たり凄い店に入ったりで困惑しています」

商いに縁のなかった理沙には正直な反応だと思う。

「富田林は一日で何億も商いをしていた男だからな」

「毎日では無いよ」

「桁が凄すぎて想像つきません」

「ただの数字ですよ?」

ランチを済ませてキュイジーヌに戻ると領収書が用意されていた。

「お名前はどうしますか?」

「まだ社名が決まっていませんので富田林文男でお願いします」

「承知致しました」

羽田と握手を交わしてキュイジーヌを出る。

「気をつけてな」

「久世は帰らないのか?」

「この厨房機器のサイズを測って後藤に渡してやらんといかんのでな」

「済まないな」

「利益が無いからな従業員の手間は省かないとな」

久世は笑いながら言っていた。

「申し訳無い」

「良いって事よ」

旧友は大事にするもんだとつくづく思う。


 車に乗り八王子へと戻る。

「理沙さん、今日はご両親は在宅ですか?」

「多分居ますよ」

「挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「どうしてですか?」

「理沙さんはまだ未成年です、親御さんを心配させてはいけませんので」

「わかりました」

理沙は母親に電波をしていた。

「お母さん家にいる?」

「お父さんは?」

「そのまま家にいてね」

やり取りは聞こえなかったが恐らく問題無いと思った。

「大丈夫です」

「はい、ありがとう」

知念家に着く。八階建てのマンションだった。理沙について玄関に入る。

「ただいま」

理沙の母親が出迎えてくれた。

「はじめてまして富田林文男と申します」

「妻の幸子です」

「これはご丁寧に、どうぞ上がってください」

リビングに案内された。そこには正装をした理沙の父親が座っていた。

「お父さんその格好どうしたの?」

「理沙が誰か連れてくるって言ったから彼氏かと思ったんだ」

「こんな年寄りですみません」

「そういうつもりでは…」

理沙の父親は額の汗をハンカチで拭っていた。

「突然お伺いして申し訳ありません」

「まぁ座ってください」

文男は一礼して腰掛けた。

「私は富田林文男と申します、理沙さんとは調理師学校で知り合いまして現在は出店に向けてお手伝いしていただいています」

「妻の幸子です、理沙さんにはお世話になってます」

「話しは理沙から聞いていますよ、富田林さんの所で働きたいって…申し訳ありません、知念詩織と申します」

「あっ知念優作です、自己紹介が遅れました、すみません」

「単刀直入に申しますと来年の卒業を期にうちで正社員として受け入れたいと思っています」

「富田林さんは社長さんですか?」

「はい、調理師免許を取得後は店を構えるために現在奮闘しています、理沙さんにもアルバイトとして手伝っていただいています」

「かなりの年齢かと思うのですが大丈夫なのですか?」

「資金はあります、店として利益が出るかは疑問ですが給料を支払わない事は致しません」

優作はオドオドしながらもしっかりとした口調で話しをしている。

「富田林さんのその身なりは前職はさぞ立派な役どころとお見受けします」

「定年退職以前は商社勤務のしがない管理職ですよ」

「いやいやサラリーマンで定年後に事業を起こそう等中々思いません」

「富田林さんは商社の○○会社で事業部部長をしていたって聞いたよ」

「理沙さん余計な事は言わないでください」

隠しておこうとしていたのに理沙が暴露してしまった。

「え?そんなに地位の高い人だったんですか?」

「あら?お父さんの会社の親会社でしたよね?」

詩織も口を挟んできた。優作は真剣な表情をしている。

「事業部部長の下に何人もの部長を抱え部下は数百人いる人だよ、そんな人に理沙を預けられるなんて光栄な事です」

「いえいえ、今はただの専門学生ですので」

「理沙、富田林さんの所で沢山勉強させて貰いなさい将来きっと役に立つ」

「お父さんありがとう」

話しも纏まり雇用も確保出来た。

「それでは私はこの辺で失礼します」

「理沙をよろしくお願いします」

知念夫婦に頭を下げられたので同じように頭を下げた。


 昼休みに電話がなった。

「文男か?見積もりが出来たぞ」

「早かったな」

「後藤君が頑張ってくれた、今夜会えるか?」

「何処に行けばいい?」

「新宿の海山でどうだ?」

「わかった」

「十九時にそこで」

要件だけ済ませて電話は切れた。

理沙を探して自販機コーナーに行く。

「理沙さんここにいたんですか」

「マスター何かありましたか?」

「見積もりが出来たので今夜久世と会う事になりました、一緒に行けますか?」

「はい、大丈夫です」

「ではお願いします」

理沙と一緒にいた子は不思議そうな顔をしていた。傍から見たら祖父と孫の関係にしか見えない。文男は勝手に納得をした。

本日の講習は終わったが行くにはまだ早かった。

「まだ行っても待ち時間が長いですね」

学校からだと三十分もあれば着いてしまう。

「何処か寄りたい所はありますか?」

「あの、サンシャイン水族館を見てみたいです」

「池袋なら近いですし時間潰しには丁度良いですね」

理沙はペンギンの水槽に釘付けになっている。

「空飛ぶペンギンさん可愛い」

「私も初めて来ましたよ」

一時間程時間を潰して新宿へと行った。

新宿なのに新宿とは思えない庭のある料亭へと入る。

「ここ高そう」

「安くは無いですね」

接客係に「久世で予約してあると思います」と告げると奥へと案内された。途中の廊下でテレビでもよく映る政治家とすれ違った。

「富田林さん今の人どっかで見た事ある」

「代議士だな、小者だよ」

(富田林さんが大者すぎるんだよ)

理沙は勝手に心の中で叫んでいた。

個室に案内されて中に入る。

「久世はまだみたいだね」

座ってお茶を飲みながら待っていた。

「遅れて済まない」

そう言いながら久世が入ってきた。

「相変わらず忙しそうだな」

久世は女中に料理は指示するまでは持ってこないようにと伝えていた。

「先ずはコレを見てくれ」

後藤の描いた図面がテーブルに広げられた。

「なるほど、間取りは良いね」

「厨房機器の配置も問題無いか?」

「あぁよく出来ている」

「見積もりなんだがまぁ見てくれ」

違いはエレベーターに人が乗れるか乗れないかだけだ。差額は三百万程だった。

「人が乗れる方で一千九百八十万円なんだね?」

「厨房機器の設置費も込みだ」

「手付けは百万円で良いか?」

「構わない、文男は信用に値する男だからな」

「明仁もな」

学生の時に呼びあった名前で呼んだ。鞄から百万円を出して久世に渡す。久世は素直に受け取った。

「数えないのか?」

「あぁ信用してるからな」

手書きで領収書を書いてもらった。

久世が料理を運ぶように女中に頼むと懐石料理が運ばれてきた。

「少しどうだ?」

久世がお銚子をこちらに向けてきた。

「少しだけ」とお猪口を持ち上げてついで貰った。

「美味いな」

「それで会社名は決まったのか?」

「まだだな」

懐石料理を食べ慣れていない理沙は迷い橋をしていた。

「理沙さん案はありませんか?」

「そうですね、皆が喜んで楽しめるような名前のお店が良いですね」

「そうですね…喜楽食堂ってのはいかがですか?」

久世に「ストーレートすぎないか?」と言われたが文男は満更でもなかった。

「私はわかりやすくて良いと思います、ポップな書体て漢字で看板を付けたら可愛いと思います」

「早速看板屋にあたってみるよ、何通りかデザイン画を出して貰うからそこから決めてくれ」

食事をしながらも何点か打ち合わせを行った。

後日この事を彩絵にも話しをしたが懐石料理ズルいとだけ言われた。


 学校に通い始めてから半年が過ぎた。

来月から改装工事も始まる。それに伴い有限会社としての登記も終えた。理沙と彩絵にはアルバイトとして雇用契約も締結していた。物事は順調に運んでいる。後は文男自身がちゃんと課程を修了する事と仕入れルートを確保する事だった。

無料弁当配布を実現する為に今まで培った人脈を駆使する事になった。

富田林さんの頼みならバックアップしますよと言ってくれる企業も何社かあったので理沙と共に企業周りもする事が増えた。

「今日はどんな会社ですか?」

「輸入食品を扱う会社です、賞味期限の少ない物を提供すると言ってくれました」

今日の打ち合わせの為に名刺も間に合った。”有限会社 喜楽食堂 代表 富田林文男”と書かれている。理沙の分もある。

チーフと肩書きがついている。

「私がチーフなんですか?」

「理沙さんには期待してますからね、とは言っても今の所は正規雇用のあては理沙さんだけなんですが」

文男は笑顔で答えた。

「期待に答えられるように頑張ります」

スーツ姿の理沙はさながら就活生に見えるが言わない事にした。

取引先に着く前に挨拶の仕方や名刺の渡し方を簡単にレクチャーした。

「まだ少し時間が早いですからそこのデパートに寄りましょう」

「何か買われるんですか?」

まぁ着いてきなさいと中に入る。ビジネス小物が売られているフロアに行き名刺入れを見た。

「理沙さんの名刺入れを買いましょう、派手すぎると相手が不信感を抱くこともありますので落ち着いたデザインの物が良いでしょう」

「マスター基準が分かりませんので選んで貰っても良いですか?」

文男が若い女の子が持ってもおかしくない物を選んだ。

「これなんてどうでしょう?」

ダークブラウンで花柄の細工が施されている。

「素敵ですけどお値段も素敵ですよ?」

確かに価格は一万五千円となっている。

「領収書貰いますから大丈夫です」

会計を済ませて理沙に渡した。

「大事に使います」

早速名刺をしまっている。社会人としての自覚が出来たのか凛とした表情が美しく見えた。

輸入食品を扱う会社で始めて名刺交換をしている彼女は誇らしかった。

事前に電話で決まっていた内容の確認だけだったのでそんなに手間はかからなかった。食品は無料で提供して貰う代わりに送料は喜楽食堂で持つと契約書にサインをした。パスタや缶詰等様々な商品を扱っているのでリストからチョイスして送って貰える。他にも調味料等も破格値で買えるようにしてくれた。こちらは弁当の包み紙にスポンサーとして社名を入れるだけで良いので好条件だった。

午前中の座学を休んで訪問していたので昼からに間に合うように急いで学校へと行った。

「今日の取引は良かったですね」

「あそこの社長は私の元部下だったからね」

理沙は改めて文男の凄さを実感していた。


 着工日がきた、久世は文男に合わせて土曜日にしてくれたので立ち会う事が出来た。

「いよいよだな」

各種業者の担当と打ち合わせを行い工事が始まった。内装が剥がされていき新たに生まれ変わろうとしていた。二月には全ての工事が終了する予定になっている。

「理沙さんにはおばんざいに出す料理の候補を考えて貰います、勿論私も考えますが若い人が喜ぶようなメニューは理沙さんの担当です」

「承知しました全力で取り掛かります」

理沙も社会人として成長を始めていた。


 冬休みになると平日でも活動が出来るようになり富田林邸で試作をする事になった。

玄関の呼び鈴が鳴る。

「ごめんください」

玄関の前には理沙の彩絵が立っていた。

「よく来たね、上がってください」

「おじゃまします」

二人をリビングに案内した。

「マスターの家って広いですね」

「息子も独り立ちをしたから二人でこの家は広いですね」

幸子がお茶を入れてリビングに入ってきた。

「いらっしゃい、寒かったでしょ?お紅茶を容れたのでどうぞ」

「「ありがとうございます」」

幸子も賑やかになって嬉しそうにしていた。

おばんざいとして冷めても美味しく食べられる料理と注文を受けてから作る料理を色々と作って改善点を話し合った。

結果は背伸びをせずコストの高い物は弾かれる事になった。メインメニューは鳥の唐揚げとトンカツとなり弁当でも使える物に決定した。

「トンカツと唐揚げは別の油で揚げる事になるのでフライヤーは二台必要ですね」

早速羽田に連絡をして小型のフライヤーを二台増やして貰った。その分調理スペースが圧迫されるがそこは臨機応変に対応となった。

「豚肉と鶏肉は仕入れルートを確保しますのでコストを抑えて美味しくする工夫を考えてください」

理沙と彩絵に宿題を出した。

「わかりました」

やはり理沙はやる気に満ち溢れていた。

試作で作った料理を皆で食べて夕食とした。

「遅くなってしまいましたね、送っていきますよ」

車で送る途中に彩絵が提案をしてきた。

「今年のクリスマスは富田林さんの家でパーティーをしませんか?」

「私は構わないが年寄りとクリスマスなんて楽しいですか?」

「幸子さんが喜ぶかと思って」

「イブの夜は富田林邸でパーティーだね」

理沙も乗ってきた。

「ありがとう妻が喜ぶよ」

「じゃあ明後日はよろしくお願いします」

「こちらこそ」

二人を送り届け家に戻り幸子に報告した。

「まぁ嬉しい、ケーキ奮発しなきゃ」

「今からで間に合うのか?」

「大丈夫よ、ツテがあるから」

録寿ろくじゅを超えてクリスマスパーティーをやる事になるなんて思ってもみなかったので不覚にも浮かれてしまった。

(そうだ明日二人にクリスマスプレゼントを買いに行こう)

翌日は幸子と二人で都内のデパートへと行った。

「どんなプレゼントが喜ぶんだろうか?」

「若いって言っても子供じゃないから」

彩絵は二十歳を過ぎていて理沙も来年二十歳になる。

「悩むな…」

「悩みますねぇ」

フロアを歩きながら考えていた。

「理沙さんはスーツと時はコート着てませんでしたよね?」

「そう言えば着てないな」

理沙にはビジネスコートを選んだ。

(問題は彩絵だな)

ブラブラ歩いていると淡いピンクのカシミアのマフラーが目に入った。

「これなんてどうだ?」

「この手袋と合わせたら良いと思いますよ?」

「うん、これにしよう」

食品売り場に行きターキーと牛タンのブロックを買って帰った。

家に戻ると早速下ごしらえをする。

ターキーはハーブと岩塩で臭み取りをして冷蔵庫にしまう。フォンドヴォーは缶詰を使う事にした。牛タンをタコ糸で縛って表面を軽くソテーした。圧力鍋に缶詰のフォンドヴォーをといて玉ねぎとハーブを加えてソテーした牛タンを入れた。二十分程火にかけて後は放置。

下ごしらえを完了して床に着いた。


 イブの朝を迎えた。

ターキーを低音に設定したオープンでじっくりと焼いていった。その間にタンシチューの味を整えた。赤ワインを入れて大人の風味に仕上げる。

幸子はリビングにクリスマスツリーを飾り付けその下に二人へのプレゼントを並べて置いた。

「ちょっと出かけて来ますよ」

「ケーキか?頼む」

文男はダイニングを飾り付けしていた。

ランチョンマットをクリスマス仕様にしてシヤャンパングラスも並べる。ワインセラーにスパークリングワインもあったので問題無し。理沙は未成年なのでジンジャーエールを代用する。

文男は年甲斐も無く浮かれている。

他にも色々と料理を用意していた。

「ただいま、ケーキ買って来ましたよ」

定番のプシュ ド ノエルをテーブルに置くとクリスマス感が更に向上した。

丁度、ターキーも焼きあがったので並べる。

「凄く良いと思います」

我ながらいい仕事をしたと満足する。

呼び鈴がなったインターフォンを見ると二人の姿があった。玄関に行き迎え入れる。

「メリークリスマス、いらっしゃい」

「「メリークリスマス」」

彩絵からコートを預かりハンガーにかけると可愛らしいイブニングドレスだった。薄い青色を基調とした落ち着いた感じもありよく似合っている。

「よく似合ってますよ」

理沙のダウンジャケットも預かりハンガーにかける。こちらはセーターにスキニーとシンプルな組み合わせだが理沙らしい可愛らしさがあった、

「理沙さんも可愛らしいですね」

「富田林さんってお上手ですね、その割烹着すごく似合ってます」

彩絵が褒められて嬉しそうにしていた。

「準備は出来てますのでどうぞ」

ダイニングに案内した。

「マスター気合い入りすぎです」

理沙は驚いていた。

彩絵は写真を撮ってSNSにアップしている。

「ちょっとディナーには早いですが始めますか」

シチューを温め直して器に盛り付け彩にブロッコリーを添えた。

「どうぞ」

「凄いレストランで見た事あるやつ」

彩絵は驚いていた。

「彩絵さんも作れる筈ですが?」

「家で作ろうとは思わないです」

文男は会話したがらワインセラーからドンペリを取り出し各グラスに注いでいった。理沙のグラスにはジンジャーエールを注ぐ。

「乾杯しましょう」

「「「「乾杯」」」」

久しぶりに飲むスパークリングワインで喉を潤した。

「ドンペリのピンクなんて奮発してくれてありがとう」

彩絵は喜んでいた。

「彩絵ちゃん良いなぁ」

「理沙ちゃんは来年までお預けだね」

「シチューが冷めないうちに」

タンが柔らかくなっていてスっとナイフが入る、

「美味しい」

「フォンドヴォーは市販品ですがね」

文男はターキーを切り分けて美味しい所を彩絵と理沙に渡した。

「マスターありがとうございます美味しいです」

幸子も二人が喜んでいる顔を見て嬉しそうにしていた。

「彩絵さん理沙さんちょっとリビングに来て貰っていいかしら」

幸子が二人を呼んだ。

「「はい」」

「これ私たちからのクリスマスプレゼントよ」

名前付きのクリスマスカードが添えてあるので誰宛かはわかるようにしてあった。

「ありがとうございます、開けても良いですか?」

「どうぞ」

二人は丁寧にラッピングを剥がして中身を取り出した。

「カシミアのマフラーだ」

早速首に巻いている。

「理沙ちゃん似合う?」

「似合ってますよ」

理沙もコートに袖を通してした。

「理沙ちゃん大人っぽく見える」

「サイズはどうですか?」

「丁度良いですありがとうございます」

二人は写真を撮りあっていた。

「実は私達からもお二人にプレゼントを用意してきました」

幸子は受け取ると「開けてもいいかしら?」と尋ねた。

「はい」

そこには鉛筆で描かれた喜楽食堂のデッサンと夫婦茶碗が入っていた。

「これはどなたが描いたの?」

理沙が私ですと恥ずかしそうに言った。

「とても素敵です、是非店に飾りましょう」

「は、恥ずかしいです」

理沙は頬を染めていた。

「茶碗は二人で選びました」

「ありがとう、使わせて貰うよ」

「理沙さんは絵心があったんですね」

「高校の頃は美術部でしたので」

談笑しながら食事をする。

文男達夫婦にとってはその楽しい一時が最高のプレゼントとなった。

「来年はお店でやりましょうね」

「お客さんも招いてやれたら良いですね」

文男はタクシーを二台手配すると運転手にタクシーチケットを渡した。

「今日はありがとうございました、明後日はお店ですね」

「お待ちしております」

「おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」

タクシーを見送った。

「良い日になりましたね」

「楽しかったよ」

後片付けを幸子に任せて文男は風呂に入った。

(本当に楽しかった)


 今日は厨房機器が運び込まれる事になっている。

文男が店に着くと既にトラックが横付けされていた。

「富田林さんおはようございます」

「羽田さんおはようございます、わざわざ来てくれたんですね」

「はい、どんな所か気になりまして」

真新しい厨房機器が運び込まれていた。

「中に入りましょうか」

邪魔にならないように一階から入った。まだ途中ではあるが内壁は終わっていてカウンターも設置されていた。

「素敵な空間ですね」

「久世がいい仕事をしてくれます」

「久世社長とは何処でお知り合いに?」

「大学が一緒でね、学部は違ったがよく一緒に遊んだよ」

昔話をしていると「遅くなりました」と理沙が入ってきた。

「おはようございます」

今日の理沙はスーツにコートを着ていた。

「この前のお嬢さん?随分と大人っぽくなったね」

「羽田社長おはようございます」

「おはようございます、うちで働かない?」

「やめてくれよ、貴重な戦力なんだ」

「冗談ですよ」

可愛いと印象が強かったのに今は美人秘書と言っても通るくらい凛としていた。

「そろそろ運び終わりましたかな?」

「行ってみましょう」

施行業者に許可を取り中へと入る。

「立派なもんですね」

動線もきっちりと確保されていて作業もしやすそうだ。

「イメージ膨らみますね」

三人は暫く眺めていた。

「羽田さんいい物をありがとう」

「富田林さん今後ともお願いします」

二人は硬く握手をし羽田は帰って行った。

「私達も邪魔になるから外に出ようか」

「承知しました」

コインパーキングに車を取りに行く。後ろを静かに着いてきた。

「理沙さん私と二人だけの時はそんなに畏まらなくて良いですよ?」

「はい」

少し気負いすぎだと思い指摘をした。

「これから何方にいくんですか?」

「ちょっと食器を見に行きます、羽田さんからもカタログを頂きましたが現物も見たくて」

「かっぱ橋ですね?」

歳末のかっぱ橋は人でが多かった。

以前に包丁でお世話になった店も覗いた。

「いらっしゃい、包丁を研ぎに来ましたか?」

店主は覚えてくれていて話しかけてきた。

「いえ、今度お店をオープンする事になりこちらでナイフやフォークも扱っていたと思いまして」

「ありますがうちのは高いよ、飲食店向けではありませんので」

「では何処か紹介していただけませんか?」

「お安い御用だ」

プロ向け商品を扱う卸売り業者を紹介して貰った。

「マスターは人との繋がりを大切にしますよね?」

「商売は人と人だからね、些細な出会いも大切にすると良いよ」

紹介された店に出向いた、一本裏通りに面した店は倉庫のような感じだった。

「ごめんください」

「はい、いらっしゃい」

包丁屋に紹介されて着たと告げると「聞いてるよ」と言ってくれた。どうやら電話をしてくれたらしい。

おばんざいをのせる大皿やステンレストレー、スプーン、ナイフ、フォーク、蓮華小鉢、小皿等などあらゆる物があった。

収容人数を告げるとどれくら用意したらいいかも教えてくれた。店の雰囲気を伝え子ども食堂もやる事も言った。

一月中に見繕ってくれると約束してくれた。名刺を交換して連絡待ちにする。

次は発砲容器の店に行き弁当の容器を決めた。

「何とか年内に粗方決まったよ」

「最後はかなり駆け足でしたけど?」

「辻褄合わせも重要なプロセスだよ」

理沙は横でクスクス笑っていた。

駐車場まで歩きながら仕事とは関係ない話しをする。

「理沙さんは正月は友達と何処かに行くのですか?」

「大晦日と元旦は家にいますね」

「家族と過ごすんですね?」

「はい、最近は友達と言えば彩絵ちゃんしかいないので…」

彩絵はイギリスの祖父に会いに行くと行って既に出掛けていた。

「ファミレスの方はどうなんですか?」

「年内で辞める事にしました」

「それはどうしてですか?」

「食堂に集中したくて自分なりのケジメです」

理沙に嬉しい事を言われて思わず理沙の手を取り「ありがとう」と真剣な眼差しで告げていた。

「それに最近はマスターからの仕事も増えたのでファミレスに行かなくてもそれなりに貰えてます」

文男も理沙に逃げられると困るので時間給は高めに設定している。

「私は貴女に希望を与えてあげられてるかね?」

「正直、余り考えずに入った調理師学校ですがマスターとの出会いは私の人生観を変えるものでした、今は自分の選択に誇りを持っています」

文男の眼には薄らと涙が浮かんでいた。

「しんみりしてしまいましたね」

理沙もつられて涙目になっていたのがわかった。

「年内の仕事はこれで区切りですので忘年会でもしますか?」

「良いですね」

理沙は母に電話して遅くなる事を告げた。

一度幸子を迎えに家へもどる。要件は先に伝えておいたので玄関で待機をしていた。

タクシーに乗り換えて隠れ家的なお店に行く。住宅地にあり外観からはお店には見えなかった。

「先程電話したら三人なら入れるとの事でしたので」

立派な庭があり玄関の暖簾を潜ると女将さんが出迎えてくれた。

「富田林さんお久しぶりです」

「女将さんも元気そうで」

長い廊下を案内されて個室へと入った。

「マスターはここには良く来るんですか?」

「前は接待で利用していたね」

直ぐに女将さんがお銚子と刺身を持ってきた。

丸い大皿に透ける程の白身が花のように並べられている。

「これって河豚ですか?」

「食べた事はありませんか?」

「無いですね」

「先ずは理沙さんからいただいてください」

幸子に食べ方を教わり箸をのばしていた。

「ん…何これ美味しい」

文男は手酌で理沙の表情を肴に呑んでいた。

「私達もいただきましょうか」

食べていると天ぷらやら煮物が次々と運ばれてくる。

「マスターはいつの間に注文したんですか?」

「注文はしてないよ、突然だったからお任せで用意して貰ったんだ」

理沙はお腹が空いていたのか黙々と食べていた。

「そんなに焦らなくても逃げませんよ」

幸子にからかわれて頬を染めている。

「娘がいる気分だね」

「うちには息子しかいないから新鮮ですね」

文男と幸子は目を合わせて笑っていた。

「マスターは愛妻家ですね」

「今まで散々迷惑をかけたからね罪滅ぼしだよ」

隣で幸子はニヤニヤとしている。

在職中は家にも帰れない事が多く海外にも行くことが多くて月の半分は家にいなかったと告白した。

「息子さんは正月には帰ってくるんですよね?」

「どうだろうね、息子はニューヨークに住んでて一人気ままな暮らしをしてるからね」

「お仕事ですか?」

「ブロードウェイを目指して飛び出て行ったよ」

「お幾つなんですか?」

「今年で三十三だね」

「もう帰ってきなさいって言ったんですけど聞かなくって」

幸子は少し寂しい目をした。

「あいつの人生だ私達は見守るだけだよ」

「そうですね…」

少しお酒が回ったのか幸子は元気がなかった。

「余計な事聞いてすみません」

理沙さんには関係ない事だから気にしないでと言ってはいたが理沙は気にしてしまった。

「そんな事忘れて食べましょう」

追加のお銚子を頼むと次は鉄鍋が運ばれてきた。女将さんが目の前で肉を焼いていく。すき焼きだった。

「こんなすき焼き始めてです」

「ここのは美味いんだよ」

女将さんはありがとうございますと言って調理を続ける。

どうぞと盛り付けられた肉を口に運んだ。

「うわっ一瞬で無くなりました」

「沢山食べてください、理沙さんには感謝してます」

後はごゆっくりと女将さんは部屋を出て行った。

「私こんなに贅沢して良いんですか?」

「これからもバリバリ働いて貰いますので」

「文男さんは理沙さんと出会ってからイキイキとしてるんですよ」

文男は咳払いをして圧力をかけるが幸子は知った事かと話しを続ける。

「理沙さん今日はうちに泊まっていかない?」

「こら、理沙さんに迷惑だろ」

幸子は理沙の事を気に入っているのでもっと話しがしたいらしい。

理沙は直ぐにスマホを出して母親にメッセージを送っていた。

「許可貰いましたのでよろしくお願いします」

「今夜は眠れなくなるわね」

「程々にしなさいよ」

食事も終わりタクシーで家まで帰る途中でスーパーに寄り理沙の着替えを購入した。理沙は自分で出しますと断ったのだが受け入れられず幸子が全て支払った。

ついでにお菓子や飲み物も購入していた。


 家に着くなり幸子は客間の用意をする為にさっさと消えていく。

「どうぞ」

「おじゃまします」

リビングに案内しお茶を出した。

「自分の家だと思ってくつろいでください」

「広すぎて自分の家とは思えません」

理沙は笑いながら答えていた。

二人で羽田から貰ったパンフレットを見ていた。この食器素敵ですねと言って付箋を付けていく。

「何?仕事の話し?理沙さん先にお風呂入ってください」

幸子に連れていかれた。

文男は部屋に行きラフな格好に着替えをした。酔い醒ましにベランダに出て星を見上げる。しばらくボーっとしてリビングに戻ると理沙は風呂上がりでソファーに腰掛けていた。

「先にお風呂いただきました」

「ゆっくり出来たかな?」

「広くて脚を伸ばせました」

客間の用意が出来たと幸子が戻ってきた。

「文男さんもお風呂入ってください」

「わかった」

廊下に出るとリビングから幸子と理沙の楽しそうな声が聞こえてきた。

(幸子にも寂しい思いをさせていたんだな)

文男はなるべくゆっくり風呂に入り二人の時間を作った。

リビングに入ると幸子はアクセサリーを理沙に付けて遊んでいる。

「理沙さんをおもちゃにしたらダメですよ」

「私が若い頃に使っていたアクセサリーを理沙さんにあわせてるのよ」

その他ハンドバッグや腕時計等も出していた。

「これ可愛いですね」

「そぉ?良かったら貰って」

「良いんですか?」

「私はもう使わないから使ってくれるとこの子達も喜ぶわ」

「ありがとうございます」

幸子が嬉しそうに理沙と接している姿に微笑ましく思えた。

いつの間にソファーで寝てしまい幸子に起こされる。

うとうとしながら寝室に連れていかれた。


 何時もの時間に目が覚める通常のルーティンをして着替えた。幸子と理沙はまだ起きていない。文男は米を炊飯器にセットして味噌汁と卵焼きを作ってから散歩に出た。


 あら?いい匂い。

幸子はダイニングに行くと朝食が用意してある。炊飯器が湯気を出していた。

炊き上がりまで二十分と表示されている。理沙のためにウインナーをボイルして追加し理沙を起こしに行った。

「理沙さん起きてください」

理沙が飛び起きた音が聞こえた。

「おはようございます、直ぐに着替えます」

「慌てなくて大丈夫よ」

幸子はリビングで待っていると準備を終えた理沙が入ってきた。

「理沙さんおはよう」

「おはようございます、マスターは?」

「散歩に出てるみたいね、そろそろ帰ってくるはず」


 文男が散歩から戻るとリビングに二人の姿があった。

「おはよう」

「マスターおはようございます」

「丁度ご飯が炊けたわ」

手を洗って席に着いた。

「「「いただきます」」」

揃って食べる朝食は美味しかった。

「理沙さん何時でも遊びに来てくださいね」

すっかり仲良くなった幸子と理沙は本当の親子にも見えた。

「では理沙さん送って行きます」

「お願いします」

送って行くだけなのに幸子も一緒に行くと言って聞かなかった。

理沙の母に幸子は挨拶をしていた。


 元旦は夫婦で過ごしている。

幸子は理沙さん遊びにこないの?と口にする事が増えた。

連絡の無い息子より楽しみにしている。

そんな矢先にインターフォンが鳴りいそいそと玄関に出向くと「ただいま」と言う声が聞こえた。

「おかえりなさい、帰ってくるなら連絡くらいしなさい」

幸子の怒っている声が響く。

「なんだよ、帰ってきたのに…」

文男は玄関には行かなかった。リビングに入ってきた息子に「帰ってきたのか」と一言だけ声をかけた。

「生活費が尽きて帰ってきた」

「父さんも定年退職したから金は出せんぞ」

きつい言葉かもしれないが三十路を過ぎた息子にしっかりして欲しいと思ったからだ。

「わかってるよ、俺も日本で働く事にしたから」

生活が安定するまで家に置いて欲しいとの事だった。

「当てはあるのか?」

「嫌、特には」

「まぁ元旦から説教もなんだしこの話は正月が明けてからにしよう」

「わかった」

「優真、おかえり」

「…ただいま」

幸子は特に正月料理は用意していないので慌てておせちを買いに行こうと言ってきた。

渋々スーパーに行き惣菜コーナーで買い揃える。

「煮物は私が作るよ」

おばんざいの練習も兼ねれるので文男は筑前煮の食材を購入した。

家に戻り台所で調理を開始する。

「親父が作るのか?」

「いけないか?」

「嫌、親父って会社人間だったから料理なんてするんだと思った」

「まぁ料理をするようになったのはお前が出ていってからだからな」

優真はバツが悪そうな顔をしていた。

「私も四月からは飲食店のオーナーシェフだからな」

「は?」

「そんなに大層なものでも無いが食堂を経営するんだ」

「意味がわからない」

「今な調理師学校に通ってて二月には調理師だ」

「そうなんだ…」

文男がイキイキ話すので優真は呆気に取られていた。

「母さんにも手伝ってもらう、今年は忙しくなる」

「お袋は働けるのか?」

「経理をやってもらう、数字には強いから大丈夫だし本人もやる気だ」

「俺も頑張らないとな」

優真も思う事があったのか目付きが変わった。

「久しぶりに近所を散歩してくる」

「迷子になるなよ」

「ならねぇよ!」

(あいつも大人になったのか?)

今からでも遅くない頑張れと心の中で叫んだ。

夜になると家族揃って食事をした。

優真の苦労話しを肴に酒を呑む。

結局芽は出なかったのだが糧にはなっただろう。


 翌日は初詣に出掛ける予定だった。用意をしているとインターフォンが鳴る。

「はい」

「あけましておめでとうございます知念です」

「あら理沙さん、あけましておめでとう」

玄関を開けると晴れ着姿の理沙が立っていた。

「いらっしゃい、入って」

「何処かに出掛ける予定でしたか?」

「この後初詣に行こうかと」

「すみません、お邪魔でしたね」

「いいのよ、神様より理沙さんとお話しがしたいわ」

文男がスーツ姿でリビングに行く。

「マスターあけましておめでとうございます」

「理沙さんいらっしゃい、あけましておめでとう、とても良く似合ってますよ」

理沙は晴れ着姿を褒められて満足したようだ。

「これから初詣に行くんだが一緒にどうかな?」

「いいんですか?」

「一緒に行ってくれると嬉しい」

話しに盛り上がっているとリビングに優真が入ってきた。

理沙は初めて見る顔に困惑した様子だったので紹介をする。

「息子の優真です」

「はじめまして、知念理沙と申します、マスターと奥さんには大変お世話になっています」

「マスター?」

「理沙さんとは一緒に店をやる事になっているんだ」

「失礼ですがお幾つですか?」

「今年で二十歳になります、誕生日はまだ先ですが」

優真は呆れた顔をしていた。

「優真さんは帰省ですか?」

「嫌、夢に敗れて帰ってきたんだ」

「また新しい夢に向かって行くんですね」

無邪気な微笑みに優真は驚いていた。

理沙も一度は夢を見失ったが今は希望に満ち溢れている。この笑顔に支えられる。

「そうだね夢を見つけないとね」

「なぁ親父、その夢に俺も参加出来ないか?」

「人を雇うより身内がいいが給料はそんなに無いぞ?」

「食うには困らないだろ?」

「お前次第だ」

優真は大学の経済学部出身なので経営の知識はあるだろう。但し実際に経営した事は無い。

「そんな事より初詣に行きましょう」

揃って駅まで向かい電車に乗る。赤坂見附で降りると豊川稲荷の東京別院に参拝した。

「本当は愛知の豊川稲荷に行きたかったが理沙さんが晴れ着なのでこちらにした」

晴れ着で車に長時間乗るのは大変だろうと変更した。

「気を使っていただきありがとうございます」

”すみません”ではなく”ありがとう”と言えるのが理沙の素晴らしい所だと思っている。

「やっぱり理沙さんは出来た子ですね」

幸子を同じ事を思ったのか褒めていた。

「えっ?ええ?」

理沙は頬を染めて照れていた。

「親父、理沙ちゃんは良い子だな」

「仕事のパートナーだからな」

理沙には聞こえないように小声で会話をした。

帰りに目黒へ寄り優真に改装工事中の店を見せた。

「本当にやるんだな」

「嘘を言ってどうなる?」

「中は見られるのか?」

「見れる」

鍵を開け中に入る。真新しいカウンターがあり座敷部分の小上がりも形になっていた。事務所部分はまだ何も無い。その隣の階段から上へ上がり厨房に入る。

「水周りの工事はまだだが厨房機器は年末に入った」

本格的な調理スペースに驚いている。

「私も初めて見た時は圧巻でした」

「私はこの店で女将さんをするの」

幸子も嬉々としている。

「俺は事務と仕入れをやるよ」

「配達も頼むぞ」

「任せろ」

優真はやると言ったらトコトンやる性格なので文男は安心していた。

「理沙ちゃん、俺は料理の事は食べる専門でよく分からないが全力でサポートするから指導をお願いします」

優真は理沙に頭を下げた。

「指導だなんて、とりあえず頭を上げてください」

優真は頭を上げると文男にこれまでの経理を全部教えて欲しいとお願いした。

初詣で買った御札をそっと厨房に置き店を後にした。

家に戻ると文男から経営方針と理念を聞いている。

「親父それで利益が出るのか?」

「当初は理沙さんの給料が払えるだけあれば良いと思っていた」

「親父の会社だから余り言えないが子供食堂と児童養護施設の弁当はやるとして、高齢者の弁当はお金を取らないか?」

「そう言ってもな」

「ちゃんと契約してお金を取る代わりに毎日必ず配達するんだ、利益なんてなくて良い、それは平日の営業で何とかして利益を取ろう、折角オープンしたのに立ち回らなくて閉店にならないようにしないと」

「わかった、お前に任せる」

「後は資産運用で何とか運転資金を確保する」

「お前に相続するつもりの金があるから好きに使え」

「幾ら使える?」

「一億だ」

「大切に預かる」

息子の熱意に押せれ気味になっていた。

ニューヨークで生活している時もデイトレードで何とか生活費を賄っていたと告白してきた。金が尽きたと言うのは方便だった。

理沙のいる前でする話ではなかったが後継者を理沙にはしようとしていたので文男は正直に話しをした。何度か理沙は席を外しましょうか?と言っていたが聞いていて欲しいとお願いした。

「これから先立って店のHPを立ち上げる、そして三月から高齢者の日替わり弁当を募るようにする、同時に都内の児童養護施設への交渉も行う、子供食堂はプランを考えて告知だけとする」

「それで構わない」

「優真さんに任せておけば安心ですね」

「親父と理沙ちゃんはメニュー作りに専念してくれ」

「私は何をやればいい?」

幸子も何かしたいようだった。

「お袋は高齢者への電話対応を頼む」

「やる気は良いが空回りしないようにな」

「わかった」

ひとしきり話しが終わると幸子は理沙を連れて部屋に行った。

「なぁ親父」

「なんだ?」

「お袋と理沙ちゃんはなんであんなに仲が良いんだ?」

「お前が生まれる前は娘が欲しいと言っていたからな」

「そうか」

しばらくリビングでくつろいでいると理沙がリビングに戻ってきたのでお年玉を渡した。

「受け取れません」

「受け取って貰わないと収拾がつかない」

「幸子さんからも貰いましたし」

「理沙ちゃん貰ってあげて欲しい」

「優真さんまで」

少し困惑をしていたが仕方なく受け取る。

「有難くちょうだいします」

「これからもよろしく」

「こちらこそ」

お茶を飲んで雑談をした。

「優真は免許は持っていたよな?」

「向こうでも乗っていたから」

「理沙さんを送って行け、場所はナビに登録してある」

「わかった」

理沙は電車で帰ると言っていたが足を痛そうにしていたので優真に送らせた。

 

 正月休みも終わり店のHPも出来た。公開はしていないがかなり本格的な物となっていた。優真は料理に関しては門外漢だが経営には知識を持っているので申し分のない働きをしている。今まで文男のやっていた交渉事は引き継いで貰った。

ビジネスには父親のコネは存分に利用している。

理沙とも仲良くやれているみたいで一安心だった。

今までは私財を使ってやっていたが銀行の融資も受けれるように交渉までしていた。銀行に運転資金をチラつかせると融資の話しもトントン拍子に進み回転資金を捻出している。

今日は水周りの工事が終わり確認の為に店に出掛けた。

理沙は勿論彩絵も一緒に着いてきた。

「こちらは?」

「たまに手伝って貰っている佐伯彩絵さんです」

「はじめまして、富田林優真です」

「彩絵ですよろしくお願いします」

「開店したらアルバイトスタッフをしてくれる事になっています」

「そうですか、お願いします」

そろそろ宜しいでしょうか?と監督が言ってきたので水周りの確認をした。

エレベーターの工事も終わっていたので一緒に確認をする。厨房の工事は一通り完成となった。

神棚を取り付けて御札を奉納した。

フロアは今月中に完成の予定だ。工事の邪魔にならないように店をでた。


 一月も終わる頃に全ての工事が完了した。店の看板も取り付けられ外から眺めていると隣に理沙がきた。

「いよいよですね」

「そうだね」

食器や調理器具の搬入、料理の準備等やる事は沢山ある。

店の中に入りこれからについてミーティングをはじめた。

「食器類の手配はこれまで通り進めるとしてお昼のランチタイムと夕方からのスタッフ募集ですが彩絵さんを除いて昼、夜各二名は確保しようと思ってます」

「洗い場とホールを一名か?」

「そこは臨機応変に対応です」

次はメニューの話しに変わる。

価格を抑える方向でおばんざいをビュッフェ形式にする事でコストを抑える事が基本となっていた。

「提案があるのですが」

理沙が口を開く。

「ビュッフェ形式だと食べ放題ですよね?」

「そうなるね」

「回転率が悪くなりませんか?」

言うことはごもっともだ。

安価にしてより多くの人に食べて貰うなら小皿で一皿幾らにしたほうが良いのではないかと提案された。

「確かに沢山の人に食べて貰いたいね」

「子供食堂は入場料で無制限で良いかもしれませんが普段の営業は回転率重視でより多くの人に食べて貰いたいです」

優真は頭を捻っている。

「回転寿司みたいに皿で値段がわかるようにしてご飯のお代わり自由とかだと安価に提供出来ますね」

そうなると料理を並べるスペースが増えるが小料理の提供はセルフになるのでスタッフの負担は減る。

元々カウンターは大皿料理を並べる為の物なのでそこに棚を載せれば対応は可能だった。

「丼物や麺類は注文を受けてから作るしか無いがやれるだろ?」

「メニューを絞り込めばいけます」

「小皿は全て日替わりにしてしまえばお客さんも飽きなくてすみますね」

理沙の案を採用して進める事にした。小皿料理は百円、二百円、三百円で各種十種類を目指す。揚げ物は揚げたてを提供したいので注文形式となった。勿論一度揚げておいて注文後に高音でサッと揚げる方式だ。種類はカツと鳥の唐揚げ、魚のフライこれは仕入れの状況で変化する。

「今日は具体的な所まで決まったね」

「はい、方針が見えてきたので仲買人との交渉がやりやすくなりました」

次はお年寄り向け弁当の話しになる。

「栄養バランスと低価格を実現する為に安全な輸入食材を利用します」

優真が提案してきた。

「それなら私に心当たりがある、連絡を取ってみよう」

弁当は仕入れによって一日二食を週六日の提供とする事にした。毎日やりたかったが休みも確保しないといけないので今後の課題となった。

子供食堂で最後となった。

「子供食堂なんですが日曜日のお昼に開催する事にします、夜は営業をしません」

「なんでそうなる?」

「これには理由があります」

優真が説明を始めた。

児童養護施設に提案したところ店に行くのは不可能との事でこちらから出張となる。今は民間の養護施設が三つが手を挙げてくれた。これを週替わりで回る、勿論地域の子供を招いての子供食堂は月に一度行う。これは三百円で食べ放題にしようと提供された。

「養護施設での子供食堂は無料で出来るんだな?」

「はい、調理場も借りられます」

「その場合の弁当はどうするんだ?」

「土曜日に仕込みをして日曜日の早朝に仕上げます、僕がこちらに残り配達します」

この方法だと地域を絞らなくてはならないが最初は仕方ないと諦める。取りに来てくれる人は断らない事にした。時間を決めてやれば短時間のアルバイトで対応可能となる。

「他に何かありますか?」

「募集はいつからですか?」

「三月から募ります」

四月一日オープンに間に合うように計画を煮詰めていきますと優真は力強く言った。


 二月になり見直しをされたHPが公開される。近所にはチラシを配布していたのでそこそこのアクセスはあった。

弁当は後期高齢者と足腰の不自由な前期高齢者に絞り込む。自己申告なので確認はしない。利益の無い慈善事業を全面に出して悪意のある人を敬遠した。

文男と理沙は優真に任せて調理師学校のを修了に集中した。

優真からは報告があり順調に進んでいるとの事だった。


 修了の日を迎えた、文男と理沙は明日からの事を話していると彩絵も合流した。

「お疲れ様」

「明日からは食堂に集中?」

「そうですね」

「私も大学は四月から再開するからそれまでは手伝える」

「それは助かります」

今日は食堂で打ち上げをしようと彩絵が提案するので乗った。

料理は各人が作る事にする、食材を買って食堂へと行った。

内装の飾り付けやら掃除で幸子は来ていたので丁度良かった。

「お揃いでどうしましたか?」

「卒業記念にここで打ち上げをしようとなったので材料を買ってきたよ」

「あらま良いですね」

早速調理に取り掛かった。

店のメニューであるトンカツ、唐揚げ、筑前煮を文男は作る。

彩絵はピザを焼くと張り切っていた。

理沙は真鯛を刺身にしている。

「皆さん真剣ですね」

優真は文男の手つきに感心していた。

「マスター、刺身終わりましたので筑前煮は任せてください」

「お願いします」

彩絵は生地から作っているのでまだ時間はかかりそうだ。

理沙は筑前煮を作りつつゴーヤチャンプルーも作っている。

食器はまだ無いので紙皿に盛り付けた。

この一年真剣に料理を学んだ成果は出ていた。

「あら美味しそうな匂い」

出来た物を順番に下のフロアに運ぶ。

カーテンを付けていた幸子は料理を覗いた。

彩絵のピザが焼き上がり料理が揃う。

帰りを考えてコーラで乾杯をした。

「彩絵ちゃんのマルゲリータ美味しく出来てるよ」

「ピザは練習したからね」

「どれも美味しいですよ」

楽しい食事会となった。


 保健所の立ち会い調査も終わり営業に向けて前進する。

納入された食器を片付けていた。

「思ってたより枚数が多いですね」

「ロットで買うと安くなるので多くなりました」

最近は優真と理沙も仲良くなり楽しそうに仕事をしている。

「ねぇ文男さん、優真と理沙さんが一緒になってくれたら良いと思わない?」

「それは私たちが望む事では無いよ」

「そんな事はわかってるわよ」

理沙を気に入っている幸子は優真と一緒になれば理沙が娘になるからと期待したようだった。

「過度な期待はしない事だよ」

「そうよね」

片付けが一段落してお茶にする。

「予定通り明後日は近所の人を招いての試食会を行いますのでよろしくお願いします」

優真が業務連絡をする。

「仕入れは大丈夫なのか?」

「はい、連絡済です、各五十食の材料を用意してあります」

「明日は仕込みが忙しいね」

「朝の八時には納品されますので僕が先に来て受け入れます」

果たして何人が来てくれるか分からないが実戦形式の予行演習は有難い。

「ところで弁当の応募はどのくらいきてる?」

「今のところ契約出来たのは五名です」

「思ったより少ないな」

これから口コミで広がるでしょうと優真は言っていた。


 朝から仕込みを始める。理沙と協力して効率よく進めた。フロアでは優真と幸子が人を入れても大丈夫なのか念入りに調査していた。

昼前に彩絵もやってきたので仕込みを手伝って貰っている。材料はカットして冷蔵庫に入れて直ぐに調理が可能な状態にしてある。

フライヤーに二種類の油を入れて使用可能状態にした。

作り置きで問題ない料理は順番に作って冷蔵庫へ入れる。

「彩絵さんそちらの準備は終わりましたか?」

「うーん大丈夫と思う」

「では理沙さんのお手伝いをお願いします」

文男は厨房を仕切る。

「空いてる時にトンカツは衣を付けて冷凍するようにして手間を省きましょう」

前段階まで仕込んで冷蔵作戦で効率化をする事にした。

明日の準備が終わると店の前の公園に行き明日の試食会へのお誘いをかけた。警戒されないように理沙を連れて行ったので話しは聞いて貰えた。

「明日来てくれると良いですね」

「そうですね」

優真はアンケート用紙と筆記用具をテーブルに置いていた。

なるべく厳しい意見が書きやすい内容に工夫している。

仕込みは万全として明日に備えて早目に上がった。


 朝六時に店に着いた。

開店準備をしていると優真が市場から食材を持って帰った、

イカと鱸、鰯が安かったからと仕入れてきていた。

「イカは刺身にして鱸はフライ、鰯は甘露煮でゲソと里芋で煮物にするよ」

「開店に間に合う?」

「もうすぐ理沙さんも来るから大丈夫だよ」

鰯の下拵えをしていると理沙が出勤してきた。

「おはよう」

「おはようございます」

直ぐに支度をして厨房に来てくれた。

「イカを頼めるかな?」

「どう料理しますか?」

「胴は刺身でゲソは煮物にします」

わかりましたと言って素早くゲソを切り離していった。文男が鰯を圧力鍋に入れて火を点ける頃にはゲソが全部取り外されていた。一度粗塩で洗い里芋と一緒に煮付けていく。

幸子がイカを皿に盛り付けて冷蔵庫にしまっていた。

「理沙さん上手ね」

「早くやらないと鮮度が下がりますから」

文男が鱸の鱗を取り除き理沙がおろす。

鱗を取り終わると切り分けていった。

「文男さんと理沙さんのコンビは息が合ってますね」

幸子は少し驚いていた。

既に時間は九時を過ぎていた。

「遅れました、すみません」

彩絵が息を切らして入ってきた。既に着替えも終わっている。

「彩絵さん鱸はフライにするので衣を付けてください」

「了解です」

遅れを取り戻すようにテキパキと仕事をしていた。

ゲソの煮物が完成するとすかさず幸子が小鉢に盛り付けていく。

「食器は足りる?」

「もう少し増やしたほうがいいかもね」

今日は試食会なので用意する量は少なめだが今の量では不安なようだ。

圧力鍋の圧が下がったのを確認して蓋を開けると味見をした。

少しだけ味を整えて盛り付ける。

開店の三十前となっていた。

「お客さんが二十人程並んでます」

優真が教えてくれた。

「手書きのお品書きは出来てます」

「ありがとう」

文男がフライヤーにスタンバイして揚げ物の準備をした。

「ちょっと早いけど開けてください」

優真は下に行き開店をした。

いらっしゃいませと威勢のいい挨拶が上まで聞こえてくる。

「彩絵さんはホールの応援をお願いします」

厨房のモニターに注文が届き始めた。

揚げ物を開始した。

盛り付けられた物をエレベーターで下に降ろす。

一旦落ち着いたので窓から外を覗くとまだ並ぶ人の列が見えた。

「マスター、下の様子を見てきます」

「お願いします」

トンカツと唐揚げはよく売れる。ひっきりなしに揚げていた。

「小皿料理がなくなりそうなので降ろします」

冷蔵庫から取り出しワゴンに載せて下に降ろした。

まだ正午にはなっていないのに用意された料理は底を尽きていく。まだ並んでいる人がいるので理沙が煮物と焼き物を調理していった。

「ご飯貰っていきます」

彩絵も額に汗をして頑張っていた。おひとり様三品までとしていたが料理は足りなかった。

一時前には予定数終了となり店に入れなかった人には一品無料券を渡して本営業に来てくださいと謝罪した。

「お疲れ様」

「目が回ったよ」

まさかここまで人が来るとは思っていなかった。

「アンケートはどうだった?」

「書かない人もいたから半分くらいですね」

店は閉めているので遅い昼食にした。

本営業の半分も開いていなかったのにものすごく疲れていた。洗い場は山のようになっている。

「ホールにあと一人欲しいね」

「アルバイトは募ってますので来週には決まると思います」

応募は何人かあったようだった。昼食を食べながらの反省会をした。

「アンケートはまとめてから報告しますので明日以降ですね」

この日は片付けをして終わった。


 全ての戸締りを確認して外に出た。辺りはすっかり暗くなっている。

一人の少年が勝手口の階段に腰掛けていた。

「僕どうしたんだい?」

少年はこちらを見たが何も言わない。文男は少年の隣に腰掛ける。しばらく何も話さずにいた。

「お腹空いてないかな?」

少年は僅かに頷いた。

少年が手をとり店の招き入れた。厨房の片隅にある椅子に座らせる。ここは下拵えをしたり賄いを食べたりする為に作ったスペースだった。

冷凍庫から衣のついたトンカツを出してフライパンで揚げる。冷蔵庫から作り置きの出汁を雪平鍋に入れて丼つゆを作った。余ったご飯を小分けして冷凍していたので丼に移しレンジで解凍する。

少年は匂いに誘われたかこちらを見つめていた。

「ほら食べなさい」

お茶と一緒にカツ丼を目の前に置いた。

「いいの?お金無いよ」

「今は営業時間じゃないし、今日は試食会で無料の日だからね」

少年はカツ丼を勢いよく食べ始めた。

文男はコーヒーを容れて少年の前に座る。

「どうですか?」

「とても美味しいです」

「それは何より」

文男は食べ終わるまで無言でコーヒーを飲んだ。

「ごちそうさまでした」

少年は食べ終わると少しだけ顔が穏やかになっていた。

「何かあったのですか?」

「お母さんと喧嘩したの」

「そうでしたか、私は富田林文男です、少年のお名前は?」

「磯村純平です」

「純平君は幾つかな?」

「七歳」

小学生一年生かな?と思ったが口にはしない。

「純平君はお母さんとなんで喧嘩したの?」

「お腹すいたのに疲れてるからってご飯作ってくれなかった」

「そうでしたか」

「でも妹もいるのに自分だけご飯食べて…」

「妹さんもお腹空かせて家にいるんですね?」

「はい…」

純平はまだ幼いのに妹を気遣っていた。

「ではお弁当を作りますから少しだけ待ってください」

「ありがとうございます」

オムライスを二人前作りそれぞれ別の容器に詰めた。

「まだ営業はしていないのでこんな物しかありませんが持っていってください」

「ありがとうございます」

純平は涙目になっていた。早く持っていってあげてくださいと純平を送り出した。後片付けをして再び店を閉めた。文男は純平の家庭環境が気になってしまった。

「ただいま」

「遅かったですね」

先に帰っていた幸子に経緯を話した。途中からは優真も聞いていた。

「あまり人様の家に口を挟みたくありませんが心配ですね」

優真は児童養護施設の人に話しをしてどう対処したら良いか聞いてみると言ってくれた。


 今日は昨日のアンケートを踏まえた営業会議を店でする事になっていた。

「おはようございます」

理沙が店に入ってきた。

「おはよう、疲れは取れましたか?」

「私が一番若いのに疲れてはいられません」

「そうですね」

可笑しそうに答えていた。

彩絵も今日は時間通りにやってきた。

「揃いましたので始めたましょう」

優真が司会をする。

「昨日の結果で一番多かったのは三品では少ないでした」

それは試食会という名目だから仕方ない。

「それはさて置き、次は生野菜が欲しいでした」

確かに、調理済の物が多くて生野菜といったらトマトスライスくらいしかなかった。

「サラダバイキングはどうですか?」

「これ以上料理を並べるスペースを確保するならテーブルを減らす事になります」

彩絵の案は良かったが物理的に難しい。

サラダのメニューを増やす事を検討する。

「汁物が欲しいと意見も多くありますね」

「味噌汁と日替わりスープをご飯の隣に設置してセルフでどうですか?」

ご飯と味噌汁の無償提供なら集客は出来そうだが赤字が膨らむ事は間違いなしだった。

「そこは仕入で何とかしてみます」

優真には作戦があるようだった。

「値段設定が安いのですが大丈夫ですか?と心配する意見もありましたね」

これは想定内なので気にしない事にした。

「今後、本営業に向けて昼の営業は日替わりランチを三種類、丼、麺だけにしたいと思います」

「コストを下げるためには仕方ないか」

「日替わりをマンネリにならないようにするのは少し楽しいかもです」

理沙は相変わらず前向きな意見をくれる。

「夜はおばんざいを並べてゆっくりと食べられるようにしましょう」

優真は酒類を提供してこれで利益を稼ぐと提案した。

「居酒屋では無いですからビールと日本酒くらいにしておきましょう」

既に酒類の販売許可は申請済だった。

会議が終わると優真は児童養護施設を訪問すると言って出ていった。

文男達は日替わりメニューについて試作をしながら話し合った。

「ちょっと作りすぎちゃったね」

「とりあえず食べましょうか」

三人で食事をしていると勝手口のドアがノックされた。私が出ますと言って理沙が席を立つ。そこには幼い兄妹がいた。

「こんにちは、僕どうしたの?」

「おじさんはいないの?」

「マスターお客さんですよ」

理沙は呼ばれ文男は勝手口へと行く。

「純平君いらっしゃい」

「昨日はありがとうございました」

純平と妹を招き入れた。

「昨日のお礼を言いたくて妹を連れてきました」

「これはご丁寧に」

「妹の舞花です」

「舞花ちゃんいらっしゃい」

「磯村舞花です、年中です」

こちらも純平同様にしっかりと挨拶が出来た。

「オムライス美味しかった」

「どういたしまして」

彩絵が椅子を下から持ってき座らせる。

「ちょっと料理作りすぎちゃって良かったら食べていって」

理沙が優しくエスコートした。

「「いただきます」」

純平と舞花は嬉しそうに食べていた。

「お母さんはどうしたのかな?」

「夜に仕事に行くから寝てる」

「そうなんだ」

彩絵は子供をあやすように話しかけていた。

「お父さんは?」

「いない」

「お仕事で?」

「最初からいない」

少し家庭の事情が見えてきたのでこれ以上親のことは聞かないようにした。

「何時もは家で何食べてるの?」

「パンかカップラーメン」

育ち盛りの子には過酷な食生活を送っているみたいだった。一度区役所に届けるべきだと思う。

「沢山食べなさい」

文男は思わず口にしていた。

舞花はほとんど保育園には行っていないと純平が教えてくれた。

おかずを何点かタッパーに詰めて持たせた。

「日曜日以外はいますから尋ねてきなさい」

純平は元気に手を振って帰って行った。

「純平君の所は母子家庭なんだね」

「大変そうだね」

理沙と彩絵も純平を気にしていた。

暴力的な虐待は無さそうだが飢えている二人を見るのは辛かった。

翌日に優真が区役所の児童センターに連絡をした。名前しか分からなかったので対応が難しいと言っていたが夕方になると区役所から市村妙子と名乗る人が店を訪れた。

「この度は連絡をしてくれて感謝します」

「実際にはどうか分からないですが気になりまして」

「周囲の協力がなくては救えませんので」

今日は連絡をした優真と理沙の三人。純平が来た時ように食材も用意してある。理沙は前もって挽肉を捏ねてハンバーグを用意していた。

「そろそろ来る頃合いですね」

勝手口がノックされると純平と舞花がいた。

「よく来たね」

「こんにちは」

中に入れてご飯を食べさせる。市村はそれを隠れて見ていた。

二人が食事を終えたら市村が二人に挨拶をした。

「初めまして、市村妙子です、児童センターの職員をしています」

純平は不安そうに文男を見ていた。

「純平君心配する事は無いよ、このお姉さんは純平君の味方です」

暫く三人で話しをしたいと申し出があったので下のフロアに案内してお茶を出した。

「大丈夫ですかね?」

「私達は食事の提供以外は出来ないから見守るだけです」

文男は二人に弁当を作って待っていた。

丁度出来上がった頃合に三人が上へと戻ってきた。

「純平君、お弁当作りましたから持っていってください」

「いつもありがとう」

「舞花さんもまた来てくださいね」

舞花は無邪気な笑顔で手を振ってくれた。市村と優真は話しをしていた。

「それでは失礼します」

市村は純平と舞花を連れて帰っていった。

「市村さんが純平の家を訪問してくれるそうです」

「良かったのですかね?」

その行動が正しいかは誰も分からなかった。


 明日から高齢者向けのお弁当業務をスタートさせる。現在は五人と契約した。

それに向けて配達用の軽自動車も購入した。

「弁当のおかずはなるべく柔らかいものにしましょう」

とにかく低コスト低カロリー栄養バランスに気を使った。医食同源をコンセプトにメニューを組み立てた。

ハーブや漢方も取り入れて何とかメニューを増やす。

「理沙さんはハーブに詳しいですね」

「最近勉強中です」

優真にハーブや漢方の本をプレゼントして貰ったので読んで勉強していると言っていた。最近は二人で出掛ける事もあるらしい。

本格的な営業に向けて課題をこなしていった。


 朝から弁当を作っている。五人分、十食を作っていた。

ご飯とおかずは別々の容器に入れて少し冷めた所で蓋をした。それを車に運び入れる。

「マスター、今日は私も行っていいですか?」

理沙も着いていくと言い出した。

「構わないよ行っておいで」

理沙はコックコートのまま助手席に乗る。

「くれぐれも事故を起こさないように」

「わかってる、気を付けて行ってくる」

文男は車を見送った。階段を登りかけた所で後ろから声をかけられる。

「富田林さんおはようございます」

声の主は市村だった。

「おはようございます、外では何ですから入ってください」

中に招き入れる。やはり話題は純平の事だった。

「磯村純平君と舞花ちゃんの調査が終わりまして報告に来ました」

「私が聞いても良いのでしょうか?」

「本人達の希望でしたから」

あまり良い報告ではないように思えた。

「結論から言いますと、児童養護施設で

保護する事になりました」

「そうですか」

「虐待こそありませんでしたが育児放棄が顕著にみられまして警察、教育機関にも相談しましたが子供の将来を考えた結果そうなりました」

「暫く来てないから心配はしていましたがそうでしたか」

「今回は協力していただきありがとうございました」

「とんでもない、私はただ食事を提供したに過ぎない」

栄養失調になりかけていた事や標準体型より小さかった事などを教えてくれた。

「今はくるみ園で生活しています」

聞き覚えのある名前だった。

「そこは私共が子供食堂で行く事になっている所です」

「そうでしたか?」

「はい、月に一回ですが訪問して開催します」

「慈善事業もやられるとは立派な事です」

今回の事で子供110番の家に指定したいと提案された。勿論受けることにした。

「純平君と舞花ちゃんに会った時はよろしくお願いします」

「会えるのを楽しみにしています」

市村が帰ると明日の弁当の献立を考えた。

「ただいま」

「おかえり、どうでした?」

「とても喜んで受け取ってくれました」

「やっと一つ営業がスタートしたばかりです」

優真も戻ってきたので市村が来た事を伝えた。

「そっかくるみ園かぁ」

「また楽しみが増えましたよ、純平君に私達の成長を見てもらえますからね」

「マスターの考えた方って素敵です」

理沙の目が輝いていた。

「明日の分の仕込みも頑張るぞ」

「そうですね」


 本営業まで一週間となりアルバイトの人も決まった。

「川原輝美です、よろしくお願いします」

輝美は三十四歳で主婦をしている。昼間の枠に入って貰った。

「よろしくお願いします、ホールをやっていただきますのでお願いします」

教育係は優真に任せてある。夜間は彩絵が入ってくれるので増員は輝美だけどなった。これからの客の入りでアルバイトは増やす事になるだろう。

輝美にはこの店のコンセプトを伝え、子供食堂の事や弁当の事も伝えると凄いですねと言ってくれた。

「子供食堂の時は子供を連れてきてもいいですか?」

「勿論です、お母さんの働いている姿を見せてあげてください」

とりあえず追加で購入した食器を洗ってもらい片付けをして貰った。テキパキとこなしてくれるので期待が出来る。

優真から報告があった。

「開店日に地元のケーブルテレビが取材をしたいと連絡がありましたがうけますか?」

「余り宣伝になる事はしたくないですね」

「口コミで評判が勝手に独り歩きしているので僕は有りだと思います」

「情報を発信して落ち着かせる目的ですね」

理沙は優真の意図を汲み取ったようだった。

「では施設を回っての子供食堂は伏せてなら良いでしょう」

「分かりました、先方に伝えます」

開店に向けて冷凍食材が次々と搬入されてくる。大きめの冷凍庫もそろそろパンクしそうだった。


 開店前日には花が届いた。久世と羽田からだった。他にも食器を購入した問屋だったり食材の取引先もあったが文男が以前に務めていた商社からも来ていた。

「いよいよ明日ですね」

「そうですね」

行き交う人達からは楽しみにしていますと声も掛けられた。

「仕込めるだけ仕込みましょう」

「はい、忙しくなりますね」

優真は開店祝いに配るマグカップをレジ横に積んでいた。それぞれがやるべき事をやっている。幸子も輝美と店内をくまなく掃除していた。明日は朝から彩絵も入ってくれるので全員で初日を迎えられる事となり文男はワクワクしていた。









無事に開店させてこれから子供食堂に向けて頑張っていく事になります。スタッフとの信頼を大切にして子供食堂を現実化します。

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