第7話・海女資料館
伊勢志摩旅行の三日目。
今日の空は雲が覆い、どんよりとした重い空気が漂っていた。予報では午後は雨になるらしかった。
二人は、海女さんが行方不明になった町に行って、早速聞き込みに入った。
まずは、段々畑の傍の石垣に座って休んでいた、農作業の老婆に聞いてみた。
「お婆ちゃん、お名前は何というの?」
「はぁー、おらの名か? おらの名前はトシじゃ」
と、老婆は歯が抜けたせいか少し聞きづらい声で言った。
「トシさん。戦後にここで起こった事件の事を知っていますか。海女さんが四人行方不明になった事件よ」
「ああ、おらがおめえたちみていに若かった時の事だぁ。覚えているよ」
「その時に、村中が大騒ぎになったのを覚えていますか?」
「ああ、若い海女が四人も帰って来なかったのじゃ。みな総出で探したわい」
「でも一日二日で騒ぎが治まったと聞きました。何か見つかったの?」
「そうじゃったかな・・・、その辺はよく覚えておらぬのう」
二人はガッカリしたが、老婆に礼を言って他の住民を探すことにした。
だが、平日の昼間だ。あまり人の姿が無い。
その後も三人ほどに話を聞いたが、お年寄りで無ければ、事件そのものも知らない人が多いと解った。
「海女の資料館と言うのがあるよ。行ってみようか」
と、清美がスマホを見て行った。
坂を少し登った所にある海女資料館は、最近出来たらしくて新しい建物だった。
小体な館内には、海女の使う道具や獲物の貝殻、古い海女の写真などを展示していて無料で見学する事が出来た。
「海女小屋体験というのがあるよ」
と、清美が手に取ったパンフレットは、囲炉裏で魚介類を焼いている海女さんが写っていた。海女さんと一緒にお茶を飲み、魚介類を焼いて食べながら海女の話を聞ける催しだ。
受付の奥には中年の女性が二人いて、かしましい志摩弁で話をしていた。彼女達が電話を取って話す内容で、海女小屋の予約をここで受け付けているようだった。
「これ予約しようか。海女さんとじっくり話が出来るチャンスだから・・」
「賛成。アワビ食べたい!」
清美の声に、受付の女性が気付いてくれた。
「ようこそおいでなして。海女小屋体験でしょうか?」
「はい。明日なんか予約できますか?」
「昼食メニューですね。大丈夫です。二名だと他の方と相席になりますが」
「はい、構いません。それでお願いします」
二人は早速、海女小屋体験の予約をした。時間は、午前十一時からだ。
海女小屋体験は、お茶メニューと昼食メニューがあって、昼食メニューはかなり値が張るが、アワビを食べられるのだから仕方がない。
「あのー、聞いても良いですか?」
ついでに琴代は、受付の女性に話しかけた。
「何でしょう?」
「私、伝説とかが好きなのですけれど、竜宮井戸の話をちらっと聞いたのですが、ご存じでしょうか?」
これまで竜宮井戸の話は、岬で会った老婆に聞いただけだったのだ。
「勿論、知っています。竜宮井戸の話は、海女さんの伝説話の三本柱の一つですから」
「三本柱!」
と、琴代の目が光ったのを、清美は横から見ていた。
「三本柱の伝説というのは、どういう話ですか?」
「はい、それは地域によって微妙に異なりますが、七本鮫に竜宮井戸、それにトモカズキです。海女が海に潜って仕事をする事をカズキと言います。海に潜っていると自分にそっくりな海女が海中にいて、あっちにもっと良い所があると、手を引きに来るそうです。これをトモカズキと言います。トモカズキは海の魔物と言われて、付いて行くと息が絶えて命を落とすと言います」
「こわっ!」
と、清美は身を引いた。
「海の魔物ですか・・」
「或いは、海で亡くなった海女の亡霊とも言います。まあ実際に見た人はいませんが、暗い海の底は不気味で、海女は常に命の危険に晒されていますから・・」
と、女性は思い出すように言った。
「ひょっとして、あなたも海女さんですか?」
「ええ、そうでした。今は辞めてこうして陸で仕事をしていますが」
「そうだったのですか。三本柱の他の二つとは?」
「あっ、そのパンフレットに書いてあります」
と、女性は受付のスペースから出て来て、パンフレットを取ると二人に手渡した。
「七本鮫のゴサイはもうすぐです。あっ、あままちどは今日だわ。なっとしょう」
と、女性の声が一段高くなった。
「そあ、仕事がおわってから行けばいいだ。うちもそうするよ」
と、奥から声が掛かった。
「んだなあ・・」
と、考えている様子の女性。
「そのあままちどは、麦崎の竜宮ボチで催されるのですね?」
「そっだ。・・あ、そうですよ」
と、受付の女性は、落ち着いた標準語に変えて答えた。地元の言葉を話すときは、何故か一オクターブ声が高くなるようだ。
「観光客でも参加して良いのでしょうか?」
「それは構わないわ。でも、ただお祈りするだけですよ・・」
受付の女性から手渡されたパンフレットには、こう書かれている。
七本鮫
七本鮫は竜宮の使い、或いは伊雑宮神の使いと言われていて、六月に大海原から磯部の伊雑宮に上がって来ると言われている。
この前後をゴサイ(御祭)と言う。海女はこの日をノボリゴサイ、翌日はモドリゴサイと呼び、仕事を休んで、神社にお詣りする習慣がある。
一説には、鮫は六本という。七本のうちの一頭を猟師が銛で獲って六本になったという。すると神様のバチが当って、その猟師は死んで猟師のいた村も誰もいない原野に変わったという話だ。
竜宮井戸
麦崎岬の南に、海中に深く澄み切った所がある。ここを竜宮井戸と呼んでこの付近では、海女は決してカズキをしないという。
昔・九人の若い海女が竜宮井戸付近でアワビやサザエを獲っていました。ところが夕方になっても誰も帰って来ない。村人が竜宮井戸の付近を探すと、磯桶が九つポッカリと浮かんでいたが、海女は誰一人見つからなかった。
それ以来、その日を「海女人日待」と呼び、小さな桶を九つ作り白米三升三合で白餅一重二個ずつを入れて、竜宮ボチにお供えして九名の海女の冥福を祈ります。
と、パンフレットには書かれていた。