第15話・巫女様
境内は、小さな学校のグランドほどもある広さで、そこに人々が疎らに並んでいた。正面に広い参拝所があり、そこから本殿に続く急階段が真っ直ぐに上がっている。その途中の一壇高い所に左右に広がった拝殿があった。
「普通の神社より高いね・・」
拝殿を見上げて清美が言う。本殿や拝殿は、まさに見上げないといけない高さだ。石垣と土を盛られた土台に高い柱が立って拝殿を支えている。境内と本殿は、四十五度に近い急な階段が、神様との距離を一層神秘的に隔てていた。
「昔の出雲大社は、こんな急階段が百メートル以上もあったらしいよ」
琴代は、昔見た古い絵図を思い出して言った。
「ここは、古い神社の形が残っているっていうことね」
「たぶんね・・」
境内の端には、山へと続く道があった。そこには、木で作った柵が置かれてあったが、人の通行を遮断する物では無かった。
「この先に、ご神体と呼ばれる遺跡があるのね。どうする?」
宿の女将さんから聞いた話では、通行は禁止されていないが地元の者は恐れおおくて入らない聖域だ。
「観光客は行くのでしょう。私たちは地元の者では無く観光客よ。行ってみましょう」
好奇心旺盛な琴代を先頭に、急な石段を登った。すると境内から五分ほどで頂上に着いた。
そこには、話に聞いた通りの石積みの基壇のようなものがあった。
手前の辺が長い五角形で、一番遠い頂点に石で組んだ小さな祠がある。祠の中は、やはり石が立てられていて、右が背の高い細長い石、左にはずんぐりとして丸い石が祭られている。
「これ、あれね?」
「うん、陰陽石だと思う」
背の高い方の石は、上部に斜めに筋がある。それは男性器の雁首をあらわしている。誰が見てもすぐ分る。
その小祠の前は、人が二人ぐらいは、横になって並ぶほどの広さがあった。
「まさか、ここでいたした訳じゃあないでしょうね?」
「或いは、生け贄・・」
「ひえー」
清美は、基壇に触っていた手を慌てて引っ込めた。
「神社の奥の院がこんな遺跡だなんて・・はじめて見たわ。まさに、不思議の神社ね」
琴代は写メだけでなく、祭壇のスケッチまで始めた。石積みのひとつひとつを丁寧に描く琴代の目がキラキラと光っていた。
石積みは薄い板状の石を何枚も積み重ねて出来たものだ。石の間には地面と同じ土がしっかりと固まっている。
「ここで取れた石を積んで粘土でしっかりと固めたのね・・」
清美の独り言だ。だがそれに琴代が反応した。
「違うと思う。ここで取れたのでは無くて、どっかから運んで来た石を積んだ・・」
「え、マジ?」
「うん、ここにある石とは違うと思うの・・」
「と言うことは、この祭壇の材料は何処かから運んで来たのね。それは、どこ?」
「私には分らないわ。だけど想像はあるの」
「それは何処?」
「徳島県よ。吉野川流域にはこんな石が多いの・・」
「それって・・・・」
「そう、阿波」
「・・・・・・」
二人は神社に戻ると、参拝所に並ぶ列に加わり参拝をした。
山の中腹に位置する神社の境内からは西・南・東の方向が見渡せられる。今の時間は西の方向・眼下に沈みゆく夕日が見えていた。
山並みに沈む寂静の夕日が拝殿の左側を赤く染めていた。やがてそれが静かに引いていき辺りは薄闇に包まれていった。
だが、そこに居る人々はまだ帰ろうとはしなかった。それどころか、登ってくる人の列は続き、拝殿前の広場には次第に人が増えていく。
二人は人混みの中から無言で湧き上がる一種異様な熱気を感じていた。それは何かが起こる期待に満ちた群衆の熱気というものだった。二人は強い興味をそそられて、黙ってそこに立ち尽くしていた。
不意に「おおっ」と言う声がした。
拝殿に灯りが点ったのだ。と同時に、廻りは一気に闇に包まれた。濃い闇の中で拝殿だけが明るい光に包まれて浮き上がっていた。
やがて微かに音が聞こえてきた。音楽だ。
その音楽は次第に大きくなってゆく。荘厳な響きの雅楽だ。
「ごくっ・」
と、生唾を飲み込む大きな音が聞こえた。何の事はない、琴代自身が出した音だ。琴代がそう気付いて苦笑を浮かべたときに、人々がざわめいた。
「巫女様だ」
と言う声に拝殿を見上げると、白装束に朱袴を着けた巫女が拝殿の右の高楼から姿を現わし静かに中央に進んでくる。雅楽は拝殿の右手にいる者達が奏でていた。
巫女は中央に進み出ると本殿に向かって拝礼をして詔を唱えている。
それを終えると、ゆっくりとこちらを向いて停止した。参拝者を見ているのでは無い。参拝者の頭の上を越して南の方角を見ているのだ。
琴代にも、巫女は海を見ているのだと解った。
神社の南には町があり、その先は遙かな大海原・太平洋が限りなく続いている。その巫女を見ている自分の身の内に、ふいに電気が走り抜けた。
(何、これ・・・・?)
琴代は、何かが自分の中に目覚める感覚に戸惑った。
巫女は、海に向かって両手を差し伸べた。そこにいる参列者はそれを見て合掌した。
海を見つめる巫女の目が次第に大きくなった。
もちろん琴代の位置からは、巫女の顔を識別できる距離では無い。ただ、巫女がこちらを向いていると、いうことが解る程度だ。
だが、巫女の目は次第に大きくなって、拝殿ほどもある巨大な目が海を見つめている。そう見える、いや、そう感じるのだ。
琴代は、全身に鳥肌が立っているのが解った。
だが不快では無かった。とても衝撃的だったが、何か癒やされている感じで安心していられた。そしてこの光景を前にも経験したことがあると思った。
大きな目の中心のその瞳は、薄いコバルトブルーをしていてゆっくりと渦巻いていた。
(竜宮の井戸だ・・)
琴代には、その瞳が竜宮の井戸を写していると思った。雅楽が一段と高まり、琴代はその瞳に吸い込まれそうになった。
「琴代、そろそろ帰ろうか・・」
清美の声で我に戻った琴代は、拝殿から巫女が消えているのを知った。回りにいた大勢の人々も帰路についたと見えて、まばらになっていた。少しの間、意識がどこかに飛んでいたのだ。