第11話・海女体験
「きゃっはー、気持ち良い。琴代もおいでよ!」
海に飛び込んで一度潜った清美が歓声を上げた。
その日も快晴の良い天気だった。伊勢志摩旅行も五日目になっていた。
二人は敬子さんらと待ち合わせをして、船に乗せて海に連れて来てもらったのだ。他に二人が同乗していた。
一人は真智子さんだ。
トマエと呼ばれる船頭は、真智子さんの夫だった。
海女の白装束と海中メガネとスカリと言う獲物を入れる網が付いた浮き輪を貸して貰った清美は、既にテンション・マックス状態だった。
「私は、泳げないから・・・」
「泳げなくとも、潜るだけだから。ほら、おいでよー」
と、清美は熱心に勧める。
清美に引っ張られる感じで乗船してきた琴代も白装束を着けて、装備一式を与えられているのだ。
そのせいで、琴代自身も実はちょっとワクワクしている。
「本当に、私でも大丈夫かしら?」
と、船頭の黒沢さんの顔を見て聞いた。
「泳げなくとも大丈夫だよ。浮き輪に付いているロープを手繰ったら上がれるから、勿論、無理したらいけねえがな」
と、黒沢船頭さんも勧めてくれた。
「それじゃあ、ちょっとだけ・・」
と、琴代は船縁に手を掛けて、そおっと海に入った。
「ひゃぁー」
海の水は予想以上に冷たかった。身体がキュッと引き締まった感じがした。おまけに黒々とした底の見えない海に恐怖が湧いてきた。
「怖い・・」
「大丈夫だって、頭をつけて海女さんが潜るのを見てごらん」
と、清美が励ましてくれる。
「いくよ、せーのー」
と声を掛ける清美と一緒に、水中メガネを付けた顔を海につけて覗いてみた。
すると、海中は意外なほど視界が効くことが解った。黒々として見えたのは、明るい空を反射しての事だと気付かされた。
潜ってゆく海女さんはすぐに深みまで行って、白い姿がぼんやりとしか見えなかった。
「今度は、海女さんと一緒に潜ってみようよ。出来る?」
と、清美が聞く。
「うん、少しだけやってみる」
浮き輪に付けられたロープを確認した。苦しくなったら、これを引っ張って上がって来れば良いのだ。
今度潜るのは真智子さんだ。真智子さんは二人を見て、合図を送るとタイミングをとって潜った。琴代はそれにタイミングを合わせて、清美と同時に潜った。
だがとても潜れない。
真智子さんは、白く霞ながらあっという間に深みに潜ってゆく。
「だめだぁ、全然追いつけない!」
「はっはっは、そりゃあ、あいつはまだ現役の海女だからな。それに分銅を持っている」
と、黒沢さんが大声で笑った。
「もっとも、ここいらで潜るのは、若い見習海女か、一線を退いた年寄り海女だがな。働き盛りの海女はもっと沖にでる。真智子はもうあまり無理をできない年だからな」
「それでも、あの早さですか!」
「早く潜るのはコツがいるのよ。身体の向きを真っ直ぐ立てて一直線にするのよ」
と、まだ船の上にいた敬子さんが、手振りで説明してくれる。
少しして、真智子さんが獲物を獲って上がってきた。嬉しそうに指でサインを送って、海中メガネの奥の目が笑っていた。
「やってみます」
二人は、敬子さんに教えられた潜り方を、何度か繰り返して練習した。
二・三度練習する内に、琴代は、身体の中を何か痺れるものが走り抜ける気がした。と、同時にふいに潜る速度が速くなった。
(なに、これ・・)
まるで自分が魚になったような気がしたのだ。
「琴代、どうしたの? 急にうまくなったじゃない・・・」
海上で浮き輪に掴まっている清美が、後から浮いてきた琴代に目を見開いて聞いた。
「わかんない、何かコツがあるのかも・・・」
「それじゃあ、私が潜るのに付いてきてごらん」
海に入った敬子さんが、二人を見て弾みを付けて潜った。
と、同時に二人も潜った。
琴代の身体はするすると動いた。先行する敬子さんについて行けている。それどころか、追いつき並ぶことが出来たのだ。
こちらを見た敬子さんが前方を指差した。
すぐそこに岩場が迫っていて、敬子さんの指差す先に、こぶしほどの貝が付いている。琴代はそっと手を伸ばして一気に貝を獲った。
敬子さんが親指を立ててOKの合図をした。息はまだ苦しくない。上を指差した敬子さんに従って、岩を蹴って上昇した。海面はキラキラと光って美しかった。
「琴代、すっごい! 敬子さんに付いていったじゃない!」
海面では、清美の歓声が待ち受けていた。獲ったサザエを見せると清美の声はさらに大きくなった。
「うわー、これ獲ったの! すっごい!」
「私も驚いたのよ。初めて潜って貝を獲っても余裕があったようね・・」
と、敬子さん。
「私、こんなに深く潜ったのは初めてなの。今まではプールの深さしか潜ったことが無いのに・・」
「私は、二メートルちょいぐらいしか潜れなかったわ。脂肪が邪魔しているのかな・・」
「ふふふ、脂肪が無い方が潜る時には確かに早いわ。でも脂肪が無いと寒さに対する抵抗力が無いからね。海女は脂肪が必要なのですよ」
それから何度も潜る内に、清美もある程度は潜れるようになった。
でもとても岩場までは届かない。
そこで敬子さんが海女たちの使う分銅を持たせてくれた。分銅を持つとその重さで一気に岩場まで潜れる。浮いてくるときには分銅を離して上昇してくるのだ。分銅にはロープが付いているので海上で回収出来るのだ。
「やったー 獲ったぞ!」
と、やっとサザエを獲ることが出来た清美が大歓声を上げた。